こいしかろし
座敷に背筋を伸ばして正座したがくぽは、相対して座るおよめさま、神妙な表情のカイトを厳しく見据えた。
「良いか、カイト……呼び方の問題ではない。問題は、呼び方だ」
「え。……あ、はぃ」
混乱しきった夫のものの言いに、カイトはきょとんぱちくりと瞳を瞬かせた。
が、とりあえず諸々の言葉は呑みこみ、従順に頷くに止める。
なぜといって、だから今、がくぽは混乱中だからだ。いつもの嗜虐心から、言葉遊びで最愛のおよめさまを嬲って愉しんでいるわけではない。
そうやって混乱のどつぼ、極みにいるがくぽはそれらしい目つきを、貞淑な沈黙とともに座すおよめさまに向け、がりがりと頭を掻いた。
「つまりだ。つまり……ええい、もう一度呼んでみよ、先ので!」
「え?………ぇと、あー………」
ぴしりと鞭打つように言われ、カイトは一瞬、姿勢を正した。
しかし夫の求めを理解するだに、すぐさまふにゃりと崩れる。おずおずといった風情で相対するがくぽを上目に見つめると、ふわりと朱を刷いた。
とろりと、くちびるが開く。
「おまえさまvvv」
「ごっ、がっ……っっ!!」
――自分で呼べと命じたのだ。それなりに腹を決め、覚悟を固めてのことのはずだったが、駄目だった。
単に呼ばれただけだというのに、がくぽは実際に殴られたかのような衝撃とともに仰け反った。
そしてまるで振り子人形のようにすぐさま戻ると、座敷に突っ伏し、頭を抱えてうずくまる。
「がっ、がくぽさまっ?!」
「それだっっ!!」
「『それ』っ?!」
慌てて腰を浮かせ、具合を訊ねるカイトに、がくぽはがばりと顔を上げた。目元が赤い。のみならず、その瞳は敗北の涙に潤んでいた。
江戸の裏を取り仕切る悪家老、印胤家当主としての威厳を地に落とし、がくぽは最愛のおよめさまへと声を裏返して叫んだ。
「なにゆえそう、通常の、平時の様子で呼ぶのと同じ調子で呼ばぬっ?!『あなた』といい、此度といい………呼称の問題ではないのだ、カイトっ!問題はそなたの呼び様だっっ!!」