蛇行×錯綜=キューティ-04-
非道を働いたがくぽのほうは、ほくほくと笑う。
「いつも言うておろう?知識があることと遊戯に勝てることは、また別の話ぢゃと。戦略と先手。これを淀みなく実行できねば、我には一生勝てぬの」
「ぐわぁあああ………!」
ロイドに得々と説かれ、へきるは頭を抱えてうずくまった。
どこまでも非道に徹せるがくぽのほうは、そんなマスターを笑顔で見下ろす。
「さてでは、話してもらおうかの。マスターの人生の恥、八歳編を」
「く………っ。………………って、けど、八歳って何歳だよ?」
救いようのない問いを発したへきるに、がくぽはわざとらしく眉をひそめた。
「誤魔化す気ぢゃな?ならば良い。我が話してやろうかの」
「え?」
俺の恥を?
きょとんとするへきるに、がくぽは邪悪なうきうきオーラを振り撒いた。
「アレはマスターが八つのときぢゃった。そのころ、マスターをコスプレの雄として育て上げるべく奮闘しておった母御殿は、ある日、普段とは趣向を変えて、昔懐かしのセー○ームーンの衣装をマスターに着せた」
うきうきと話しだしたがくぽに、へきるは瞳を見張った。音を立てて背筋を強張らせる。
「っ!ぉおおっ思い出したぁっ!!てか待てまてまてがっくん!!それは恥ずかしい過去ってより、暗黒に繋がる……」
「大層かわいらしうできあがったマスターを、母御殿はとあるイベントに連れて行った」
「ぃいいいいゃあああああああ!!やめてぇえええええ!!!」
人間として限界の悲鳴を轟かせる『マスター』に一向に構わず、がくぽは容赦なく話を続けた。
「そこには母御殿と同じく、己の子をコスプレさせた親が集うておったのだが、中にひとり、セー○ージュピターのコスプレをした男の子がおり」
「ひぎぃいいいいいっっ!!」
「互いのあまりのかわいらしさに、ついふたりは」
「あがぁあああああああああ!!!」
へきるの絶叫で、もはやなにを語っているのか、がくぽ自身にすらさっぱり聞こえない。しかしがくぽのくちびるは淀みなく語り続け。
「ごはあっっ!!」
「――どっとはらい」
へきるの限界の叫びを堪能したがくぽは、至極満足げに話を締め括った。
人間外の顔になったへきるは、まずい震え方をしながら視線を移ろわせる。
「ががが、がっくがっがっくんの記憶をけけけ消さ、消さないとっ!てててて、ていうかがっくん、その話をど、どどどどこで聞いてっ」
「母御殿からぢゃ」
へきるとは対照的に、がくぽは優雅に微笑んだ。ドレスの効果と相俟って、本気で貴婦人降臨に見える。
「写真付きでな」
「ひぎぃいいいいっ?!!」
衝撃の暴露に、叫んでしばし止まり、へきるは頭を抱えてうずくまった。
「そそそそんなはずはっ!!そんなはずはなぃいい…………がっくんが来るよりずっと前に、写真もネガもポジもムービーも全部捨てて処分して葬り去ったはずずずずっ」
「甘いのう、マスター?」
人間として崩壊していくマスターを超然と見下ろすロイドが浮かべる笑みは、あくまで優雅で気品に満ち溢れていた。
「マスターと母御殿では、隠しものの年季が違うのぢゃ。見えるところを片づけて良い気になっているようでは、オタクとしてまだまだぢゃな」
一族的にオタクでも、己のオタクな物品を隠すスキルは磨くらしい。
へきるは頭を掻き毟った。
「おおおおおっ俺はっ、俺はこの屈辱を忘れぬっ、忘れぬぞぉおおっっ!!俺がカイトで、『る』で始まる良曲を作ってやるぅうううっ!!」
そのまま世界征服でも始めそうだ。
そこに、ぷしゅう、と空気の抜ける音がして、がくぽはカイトの梱包を見やった。開錠されたようだ。
「程よい時間潰しぢゃった。マスター、次はどうするのぢゃ?」
ほとんど無邪気に訊くがくぽに、へきるはがっくりと床に懐いた。
「がっくん…………………俺はほんとに、血の涙を流せるようになる気がする」
「大丈夫ぢゃ」
怨讐がましくつぶやくへきるに、がくぽは気もなく頷く。
「今、流しておらぬのぢゃから、一生流しやせぬ。それよりマスター、カイトぢゃ。次はどうするのぢゃ?」
「…」
へきるは虚ろに宙を見た。
確かに――言われてみれば、今の時点で流せないとなると、血の涙を流すのはものすごく難易度が高い。
「いやいやがっくん……俺の人生、まだまだ黒歴史なんて山ほどあるからね!」
胸を張って宣言する。なにが自慢なのか。
がくぽはうるさげに手を振った。
「わかったわかった。他事もおいおい話してやろうからの、先へ進め、へきる」
「ひぎぃっ?!!」
二重に衝撃を受けて、へきるは呻いた。
「がっくんがっくん、『マスターマスターねえマスター』、はい復唱!!」
金切り声で叫んで、がくぽの肩を掴む。がくぽはその手を叩き落し、梱包へと手を伸ばした。
「蓋を開けるぞ」
「いやいやいやいやいや!!それはさすがに俺にやらせて!!」
焦れて手を伸ばしたがくぽを制し、へきるは蓋を開いた。
中には瞳を閉じたカイトが横たわっていた。デフォルトの衣装であるコートとスラックスは身に着けているが、トレードマークであるマフラーは、畳まれて脇に置かれている。
『外気を検知しました。KAITOを正式起動します』
機械合成音そのままのアナウンスが流れると、横たわっていたカイトはゆっくりと瞳を開いた。
もどかしいほどの緩やかな動作で、体を起こす。
「カイト、気分はどうだ、大丈夫か。マスターがわかるか?」
そわそわと声を掛けたへきるを、カイトはけぶる瞳でぼんやりと見た。
二人で見合うこと、数秒。
「虹彩確認。声紋認識。登録情報との照合クリア。マスターを認証しました」
まだきちんと調声されていないせいで、マシンの勝つ声が無機質につぶやく。
それから一転して、カイトは花が綻ぶように微笑んだ。
「初めまして、マスター:杉崎へきる様。このたびは芸能特化型ロイド/VOCALOIDシリーズKAITOをお買い上げいただき、まことにありがとうございます。精いっぱいうたわせていただきますから、どうぞ末永くお付き合いください」
まだマシンとしての硬さが目立つものの、評判通りのおっとりとやさしい口調で話すカイトに、へきるは泣きそうになった。
がくぽは起動した当初から高飛車で、そして今となっては、傍若無人のやりたい放題だ。
他の家を見ると、もっとやさしかったり、もっと礼儀正しかったりする『がくぽ』もいるから、これはもう、自分がどこかで育て方を間違えたとしか。
「うう………やさしさが身に沁みる………っ」
そうでなくても、ドオタクで変態だ。人生において、慢性的にやさしさが不足している。相当飢えている。
そっと涙を拭うへきるに、カイトはおっとりと笑って首を傾げた。
「それでは、マスター:杉崎へきる様。これより基本設定を行いたいと思うのですが、よろしいですか?」
「うんうんうんうん」
――思うに、このカイトの『やさしさ』は、テレフォンオペレータの『やさしさ』と変わらない。
だがそれでもいいらしい。飢え過ぎだ。
へきるの様子に構うことなく、テレフォンオペレータならぬカイトは、事務作業に入る。
「私の名前と一人称を決定してください。デフォルトでは『カイト』、『私』となっています」
「あ、名前はそのまんま。一人称は『俺』にして」
「了解しました。設定を変更します。名前:カイト、一人称:俺。変更を認証しました」
わずかに虚ろになってプログラムを弄ってから、カイトは再び花の笑顔でへきるを見つめた。
「マスター:杉崎へきる様のことは、なんとお呼びしましょう?」
「『マスター』で!断っ然っ、『マスター』オンリで!!」
「了解しました。設定を変更します。呼称:マスター。変更を認証しました」
再度虚ろになってプログラムを弄り、カイトは花の笑顔でへきるを見た。
「では改めまして、マスター。俺はカイトです。いっしょけんめいうたわせていただきますから、末永く………………ひっ?!!」
「『ひ』?!!」
言葉の最後が悲鳴に取って代わったカイトに、へきるは目を丸くする。
恐怖に引きつった顔のカイトが、かたかたと震えながらへきるを指差した。
いや、正確には、へきるの傍ら。
がくぽを。
「ち!!!」
「『ち』?!!」
わけのわからないへきるが、がくぽを見る。
「血ぃいいいいいいっっ!!!」
蒼白になって、絶叫した。
なにやらずいぶんと大人しくしていると思ったがくぽの顔は、血まみれになっていた。正確には、顔の下半分が。
鼻から血。
それすなわち。
「えええええ?!!ちょ、がっくがっくがっくん?!!いったいなにがあって、なにをどうしてこうなった?!!」
だぽだぽと容赦なく吹き出す鼻血で、床に血だまりができそうだ。がくぽは一応手で口元を押さえているものの、大した意味はない。
ステキドレスにまでもれなく、血の染みが広がっていく。
慌ててティッシュ箱を取って渡すへきるに、がくぽは咳きこんだ。
「ま、マスター」
「うんうんうんうんうんうんうん、なんだがっくん?!異常か故障か、どっちだ?!」
蒼白になっておろおろと訊くへきるに、がくぽはカイトを見据えて、叫んだ。
「この、かわゆらしいイキモノはなんぢゃ、マスター?!!」
異常と故障、両方のようだ。