最愛のおよめさまへ、本日の印胤家新当主からのお土産は、本だった。
夏宵草子
「よっ……っ」
にこにこにこと、とても爽やかな笑顔でもって差し出されたそれに、カイトの背筋がぴぃんと張った。張り詰めたのは背筋のみならず、表情から空気から、すべてだ。
すでに敗北感にまみれつつ、カイトは潤む瞳できっとして、土産だという本を差し出す夫を見た。
「読むんですか読むんですねっ?!今日はなんです?!ご禁制の猥本か悲恋ものか……いいえっ!なんであれどーーーーーんと来いですよっ?!がくぽさまがお求めになるならこのカイト、どんなものでも最後まで、声に出して読み通して魅せましょうっ?!」
逃げるという選択肢がないカイトの宣言に、がくぽは重々しく頷き、応えた。
「うむ。なにやら痛ましいまでの美事な玉砕覚悟ぶりでいろいろほっこりするがまあ、そう悲愴ぶるな、カイト。これはそなたに読ませようと思って求め来たものではない。たまには俺からそなたに読んでやろうと求めたものゆえな。つまり読むは俺だ。そなたは聞け」
「ぇっ、えっ、ふぇっ?おれ……え?がくぽ、さま?が?」
諸々聞き捨ててはいけないことも言われたはずだが、後半部分の驚きでカイトはすべて流した。ここで流してしまうから、この夫婦は円満に続いているという説もあるがともかく。
きょとんぱちくりとしつつ、カイトは非常に素直にがくぽの傍らににじり寄った。それでもまだ、多少の警戒心はある。
小動物よろしく小首を傾げながら、がくぽと、その手にある本とを見比べた。
「あの」
「ひとに読んでやるなど、やりつけぬゆえな。下手でも流せよ?」
「え、そんなこと……」
罠でしかない殊勝ったらしい言葉でカイトの問いを塞ぎ、がくぽは書見台に置いた本を開いた。
……………
…………………………
………………………………………
「『……にて怨念は成り、七代を末に御家は絶えたのであつた』……」
「ぷっ……ぎ………っっ!!」
「……………」
端然と、淡々と読み終えたがくぽは、己の片腕にちらりと視線をやった。真っ青な顔で泣きべそを掻くカイトが、止めようもなくぷるぷるかたかたと震えながらしがみついている。
力いっぱいだ。
最愛のおよめさまだが、言ってもカイトの実態は男である。微妙に肩が外れそうなほど痛い。
痛いといえば、読んでいる間中、この至近距離でぎゃぴぎゃぴと悲鳴を上げられ続けた。鼓膜も痛い。
だがしかしこの充足感である。
もちろんカイトと出会い、大願成就して伴侶として迎えてからこちら、がくぽの人生は常に充たされ続けて来た。
だがしかし、それにしてもかつてない充足感が今。
がくぽの土産は怪奇もの、巷間で『今期もっとも怖い』と評判の怪談噺だった。
ついでに『ヘタだったらごめんちょ☆』などとぬかした、がくぽの読み方である。抑揚といい間の取り方といい、絶妙の絶技、つまりは非常な巧者だった。
怪談噺である――
カイトはことの初めから怯えきり、がくぽにしがみついてずっと、ぴぎぴぎ啼いていた。
がくぽに、だ。
そもそも怖い噺を読み上げているのはがくぽで、いわば犯人であり元凶だ。むしろ逃げなければいけない。
しかしカイトは頼る先はがくぽしかいないとばかり、懸命な縋る色を宿して腕にしがみついていた。脅かす元凶、諸悪の根源であるがくぽに。
「ぅ……っぷぇ……えっ………っ!ひどぃ、ですぅ、っくぽ、さま……っ」
「うむ」
ぴすぴすぺすぺすと、情けなく洟を啜りながら詰るカイトに、がくぽは溢れそうなものを堪えるため、ただ頷いて応えた。
ちらりと、再び視線だけやってカイトを見る。
腰が抜けている。上半身こそ力いっぱいがくぽにしがみついて離せそうもないが、未だぷるぷるかたかたと震えが止められない。
ぷるかたと震えが止められず、おそらくひとりで立ち上がるのは困難だろうと思われる状態だがさらに併せて。
「うむ……」
がくぽは視線を巡らせ、外を見やった。まだ昼間だ。どこもかしこも明るい。これでも怖がりのカイトを慮って、この時間を選んだ。
が。
「………厠か。手伝うか」
「ふぎっ………!!」
淡々と、むしろ抑揚と感情のいっさいを失くした平坦な声で訊いたがくぽに、呻きとともにカイトの動きのすべてが止まった。
沈黙が落ちる。
沈黙。ちんもく。ちん………
「っ、つだって、くだ、さ……………っ」
極まる羞恥とともに吐き出された嘆願に、がくぽは静かに瞼を下ろした。
こくりと、頷く。
「済まん、カイト。癖になった」