恋より遠く、愛に近い-第47話-
さて、『次に会ったとき』といえば、名無星カイトは明夜星カイトとひとつ、約束をしていた。
なにといって、うちの夢見がちで不肖なおとうとが無垢な恋人への過保護をこじらせた挙句、耳を塞いで疎外した話の内容を教えてやるというものである(実際のところ、かの夢見がちで不肖というおとうとがこじらせた過保護は、この兄にも向いている。が、そんなことは兄の知ったことではない)。
とはいえ一言一句違えずすべてとはいかない。
ロイドなのでやろうと思えばできないことはないが、そこまでの内容でもないし、明夜星カイトだとて、そこまでは望まない(なにしろそれをやろうとすれば、記憶容量を非常に食う。ロイド草創期、低スペック時代の名残りで、たとえ『あほの子』と謗られようが常に能う限り記憶容量の『節約』に邁進するのがKAITOだ。『自分』はもちろんだが、高スペックであり、たいして負担とも思わない相手に対しても、そんなことをおいそれとは望まない)。
そういうわけで、打ち合わせ兼練習のために出かけた名無星カイトは、練習合間のちょっとした時間にかいつまんで、ざっくりとしたあらましだけ伝えた。
ちなみに彼らカイカイ組(担当マスター:明夜星甲斐に、明夜星カイト、名無星カイトの三人である)の集合場所は駅近くのカフェであり、そこで軽食がてらに短い打ち合わせをしたあと、少し歩いたところにある貸しスタジオへ移動した。
そう、この打ち合わせ場所の変遷でも明確なように、明夜星家の経済力、ないし経済観念は名無星家と大きく乖離している――
わけではない。
単なる職権の濫用である。
打ち合わせのための集合場所としたカフェはともかく、その後の貸しスタジオの話だが、明夜星甲斐はここのスタッフなんである。
本業のほうが空いてしまった時期などに入る、あるいは人手不足で呼ばれて入るといった、臨時スタッフの扱いではあるが、若干の融通を利かせてもらえる程度には歴も長く、貢献度もあるという。
おかげで使用料金なしだが、一応、あれこれへの建前として、機材の点検・清掃やメンテナンスといったものをやる名目で、予約のない隙間に入っている。プラス、もしも時間内に人手が不足したなら、ヘルプで入る――
ゆえに、『使用料金は取られないが、この間に発生した労働への対価もない』が、ほんとうは正確である。
関係各所から細かく――いや、大雑把であってすら、突かれると非常にあれこれが苦しくなる利用方法であるので、本録りのときはさすがにきちんと予約を入れ、正規料金を払う(ただしこの『正規料金』もスタッフ割が使えるため、若干、お得である)。
そういう、あれこれがあれこれな利用法なのだが、明夜星甲斐は『名目』だけでなく、きちんと点検や清掃、メンテナンスといったことに時間を割いた。それも、名無星カイトがあまり見たことがなかったほど詳細かつ、ていねいにだ。
「いやだって、お世話になってるわけだし、これからもお世話になるわけだし?情けは人の為ならずでさ、回り巡って自分のためになるんだから、やっておいて損はないわけですよ。早期発見が重篤化を防ぐってのは、人間でも機材でも同じことで」
――等々、等々、滔々と明夜星甲斐は説明もとい、言い訳を吐いたが、そのだいたいを聞き流し(なぜなら言い訳など聞くだけ時間の無駄だと、相場が決まっているからである)、そのうえで名無星カイトは納得した。
要するに、明夜星甲斐は好きなのだ。音を奏でるだけでなく、そもそも『機材』を弄り回すことが。
「ならば好きだとひと言だけで済ませろ。時間が無駄だろ」
言い訳をそう、さっくりと無情に切り捨てた名無星カイトへ、甲斐はなにかしみじみしたように頷いた。
「うんそれな。えまのんも言ってました。それでいーじゃんって。ふっつーに特技だし厩戸皇子だし?って。しかして若人よ、『好き』をいかに回りくどいく表現できるかが亀の甲より年の功的オトナの腕の見せ所っていうものでね」
「老人は繰り言が多くなると」
「それもな。繰り言の醍醐味って漬物とか煮物のうまさと同じで、やっぱある程度、年食わないと理解できないもののひとつだったよね。あ、ただしさすがにまだ、醍醐味わかるのは言う専であって、聞く醍醐味は理解できてないんデスけど」
「そうだろうと思っていた」
非常に失礼を極める名無星カイトの返しにも、甲斐はまるで調子を変えることなく軽く返した。
軽いが、その軽さだ。方向性であり、展開から予測される将来だ。
名無星カイトはわずかに眉をひそめ、展開の早いやり取りをにこにこと聞き流していた明夜星カイトへ向き直った。
「ところで明夜星カイト。おまえ、大丈夫なんだろうな?」
「はい?」
――いわば、主語のない問いだ。
通常であればKAITOには理解が難しいし、回答もできないものだが、このとき、明夜星カイトは名無星カイトがなにを危惧しているか、だいたいのところが理解できた。
もっともよく訊かれることだからである。
甲斐と親しく話をした相手は、どうしても最後、この危惧を抱かないではおれないらしい。
ので、少し困った色を混ぜつつもにこにこしたまま、明夜星カイトは両手を軽く掲げ、ひらひら振って頷いた(ポーズとしては『降参』だ。なぜ明夜星カイトが?しかし咄嗟に降参ポーズを取った。あるいは取らせる威迫を名無星カイトが放っていた)。
「ええぇっと、うん。はい。改造?だいじょぶ。なんにもされてない。ですよー?」
「うん大丈夫だいじょうぶ。まだそっちは勉強中で免許も取れてないし、壊す自信しかないから手は出してない。今はまだ」
ロイドが健気にフォローしてくれた直後に塗り重ねる、マスターである。その締め括りである。
「明夜星カイト………大丈夫なんだろうな?」
「二回?!二回いったっ!カイトさん、本気で引いてる?!ちょっ、マスター、言い方っ!!」
――といった幕間が前回の会合ではあったりしたりしたわけだが、今回も状況はだいたい同じであった。
片手間でなく、甲斐がメンテナンスのほうにこそ集中してしまってほったらかしにされる間が『休憩時間』の扱いとなり、そうなると明夜星カイトと名無星カイトは外の休憩室に行ったり、スタジオの隅に集っておしゃべりに花を咲かせたりするという。
で、本日、その初めの『休憩時間』だった。
なんとなくスタジオの隅に集い、まず話したのが例の『約束』であり、かいつまんで、ざっくりと先日の流れを教えてもらった明夜星カイトである。
首を傾げた。
「ぇえっと……?あの、がくぽと…うちのおとうととカイトさんって、お付き合いしてたの?るんです?」
相変わらずKAITOらしい、ほわほわふんわりと春の陽だまりのような明夜星カイトの雰囲気だった。今であれば有耶無耶のうちに、誤魔化そうと思えば誤魔化せる。
が、しかしである。
なにを誤魔化す必要があるというのか?
もとい、なにが誤魔化さなければいけないことなのか?そもそも自分たちがいったいどういう関係であるのか、肝心要の本人たちが、まるで理解できていないというのに?
いや、明夜星がくぽは意味不明を成型して服を着せたものだから、どうだかわからない。実は独特の理解の仕方をしている可能性は否めない。
が、少なくとも名無星カイトは理解できていない。
よってゆえに、なにがどう誤魔化さなければいけないことであるのか、誤魔化せばいいものもわからないというのに、いったいなにをどうすれば誤魔化せるというのか?
そういうわけで、名無星カイトは明夜星カイトの問いを曲げることなく額面通り、素直に受け取ってやった。つまり、明夜星がくぽと名無星カイトとは恋仲であるのかという意味で。
「してはないな」
「じゃ、だめでしょう」
相変わらずほわほわふんわりしていたが、明夜星カイトの返しは早かった。なにより、強かった。
しかしていったいなにが『だめ』であるというのかだ。
今度は名無星カイトが首を傾げた。
「だめか?」
なにがと限定できないため、なにがと限定せず返した名無星カイトへ、明夜星カイトはきまじめな様子でこっくりと頷いた。
「だめでしょう。なんでお付き合いしてもないのにがくぽが…うちのおとうとが、カイトさんの行動を制限できるの?していいの?していくないでしょう。どういう権利?」
明夜星カイトが訝るのも無理からぬという話で、明夜星がくぽが恋仲でもない名無星カイトへ課した『行動制限』とは、いわゆる『性交渉』に関してである。
ただし単になにもかもを制限したわけでもなく、不特定多数と無闇に関係を持つなという。
ある意味、貞操観念というところでは奥ゆかしい部分のあるKAITOだ。
らしいKAITOたる明夜星カイトであれば、おとうとの言い分を致し方ないと受け入れると予想していた名無星カイトは、だから少しばかり面食らった。
まさか意味を理解していないのかとも疑ったが、ここまでの自分の説明に、明夜星カイトが返した言葉を考え合わせるに、意味は通じている。
名無星カイトは、いくららしらからずらしからぬと言われようともやはりKAITOであるので、ここのところで(おとうとのように)明夜星カイトに無闇な夢を見たりしていなかった。
ゆえに、意味は通じている。話は理解されている。
そのうえで、現状、明夜星カイトはおとうとが名無星カイトへ課した行動制限を容れられないと。
「権利…な」
またむつかしいものを持ちだしてきたと思案する名無星カイトに、明夜星カイトも眉をひそめた。
「じゃあ、――『関係』」
「ああ」
的確な言い換えに、名無星カイトは眉を上げる。格段に考えやすくなった――が、しかしだ。それでもやはり、『が、しかし』である。
「どういうご関係ですか、うちのおとうとと?」
眉をひそめ、ことさら下から覗きこんでくる明夜星カイトに、名無星カイトはわずかに仰け反った。
らしいにしろ、らしからずらしからぬにしろ、同じKAITOだ。そういった意味でのカスタムはふたりともしていないから(これは『前回の幕間』で確認済みである)、明夜星カイトと名無星カイトの身長は同じだ。であるのに、わざわざ下から覗きこんでくる――
仰け反ったのも一瞬ですぐに姿勢を戻した名無星カイトは、覗きこんでくる明夜星カイトへ端然と告げた。
「あのな、明夜星カイト?俺も男だからそういうあざと系のかわいさを振りまかれると、普通に弱い。理性がぐらつくから、控えて欲しいんだが」
「あざ……かわぃ………………まく?!まいてないですっ?!」
訝しげにくり返した明夜星カイトの語尾が、追いついた理解とともに跳ね上がる。諸共に背筋も伸び、目線がそろった。いや、明夜星カイトは少し仰け反ったので、若干、ずれたか。
とにもかくにもだ。
揺らぐ湖面の瞳を潤ませてさらに揺らがせ、顔を真っ赤に染め上げた明夜星カイトを、名無星カイトはきまじめに見返した。こっくり、頷く。
「漏らさなくていい本音がだだ漏れただけだ。ないないしておけ。でないと次からおとうとが同伴する」
「なんでっ?!」
そう難解な言い回しはされていないが、また別問題で理解できない明夜星カイトが瞳を潤ませたまま問い返す。
「なんでって…」
説明しようとして、ふと、名無星カイトは黙った。
『なんで』と言うなら、理由は決まっている。兄はKAITOころりかKAITOキラーであると強固に決めつけているおとうとが、溺愛する恋人を奪われると危機感を覚えてだ。
しかもKAITOころりかKAITOキラーというところを置きにしても、おとうとは兄の下半身事情にまったく信頼がない。
なし崩しに恋人に手を出され、奪われると――
だから『困っている』わけでもないのにおとうとの恋人になど手を出すかというのだが、あれは不安にならずにはおれない。
兄への信頼が低いからではない。たとえ信頼していたとしてもだ、妬かずにはおれないのが【がくぽ】というものだからだ。
これは『名無星がくぽ』のみの特性ではなく、【がくぽ】という機体の特性なのだ。
すべての【がくぽ】が多かれ少なかれその傾向を持ち、もしも悪いというならそんなふうに計画して組んだプロジェクトだが、もちろん今さら言っても詮無いことである。
すでにプロジェクトは結実し、こうしてリリースされてしまった以上、考えるべきは根本ではなく、『ではどうすべきか』という対処対応。
それで、『対処』を考えた結果が、つまり名無星カイトと明夜星がくぽの関係であった。
失恋の傷を舐めあうという名目も、嘘ではない。
嘘ではないが、そればかりがすべてでもない。
少なくとも明夜星がくぽにとっては、どうなったところで大好きな兄を【がくぽ】の特性から守るというところが比重として大きかっただろうと、名無星カイトは推測している。
同じ【がくぽ】であれば、『恋人』となったときおとうとが、名無星【がくぽ】がどう思考を巡らせるかなど、推測するまでもなく理解できたはずなのだから。
それで取ったのがこの方法であるところは、まあ、明夜星がくぽである。あれは意味不明を成型して服を着せたものであるので、細かいことを突いても仕方がない。これで説明を求めたところできっとまた、突飛な理論をさも当然とばかりに主張し、押しきるに決まっている。
だから細かいことなど突いても仕方がないし、なんであっても結論は変わらない。
失恋の痛手を抱えながら、相手の幸福を願って奔走した。
それもまた、おそらく【がくぽ】の特性に由来するものかもしれず、だとしてもだ。
かわいい男だと、名無星カイトは思う。
意味不明を成型して服を着せたものだが、ひどくかわいいと。
一所懸命で、愛情深く、ために危うく、目の離せない男――
「………おまえのおとうとは、いい男だよな」
「ほぇ?」
なにかを言いかけて途中で止まり、再開したと思ったらこれである。
きょとんとした明夜星カイトは、しぱしぱと瞬いた。しぱしぱと瞬き、未だ考えこむ風情の名無星カイトを首を傾げて見る。
明夜星カイトの揺らぐ湖面の瞳は相変わらず揺らぎながら、どうしてかひどく透明だった。ひどく透明に、澄んで、名無星カイトを映す。
【がくぽ】であれば必要もない疚しさを抱いて正視に耐え難いであろうその瞳と、名無星カイトはまともに見合った。
なぜなららしからずらしからぬであろうと、名無星カイトは【がくぽ】ではなく、確かにKAITOであれば。