夢繚乱噺-12-

「あの、がくぽさま………っ」

「俺が居るのが意外そうだな?」

それは意外だ。意外だとも。カイトは内緒で潜入していたはずなのだから。

だが、がくぽはそうとは持って行かなかった。にんまりと、性悪に笑う。口元だけ。

「何処の男を待っていた今宵、誰に買われるつもりでいたのだ」

「って、ちょ、がくぽさま………っふぁっ」

なにかしら壮大な齟齬が生まれていると察して、カイトは慌てて身を離す。そのカイトを捕え、がくぽは乱暴に襦袢を肌蹴た。

行燈の仄明かりに照らされる体に、瞳を細める。

ぬめるように白い肌の、あちこちに散らされた花痣。

古いものから新しいものまで、一日たりとて男が切れたことがないと証立てる、その多さ。

「こうまであからさまに痣を見せびらかすとは、いい度胸だな。抱く男抱く男、すべてが妬いて、さらに吸い付いていくのだろう」

「な、に、言って………っ全部、ぜんぶ、がくぽさまがっ」

戦慄して叫ぶカイトは、危機感から襦袢を掻き合わせる。

「ほかの男なんて、知りませんっがくぽさま以外のひとが付けた痣なんて、ありませっひぁっ」

逃げる体が力任せに引きずられて、畳に転がされる。掻き合わせた襦袢も再び肌蹴られて、がくぽの手によって手首を縫い止められた。

がくぽの力は、折れよと言わんばかりに強い。瞳に閃くのは、仄明かりにすら明らかな、怒りと狂い。

くちびるだけは笑うがくぽに、カイトは震え上がった。

こういうときの夫は、ろくなことを仕出かさない。重々学習済みだ。

とはいえ、今回カイトは、ルカの護衛として潜入する、その変装として遊女の形をしただけで、実際に接客したでもなし、男に言い寄られたでもない。

陰から忍んだから、さっきルカと言葉を交わすまで、誰にも会っていないのだ。

だというのに。

「がくぽさま…………っぉねが、ぃたい………っっ」

「愛らしい声で啼く。この声を、幾人の男に聞かせた?」

「がくぽさま………っ!」

「掠れるほど啼かせたいと、それはそれは激しう攻められような。聞いているだけで催す、淫靡な声だ。何処の誰に、磨かれたものか」

「………っ」

もがいてももがいても、がくぽの腕は緩まない。焦点のぶれる瞳が、ひたすらに歪んでカイトを映す。

カイトはくちびるを噛み、もがくことを止めた。

愛する夫だ。誰よりも、なによりも大事な。

そのために、命を投げ出すことも躊躇わないし、この身を裂かれるときにも、決して逆らわない。

けれど、どうしても赦せないことはある。

「っくっ」

「っ!!」

腹に力を込めると、カイトは高速で膝をくり出した。思考が狂いに入っていても、がくぽは咄嗟に避ける。

一瞬力が緩んだその隙を見逃すカイトではない。手首を回してがくぽの手を強引に引き剥がすと、素早く身を反し、飛び出す。

「……逃がすか」

「ぁっ!」

暗くつぶやいたがくぽが、カイトの足首を掴む。捻るように引かれ、カイトは抵抗しきれずに畳に倒れた。

その背中から伸し掛かったがくぽが、辛うじて纏わりついていた襦袢をさらに肌蹴て、笑う。

ぬめるように白い肌に、表も裏もない。

花痣が咲き舞うのは、背中もだ。

「背にまで散らすとは、そなた、獣のごとく、後ろから犯されるのも好きか。そんな攻めをするのは、何処の下衆だいや、そなたが求めるのか、後ろから貫いてくれと」

「…………がくぽ、さま………っっ」

震えて、カイトは朱に染まる。

背中にまで痣を散らすのはがくぽで、後ろから貫くのもがくぽだ。顔が見えないと怖い、と訴えるカイトを、抱え上げるようにして、ぴったりとくっついてくれる。

宝物のように大事に抱きしめられてする形だから、後ろからも、好きだ。それが獣のようではしたなくても、愛されているのだとわかるから。

それなのに、そんなふうに嘲るなど。

「………っ」

カイトはくちびるを噛み、一度きつく、瞳を閉じた。

こうなった夫に、声を届けるのは容易なことではない。それがどんな些細なことであれ、確かにがくぽは妬いたのだ。身を焦がすように、激しく。

その結果として、誰より愛して大事にする妻を傷つけるのが、印胤家の血であり、鬼子と恐れられるがくぽの持つ狂いだ。

いつもなら、カイトも従容としてそれを受け容れる。

そこまで含めて愛する夫で、そのすべてを愛しているからだ。

それでも今日は、どうしても赦せない、受け入れ難いことがあった。

その一事に縋って、カイトは狂っても隙のない夫の隙を窺う。互角には戦えなくても、隙をつくのが上手いのが、元々はねずみ小僧として暗躍していたカイトの戦い方だ。

「ん………っ」

「敏感だな。夜毎違う男に開かれて、疼きが治まる暇もないか」

「ふぁ………っ」

押さえこまれたまま、くちびるで背中を辿られる。浮く骨にかりりと歯を立てられて、痛みとともに身を刺すのが、堪えようもなく快楽だ。

なんでもなかった肌をつくり変えたのは、間違いなく、がくぽなのに。

「幾人の男が、そなたの弱点を知る幾人の男が、そなたの肌を辿った」

「………っくぽ、さま、だけ………っ、がくぽ、さま、だけ………ですっ………全部、ぜんぶ………っ」

涙に潤む声で、懸命に絞り出す。

加減もしない力で押さえこむがくぽのほうは、鼻で笑った。

「誰が信じるこのように淫靡な体をしておいて、男ひとりで済むものか」

「っっっ」

堪えきれず、カイトは身を捻って足蹴りを飛ばす。がくぽはきれいに避けたが、そのせいで手が離れた。

自由になった体で、今度はカイトは逃げなかった。逆にがくぽに組みつき、背後に回ると乱暴に着物を肌蹴る。

「っ?!」

「っがくぽ、さま、こそっっ!!」

涙に歪む声で、カイトは叫んだ。

「がくぽさま、こそ、お背に、こんなに、掻き傷を、こしらえてっっ!!どこの、ねこと遊んだ、傷ですっ?!!どこのねこに、付けさせた、傷ですかっっ!!」

「っ」

叫びに、狂うがくぽの瞳が揺らいだ。

もちろん、付けたのはカイトだ。しがみつかせて、縦横に刻ませた。

痕が残るほどにしつこくしつこく刻まれ続ける傷は、がくぽに常にカイトの存在を訴える。

「これは」

揺らぐがくぽに構わず、カイトは着物を剥いていく。

背中一面に、刻まれる傷。深いものから浅いものまで、縦横に。

「ひとりが、こんなにいっぱい、付けるわけないですよねっどこかにたくさん、ねこを飼っていらっしゃるんでしょうとっかえひっかえ、なさってるんでしょう!!」

「カイト、っくっ」

呼ぶ途中で、がくぽは身を強張らせた。

カイトの爪が、傷口を抉るように辿っている。いつものように震えて縋りつくわけではない。

込められる力をすべて込めて、爪を立てている。

「っカイ、」

「俺は何番目ですか?!そのねこたちの、何番目に抱く相手ですか?!!どう気が向いたら、体を開く相手なんです?!!」

「カイト!!」

とうとう悲鳴を上げて、がくぽは身を反した。素直に剥がれたカイトの手を掴んで体を引き寄せ、胸に抱えこむ。

「…………っ済まなかった………っ」

「いやです、赦しません」

「済まなかった」

「だめです………もぉ、ぜったい………っ」

ぼろぼろと大粒の涙をこぼすカイトを、がくぽはさらにきつく抱きしめる。

詰りながらも、その体はまだ、がくぽに縋りついてくれる。

それだけを縁に、がくぽはカイトを抱きしめていた。

「カイト………」

「い、痛く、しても、いいです。苦しく、しても、いいです…………どんなに、酷い、こと、しても………いいです。……っでも、でも、疑うのは、いや…………っ。がくぽさま、以外のひとと、したなんて、言われるのは、ぜったいに、ぜったいに、いや……………っっ」

「カイト………」

泣きじゃくりながら、カイトはがくぽに縋りつく。その爪が、責めるように肌を掻き続ける。

痛みを与えられることにどこか安堵しながら、がくぽは座り直し、カイトを膝に乗せた。

「俺は、おれは…………ずっと、がくぽさま、だけなのに…………がくぽさま、以外、知らないのに…………知りたいとも、思わないのに…………がくぽさまだけ、がくぽさまだけ………なのに………っっ」

「ああ、わかっておる………そなたは、俺が開いた。俺が仕込んだ。俺だけしか教えなかった」

「わかってないですわかってないから、あんなこと………いくら、怒ってても、あんなこと………!!」

「済まない、カイト………頼む、この通りだ…………カイト………」

「ふく……っ」

泣きじゃくって覚束ないくちびるを塞がれ、カイトは震える。

どうしても、赦せなかった。その一事だけは。

カイトがなにくれとなく心を砕く、さまざまなものへの愛情へ妬くのは、いい。細かなそれにいちいち妬くのでは大変だと思いはするが、まだ、受け入れられる。

けれど、ほかの男と通じたと言われるのだけは、我慢出来ない。

この体を、ほかの男に開いて、がくぽに赦すようなことを赦したと言われるのだけは。

それだけは、たとえがくぽだろうと――がくぽだからこそ、赦せない。

「ん………んく………っ」

「愛している、カイト………頼む、赦してくれ…………俺を見限るな………」

「ふ………っ」

吐き出される懇願に、やっぱりわかっていないと思う。

見限るなんてことは、決してないのだ。

赦せないし、憤りに震えて怒鳴っても、――この胸に帰れないなら、生などもう、要らないのに。

不安が強いから、こうやってなにかあるごとに、狂うほどに妬くのだろう。相手を痛めつけて、それでも愛は変わらぬと誓約させたいのだろう。

「………っ」

愛しさのあまりに咽喉が詰まり、カイトはただ、がくぽに縋りついた。

信じて欲しい。

けれど、等価で思う。

ずっとずっと、こうして痛めつけるほどに、愛していて欲しい。

激しく痛めつけて、縛りつけていて欲しい。

「…………がくぽさま」

「ああ」

詰まる咽喉を押して声を絞り出し、カイトは潤む瞳でがくぽを見つめた。

「カイトのこと、犯してください…………ちゃんと、やさしく」

強請られて、がくぽは微笑んだ。

揺らぐ瞳は、欲に潤んでもやさしく、穏やかだ。

「そなたの望みなら、なんでも叶えてやろう」