とはいえへきるが実際にカイトを購入できたのは、それから季節がひとつ終わってからだった。

親が出資してくれるとはいっても、全額出してくれるわけではない。そのうえ、『まだ』学生のへきるは、支払いの見通しが立つのに時間が掛かった。

蛇行×錯綜キューティ-03-

主にオタクな物品で狭くなっている部屋に無理やり押し込んだのが、待望の『KAITO』の入った大きな梱包だ。

ロイドの購入には、主に二通りの方法がある。

ひとつは直接ラボに行き、起動操作から初期設定まですべてお任せでやってもらって、自分で動けるようになったロイドとともに帰る方法。

もうひとつは機械操作に自信がある場合だが、自宅に仮眠状態のロイドを送ってもらい、自分で起動操作から初期設定まですべて行う方法だ。

へきるはがくぽの購入のときから、後者の方法を取っている。伊達のオタクではないのだ。

梱包はそのまますべての操作を行うためのウィンドウマシンも兼ねており、重い上に繊細な扱いが必要で、しかも大きい。

もちろんへきるひとりで部屋に運ぶなど無理だから、宅配業者にそのまま部屋まで運んでもらった。

隠しもしないオタクの物品が溢れる部屋まで。

これに恥じ入るようなら、へきるはドオタクの変態とまでは呼ばれない。むしろ宅配業者のほうが平身低頭しそうな勢いで、梱包を置くとそそくさと引き上げていった。

宅配業者を見送ると、へきるは早速、起動操作に入った。

その傍らに座ったがくぽはというと、それなりにわくわくしていた。

カイトがおもしろいかどうかはともかく、なにしろ待たされた。

ちなみに今日のがくぽは、赤と黒を基調にし、ふんだんにタックとリボンで飾られた――いつもの通り、ヴィクトリアンレディなドレス姿だ。

ただしへきるが頼んだわけではなく、へきるの母親が勝手に作って寄越したものだ。

『カイトちゃんに初めて会うんだから、気合い入れておしゃれしないとね!』

――で、着せるのがドレスだから、もはやがくぽに言える言葉はなにもない。

へきるの家系は父母どちらも、一族的にオタクだ。筋金が入り過ぎてもはや、常識の入る隙が髪一筋分すらない。

ドレスに合わせて長い髪も高く結い上げられて、揃いで作られたつばの広い帽子を被っている。

現在がくぽはどこからどう見ても、『もはや近寄れないレベルのヴィジュアル』のひとだった。

なににつけても素地がいいから、ちょっとしただけですぐにやり過ぎになるのだ。

「のう、マスター」

浮世離れしたがくぽは、マニュアルとにらめっこ中のへきるに話しかけた。暇なのだ。

「サ○エさん現象というのを知っておるか?」

「んああうん、知ってんよ?」

どれだけ季節が巡り、どれだけ年数が経っても、登場人物がまったく年を取らず成長しないことだ。

機械には弱くないからこの手段を取っているものの、そうとはいえ繊細さを要求される、ロイドの初起動だ。

慎重に作業を進めるへきるを見つめ、がくぽは首を傾げた。

「マスターは、『いつまで』学生なのぢゃろうな?」

「ん?」

意味深な問いにマニュアルから顔を上げ、へきるはまじめに指を折った。

「大学が、あと二年はイケるだろで、そのあと院に行くつもりだから」

「もう良い」

折られていく指を見つめ、がくぽは眉間を揉んだ。

「マスターは、永遠に学生を続けるつもりなのぢゃな」

「いやいや、さすがにそれは無理っしょ。院出たら俺だって」

そこでへきるは胸を張った。

「東○アニメーション学院に入り直すし!」

なぜ胸を張ったかわからない。

だががくぽはかえって納得して、頷いた。

「つまり、父君と同じ道を辿るのぢゃな」

「んーん。親父はアニメーション科だろ俺、ゲームクリエイター科行く」

「主張するようなことでもないの!」

吐き捨ててから、がくぽは微笑んだ。

「つまりあと半世紀ほどは、マスターは学生か。この駄目人間が」

罵りながらも、がくぽは笑顔だ。へきるは震え上がった。

「うわ、がっくんの笑顔がやさしいがっくんがっくん、俺マスター!!わかってる?!」

「もちろん、わかっておるとも」

やさしく微笑んだまま、がくぽは頷く。

「ゆえにどれほど救いようのない駄目人間であろうと、変態であろうと、生涯童貞であろうと、一生見捨てずにいてやる」

「しょ…………っど…………っ」

衝撃の未来予想図に、へきるは固まった。

二次元にたくさん嫁がいて、三次元の女なんて、とは言っていても、そうもはっきり言葉にされると、それなりに痛い。

「いやいやいや大丈夫だいじょうぶだいじょうぶとーちゃんもかーちゃんも結婚できたんだから俺も大丈夫だいじょうぶだいじょうぶ俺はできるできるできるんだ」

「ぢゃからせめても、イベントには足しげく通えと言うておろうに」

頭を抱えて高速でつぶやくへきるに、がくぽは肩を竦める。

へきるの父親と母親の出会いは、『イベント』だ。ちなみにデートも新婚旅行も、すべて『イベント』だったという。

「いやだ、ネットの時間がなくなる」

「このヒッキーのネット廃人が」

即答したへきるに容赦なく罵倒をくり出し、がくぽは『KAITO』の収まった強化ガラス製の梱包材を覗きこんだ。

緩衝剤が邪魔で、なにも見えない。

「まだか?」

「……………がっくん……俺はそのうち、血涙を流せるようになると思う」

好きなように罵って放置、のがくぽに、へきるは恨みがましくつぶやいた。

さっぱり見えない中身を、それでも懸命に見ようと目を凝らしながら、がくぽは首を傾げる。

「血尿のほうが簡単ぢゃろう?」

「いやほら、血尿って繊細なひとのものだから」

繊細さはないらしい。

あっさり気を取り直して、へきるは再びマニュアルを覗きこんだ。指差し確認で丁寧に手順を洗い直す。

「ん、よし。がっくん、したらスイッチ入れるから、ちょっと離れ――」

納得がいって、最終的な起動スイッチに手を伸ばし、へきるは口を噤んだ。中途半端なところで手が止まる。

「…」

「…」

「…」

「…」

どうしよう。

ものすごくきらきらした顔で見つめてくるお子様がいる。

ちっともお子様な見た目ではないというのに、むしろもう、大きくなって別世界にイっちゃった感すらあるのに。

「……………………………………がっくん………いいよ、押して……………………」

「おおvv」

うわきっとハートマーク飛んでんよ。

喜色満面のがくぽに、へきるはがっくりと肩を落とす。

「がっくん、スイッチとかボタンとか好きだもんな……………」

その理由は、考えなくてもほとんどわかっている。

見た形がこんなで、言っていることがあんなでも、がくぽはお子様なのだ。

放っておくと、エレベータのボタンは全押しされるし、リモコンで遊ぶのはとりあえず、ゲーム機のコントローラを渡すことで妥協させたが――

「コレを押せば良いのか」

「うん。五秒の長押し」

「おお」

さらにわくわくした顔になって、がくぽは梱包材の脇の赤いボタンへと手を伸ばした。

末端に至るまで抜かりなく、造形美の極致を尽くされたしなやかな指が、きっかり五秒、ボタンを押す。

「…」

「…」

「…」

「…」

わくわくしていたがくぽが、だんだん顔をしかめ、首を傾げた。

三十秒も経ってから、傍らのへきるを睨みつける。

「なにもならぬぞ」

「え?」

がくぽの非難に、へきるは驚いたように瞳を見張った。

「あれ、言ってないっけ押したらそれから、五分から十分待機」

「待機?!!」

悲鳴のような声を上げたがくぽに、へきるはかえって不思議そうな顔になった。

「そりゃそうだろ。ロイドの起動だよぽん押してがば起きるわけないじゃん。しかも再起動ならともかく、いっちゃん最初の起動だよ。適応させるプログラムも多いから、それくらい当たり前だって」

立て板に水としゃべるへきるに、がくぽはわずかに身を引いた。

「そういうものか………」

頷いてから、がくぽは再び梱包を覗きこんだ。

「我の起動にも、それほど時間が掛かったのか?」

がくぽの記憶では、プログラムの起動から目覚めまでに、それほど時間が掛かったという感覚がない。

問いに、へきるは首を横に振った。

「いや、がっくんは――五分、掛かったか掛かんないかくらいじゃないかな。だってほら、言ってもがっくんは新型だし。やっぱカイトとはスペックも違うしさ。どんどん早く軽くなってるはずだよ」

「ふぅん」

ちょっと得意そうな顔になったがくぽに、へきるは梱包の中を指差した。

「ほら、緩衝剤が畳まれだした」

「ほう」

感心したように頷いてから、がくぽはひどくにこやかにへきるへと向き直った。

「とはいえただ眺めて待つのもタイクツぢゃ。しりとりをするぞ、マスター」

「やだよ!!がっくん、しりとり無敵じゃんか!!」

速攻で拒絶したへきるに、がくぽはきらりと瞳を輝かせた。

「お題は『古今東西カイト良曲リンク』ぢゃ」

「……っ」

一度は悲鳴を上げたへきるだったが、お題の発表に息を呑み、それからくちびるを舐めた。

「プロアマ問わず?」

条件の確認に、がくぽは当然と頷く。

「もちろんぢゃ。良曲にプロもアマもない」

「ふっふん」

勝負が始まる前から勝ち誇り、へきるの鼻息が荒くなった。

「この俺にボカロ曲で挑もうなんて、がっくん、いい度胸してんじゃん。日がな一日、暇さえあればニヤニヤしてるヘビーユーザをナメんなよ?!」

胸を張るへきるに、がくぽはわずかに辟易した顔になった。

「駄目人間宣言せずとも良いわ。ちっとも自慢に聞こえぬ」

「言ってなさい、がっくん目にもの見せてやろう!!」

一転、やる気満々となったへきるに、気を取り直したがくぽは、にっこりと華やかに笑った。

「ではマスターが負けたら、これまでの人生ではづかしかった過去話、八歳編を語ってもらうからの」

「八歳?!ピンポイントだな!!」

顔をしかめるへきるに構わず、がくぽはしらりと頷く。

「我が負けたなら――そうぢゃな。我の七つある秘密機能のうちの」

「え?!がっくんに秘密機能?!」

へきるは素直に目を剥いた。がくぽに秘密機能があるなどという話は、寝耳に水だ。

構うことなく、がくぽは指を二本立てる。

「三と四を教えてやろう」

「三と四?!え、ちょ、一から教えてくれるんじゃなくて、いきなり三と四なの?!」

ツッコミの鬼と化したへきるをあっさりスルーし、がくぽは邪悪な笑みにくちびるを吊り上げた。

「ではゆくぞ。『Under crow the Blue』、
『る』ぢゃ、マスター!」

「『る』るるる??」

さっさと始められて、へきるは目を白黒させる。しかしさすがにオタ脳で、コンピュータも搭載していないのに高速で記憶を検索し始めた。

「『ブルー』………ちげぇや、ブルーじゃねえよ、ブルーじゃ……………って、る?!」

普通のしりとりであってすら、難関の文字だ。へきるの顔が、ひととしてやってはいけない色になっていく。

涼しい顔でそれを眺めて、がくぽは朗らかに告げた。

「カウント、5、4、3、」

「わあ、待てまてまて!!」

「2、1、0。時間切れぢゃ、マスターマスターの負けぢゃ!!」

「うっげぇええ………」

頭を抱えるへきるに、がくぽはあくまでも涼しい顔だった。

「ちなみに『ブルー』なんたらで始まる曲やら、なんたら『ブルー』で終わる曲はあっても、『る』で始まる曲は存在せぬ。少なくとも、カイトの良曲リンクにはな」

「ぬがぁっ?!!」

あまりにあまりな種明かしに、へきるの口から魂が飛び出た。