「?かいと?」
「はい、カイトけってーい」
がくぽの手元を覗きこんで文字を確認し、へきるは訳の分からないことを言って拍手した。盛り上がらない。
机の上に放り出したもう一本には、同じく象形文字で『レン』と書いてある。
ということはつまり――?
蛇行×錯綜=キューティ-02-
「マスター?なんぢゃ、これは?」
訝しげに訊くがくぽに、へきるはあっけらかんと頷いた。
「うん。新しく買うボカロ。カイトに決定しましたー」
「待てまてまて」
クラッカーを鳴らす真似をするへきるに、がくぽは眉間に皺を刻んだ。
「新しく買うとは…」
「え?」
訊き返されたことが意外そうに、へきるは瞳を瞬かせる。
「がっくんには前から言ってんじゃん?俺、もともと、ボカロ二体欲しかったんだって。でも学生のおこづかいじゃ、二体同時購入なんて無理だからさ。がっくんだけ先に買ったんだよって」
「それは覚えておる。我が訊きたいのはそういうことではない。マスターは『未だ』に学生ぢゃ。そうすぐ、金が貯まるとは思えぬのぢゃが」
がくぽだとて確か、ローンを組んでいたはずだ。そしてまだ、完済していない。
さらにへきるは、オタクとしての趣味にもふんだんに金を使う。曲を提供して入る金も、焼け石に水だ。
そしてなによりも今、いちばんの出費頭といえば、がくぽの衣装だった。
コスプレイヤーが高じて商売にまでしてしまった母親に作ってもらってはいるが、息子だからと言って容赦はしてもらえない。きちんと金は取られている。
ただ、相場の三分の一ほどではあるらしく、それをいいことに、次から次へと――そのすべてが女物だ――新しいものを頼むから、金の貯まる隙などありようはずがない。
眉をひそめるがくぽに、へきるはあっさりと種明かしをした。
「うん。親が出資してくれることになった」
言って、肩を竦める。
「ほら、がっくんを買ったときはさ。結局、俺がどこまで本気かわかんないとこがあったからダメだったんだけど……。がっくんとさ、まじめに活動してんじゃん?それなら、出資してやってもいいって」
「成程」
『まじめ』の言葉には言いたいことがあるものの、がくぽはとりあえず、納得して頷いた。
「さすがオタクの親ぢゃ。オタクに甘いの」
「がっくん………オタクは意外にオタクに厳しいよ…………俺の才能を認めてあげて………」
力無くつぶやくへきるに、がくぽは手に持ったままのくじをひらひらと振った。
「にしても、また男か!マスターもどうせなら、ミクやらルカやら、おなごにすればそれこそ、生活も潤おうに」
「がっくん」
そのがくぽに、へきるは表情を引き締めた。
自分の胸を、人差し指でとんとんと叩き示す。
「俺、年頃男子。童貞。彼女なし歴=年齢。意味わかる?」
「…」
その言葉をしばらく吟味し、がくぽはまじめな顔になると、へきるの肩を掴んだ。正面から、ひたとその顔を見据える。
「マスター。我もこの家に買われたからには、オタクも変態も仕方のないこととして許容しよう。しかし、犯罪者は許容範囲外ぢゃ」
「ちょ、どこに着地したの、がっくん?!」
あまりといえばあまりな言葉に、へきるは仰け反る。しかしすぐに諦めモードになると、肩を落とした。
「まあ、親も同じこと言ってたんだけどさ」
オタクと変態は許容してもらえるらしい。
内臓まで出て来そうな深いため息をつき、それで気を取り直して、へきるは机に放りだした『レン』のくじを弾いた。
「ま、そういう意味で、がっくんが引いてくれたのがカイトで良かったよ。いくら男っつっても、レンってショタっ子だもんなー。実はちょっと、自信がなくてさ。レン引かれたらどうしようかと思ってたー」
「……マスター」
さばさばと笑うへきるに、がくぽも微笑みかけた。
「このド変態がっっ」
「えええ?!ちょ、がっくんなにその目?!俺は虫ケラ以下か?!虫ケラ以下なんだな?!!」
悲鳴を上げるへきるに、がくぽはあくまでも口元は優雅に微笑ませる。
「自覚があるなら良い」
「ななな、なんだよ、なんだよ………!腐女子だって、極めればギャルゲのオンナノコに萌え萌えすんだぞ。オタクだって極めれば腐男子入ったってしょうがないだろ……………!」
母親と父親という立派な生き見本がいるから、へきるは自分のその考えに疑問がない。
「まあ、それはそれとして」
失意のマスターをあっさり脇に除けて、がくぽは机の上から『レン』のくじを取った。
『レン』と『カイト』二つを並べ、へきるの眼前に閃かせる。
「なにゆえ、この二人ぢゃ?我が記憶するに、男声ボーカロイドにはもうひとり、テル蔵がおろう」
「………がっくん」
気を遣ってもらえないのはいつものことなのでそれ以上へこむこともなく、へきるは渋面でがくぽを見た。
「俺は確かに救いようのないオタクで変態かもしれないけどさ」
「かもしれなくはない。まさにそうぢゃ」
「………まあな」
真顔で言い切られ、へきるは一瞬天を仰いだ。しかしすぐにも気を取り直し、再びがくぽを見据える。
「けどね。家に帰って来てまで、教師に監視される生活を選択肢に入れるほど、極めちゃいないんだよ!!」
悲鳴じみた言葉に、がくぽは記憶を漁った。
そういえば、テル蔵こと氷山キヨテルは『先生』であることが売り物のひとつだった。
「ツンデレの教師とか、俺に死ねって言うの?!しかも男とか、もう、おまえをころしてわたしもしぬ!!」
「落ち着け、この駄マスターが」
錯乱して叫ぶへきるの頭を軽く払い、がくぽは肩を竦めた。
「マスターはツンデレが苦手ぢゃものな。オタクのくせに」
「ツンデレこまして楽しいとか、猟奇趣味過ぎて訳わかんねえし!!正義はデレデレ、ロウはびっちにある!!」
勢い込んで主張したへきるへ、がくぽは微笑みかけた。
「我もマスターを『マスター』に持った以上、変態もオタクも許容しようが、心理的に引くことだけは止められぬぞ?」
「やさしい?!がっくんの笑顔がやさしい!!本気で引かれてんよ、俺マスターなのに!!」
ばったりと机に伏せり、へきるはさめざめ泣いた。
そんなマスターをあっさりと無視して、がくぽは手に持ったくじを眺める。
『カイト』――シリーズKAITO。
男声ボーカロイドのプロトタイプであり、旧型と称されながらも根強い人気を誇る機種だ。
がくぽもこれまで、へきるに付き合って何体かの『カイト』と出会ったことがあるが――
「まあ、それだけでなく、先生ってもう……」
さめざめ泣いても相手にしてもらえないへきるが、顔を上げてぼそぼそとつぶやく。それもあっさり無視して、がくぽは軽く天を仰いだ。
「あまり、面白くなりそうはないの」
ロイドの草創期のプログラムだけあって、シリーズKAITOは全体に反応が鈍い。ぼけーっとしている印象があって、つついても叩いても愉しくなかった。
それこそ、相手にしていて愉しかったのはレンのほうだ。
「とはいえ、マスターが犯罪者になっては堪らぬしの。まあ、仕方ない」
「がっくん………がっくんは、もっとマスターを信じて…………!」
へきるは恨みがましくつぶやき、それから困ったようにがくぽを見た。
「あのさ、がっくん。いくら気に入らなくても、いじめるのはナシだからね?」
「…」
きょとんとかわいらしく瞳を見張ってから、がくぽはそんなへきるの頭を平手で軽く払った。
「それこそ、我のことをもっと信じたらどうぢゃ、マスター。いぢめて面白いものなら構いもしようが、そうでもないものに手間を裂くほど退屈はしておらぬ。きちんと先輩として、変態の巣に早う馴れられるよう、導いてやるわ」
「変態の巣って……」
胸を張って言うがくぽに肩を落とし、へきるはそっぽを向いた。
「ちっとも否定出来ないんだけど」
出来ないのか。
がくぽは笑って、へきるの頭を撫でてやった。
実際のところ、がくぽはへきるを気に入っている。つつけばつついただけ面白いように反応するし、がくぽの満足がいくまでうたわせる熱意も根性も持っている。
本当に彼が困るようなことなど端からするつもりなどないし、そのためには面白みに欠ける新入りだろうと、きちんと面倒を見てやる。
つもり、だった。
少なくとも、実際に『カイト』を目にするまでは。