「マスター、カイトが安定するのはいつぢゃ」
「んあ?」
新しい『着物』に着替え、化粧も直したがくぽが、部屋に入って来て早々に問う。
蛇行×錯綜=キューティ-06-
床を汚す血のりをせっせと拭いていたへきるは、眉をひそめて考えた。
「いつだって……………そんなの、一概には言えないよ。そうでなくてもカイトって初期型のロイドだから、わりと不安定になりやすいって聞いたことあるし。ただ、一度安定しさえすれば、最新型よりずっと強いらしいけど――」
記憶をさらいながら答え、へきるは真っ赤な雑巾を、真っ赤な水の入ったバケツに浸けた。洗っても洗っても赤だ。
「あのね、がっくん。俺も訊きたいことがあるんだけど」
「なんぢゃ」
花魁のごとき華やかな着物を、無駄に徒っぽく着崩したがくぽに対し、それも目に入らないへきるは、ちょっと座りなさいのジェスチュアをした。
風呂敷包みを胸に抱えたがくぽは、示された場所におとなしく座る。ただし正座ではなく、思いきり片膝を立てているが。
姿勢に構うことはなく、へきるは表情を引き締めてがくぽに正対した。
「あのさ、がっくん。さっきの反応はなんなわけ?新入りを迎えるサプライズにしちゃぁ、ちょっとやり過ぎだし」
強気に出ることが苦手なへきるが、珍しくも強い調子で問う。
そのことにがくぽはわずかに瞳を見張ってから、こちらも珍しく戸惑う顔で、ベッドに横たわるカイトを見た。
「がっくんさ、これまでカイト見て、あんなふうに興奮したことないだろ。どっちかっていったら、ツマンナイとかオモシロミがないとか言って。見た目も平凡でつつき甲斐がないって言って、ほとんど相手にしなかったじゃんか。それが」
「そうぢゃ、マスター」
お説教モードのへきるに、がくぽも殊勝らしく頷いた。
「これまで我は、カイトを見ても大して感興をそそられなかった。遊んでオモシロイのは、レンやらテル蔵やらのほうぢゃったの」
「がっくん」
やはり、限度を考えないサプライズか。
瞳を険しくするへきるに、がくぽは物憂く首を振った。
「マスター、聞きゃれ。その我を否定する気はないし、それにおそらく、これからも変わらぬ。ぢゃが、ぢゃがの………」
わずかに言い淀んでベッドの上のカイトを見やり、がくぽはうっとりと蕩けた顔になった。
「アレは愛い」
こぼれた言葉に、へきるは目を剥く。
「うい?!愛い?!愛いって、カワイイってこと?!」
「言わずもがなぢゃの」
「言わずもがなって」
そこで絶句して、へきるはがくぽとカイトを見比べた。
がくぽはどこまでもうっとりと蕩けた顔で、横たわるカイトを見つめている。
とてつもなく口が悪く、手も早いがくぽだが、これでいてとても素直で嘘をつかない。
嘘をついたり誤魔化したりといったことをしないからこその、ぐさぐさと胸に突き刺さる言葉の数々だ。
そういう意味で、がくぽはとてもお子様で、素直そのものだった。
「…………そりゃがっくん…………カイトのあのやさしさには、ほろっとくるもんがあるけど…………。つまりがっくんの言う『愛い』って、そういうんでなく?ってだって、今まで『カイト』見ても、そんなんなったことないのに」
「そうなんぢゃ」
戸惑うへきるに、がくぽも不思議そうに首を捻る。
「今まで『カイト』と会うても、カワイイなぞと思うたことはなかったし、思い返してみても、ちぃともその感想は変わらぬ。ぢゃが、この『カイト』は………」
ベッド上のカイトを見つめ、がくぽは瞳を細めた。
「眩しいわ、きらきらだわ、ぴかぴかのちかちかだわ」
「眩しいの一言で終わらせていいよ!」
吐き捨ててから、へきるはカイトを見た。
起きているときもだったが、寝ている姿を見るともっと、おとなしそうだと思う。
とはいえ、それだけだ。
鼻血を吹くほどかわいいわけでも、色っぽいわけでもない。年々派手になっていく傾向にあるロイドからすると、初期型なだけに地味で平凡だ。
まとう色が鮮やかなブルーでなければ、その他に埋もれてしまうだろう。
「なにが違うんだ?」
「わからぬが、マスター」
独り言に応えて、がくぽはきりりと表情を引き締めてへきるを見つめた。
「とりあえず、カイトが安定するのは、いつぢゃ」
「いつだってね、がっくん…」
くり返される問いに、へきるは眉間を揉んだ。
「安定させるにはまず、安定した環境が必要なんだよ。不安定な環境じゃあ、いつまで経っても安定しません」
「我は安定したのにか?」
「だから旧型と新型じゃあ、精神バランスが違う……――って、ん?」
へきるは軽く宙を睨んだ。ロジックが仕掛けられた気がする。
がくぽの今の言いようだと、がくぽ云々の問題以前に、この家全体が不安定だというように聞こえないだろうか。
がくぽがどうではなく、不安定な家だったが、がくぽは安定した。
「……………」
なんとも言えない顔で黙りこんだへきるを、がくぽはきらきら輝く無垢な瞳で見つめた。
花魁風の着物に、化粧。髪にはかんざし。
「――まあ、そうだわな。今さらがっくんひとり………」
納得したらしい。
してはいけない方向で納得してしまったへきるは、赤い水の入ったバケツと雑巾を部屋の隅に置くと、ベッドの傍らに立った。
「ていっても、がっくん。さすがにさっきみたいに、血ぃ垂らしながら抱きつくようなのはナシだからね。いくらアレだっていっても、俺らだって初めは隠しかくし、徐々に馴らしていっただろ?」
救いようのないことをまじめに説くへきるに、がくぽも素直に頷いた。
「大丈夫ぢゃ。鼻血は品切れた」
「どんだけ流してんの!!」
目を剥いてから、へきるは違うと首を振る。そうではない。
「とにかく、最初はやさしく!ソフトリィかつジェントリィだよ。いきなり変態もろ出しで迫ったら、傍に寄る前に逃げられる」
「成程」
滔々と説くへきるに、がくぽはひどく納得したように頷いた。
「変態オタク歴=童貞歴=年齢のマスターが言うと、説得力が違うの」
「ぐはっ!!」
床に片膝をつき、しかしへきるは不屈の精神で立ち上がった。そもそも今、生きてここにいることで、精神の不屈さ具合は証明されている。
「大丈夫だいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶ………そのうちミサキちゃんが嫁として実用化されるから大丈夫だいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶ……………」
「現実の嫁を諦めたか、このチキンが」
がくぽはやさしい声で罵り、風呂敷包みを抱えたまま、ベッドににじり寄った。
「がっくんストップ。とりあえず、まだ近づいちゃだめ」
「ちっ」
「舌打ち?!いやいやがっくん、反省と学習」
「わかっておるわ」
素直に止まったがくぽに頭を掻き、それからへきるはカイトの再起動処理に入った。
といっても、大してやることはない。
主に調声のために使う、首の後ろのジャックポッドと専用のソフトの入ったパソコンをケーブルで繋ぎ、リスタートコマンドを流すだけだ。
「さっきよりは時間掛かんないと思うけど」
つぶやいたへきるに、がくぽはきまじめに頷いた。
「では時間潰しに」
「しない。しりとりはしない。決してやるものか」
速攻で却下され、がくぽはつまらなそうに首を振った。
「マスターは狭量ぢゃの」
つぶやきに、へきるは目を剥く。
「いやいやがっくん、俺くらい心の広いマスターって、そういないからな?!!」
そこから先の議論へ発展するより早く、カイトがうっすらと瞳を開いた。焦点がぶれて、ぼんやりしている。
へきるはちらちらとがくぽを窺いつつ、カイトの顔の前で手を振った。
「アロー、カイト?マスターがわかるか?」
「…………はい、マスター」
覚束ない口ぶりで応えてから、カイトはゆっくりと起き上がった。
へきるはさりげなく体を移動させ、カイトの視界にがくぽが入らないようにする。
体を二つ折りにして床に伏せ、萌え死にそうになっている花魁もどきなど、いくらなんでも刺激が強い。
「気分はどうだ?倒れる前のことは覚えてる?」
訊きながら、ジャックポッドからケーブルを抜く。
「気分――は、悪く、ないです。倒れる前…………まえ、は…………」
首の後ろをさすりながらつぶやいて、カイトは自分を抱きしめて大きく震えた。
へきるは嘆息し、そんなカイトへ手を伸ばすと頭を撫でてやる。
「ごめんなあ、カイト!起きたばっかりなのに、びっくりしたよな。でもアレは悪いもんじゃなくて…………」
説明しようとして、へきるは言葉に詰まった。悪いものではない。一応。だが悪くなければいいというものでもない。
ひくつきながら、へきるは笑った。
「えーと、うんまあ、なんていうの?カイトが起動したのがうれし過ぎて、興奮し過ぎただけっていうか。うん、まあ、そのな」
しどろもどろに言い訳をしながら、へきるは足の先でがくぽをつつく。
まともな対応を見せて、おまえも丸めこめ、もとい、謝れ、の合図だ。
がくぽは態勢を立て直すと、風呂敷包みを持ったまま、カイトの傍らへと行った。
「カイト」
「っ」
風呂敷包みを抱えた花魁もどきの登場に、カイトはびくりと竦み上がる。
それへ、がくぽは嫣然と微笑んだ。
「我はがくぽ。神威がくぽぢゃ。ぬしと同じボーカロイドで、ぬしより先にこの家に貰われて、稼働しておる」
「かむい…………がくぽ…」
つぶやき、カイトはわずかに首を傾げた。わずかな沈黙ののち、遠慮がちに微笑む。
「知ってます。シリーズ神威ですね。よろしくお願いします」
頭を下げてから、無垢な信頼を込めた瞳で、がくぽを見上げた。
「あの、先に稼働していたなら、先輩ですよね。『がくぽさん』と呼べば――ひっ?!」
はんなりと話すカイトの前で、へきるはがくぽの顔面に痛烈な平手打ちを食らわせた。
「がっくん、正気!!借りねこ借りねこ!!」
「ぁああああああああ…………………っ」
痛む顔面を押さえ、がくぽは一瞬だけ後ろを向く。
「愛い!!!」
叫ぶと平静な顔を取り戻し、怯えるカイトを振り返って元の通り、嫣然と微笑んだ。
「あああ、あのあの、マスター?」
「先輩だけどね。がっくんはまだ、修行中の身なんだよ」
もっともらしく言ってから、へきるはさらに怯えた顔になったカイトに、慌てて手を振った。
「違うちがう!別に悪いことしても、カイトのこと、ぶったりなんかしないって!ええとつまり、がっくんは…………がっくんと俺は、お笑いの修行中なんだよ!今のはツッコミの練習!!」
苦しい。
苦し過ぎる言い訳だ。
だが最前から言っているように、反応が鈍く、おっとりしているのシリーズKAITOの特徴だった。
「そうなんですか」
「納得した!!」
自分で言っておいて、へきるは思わず涙を拭った。
ほわんとした笑顔に戻ったカイトは、ふと気がついた顔で自分の体を見下ろす。
「あれ、コート………」
「いや、あれはちょっと………」
血まみれで、という言葉は躊躇われて口ごもるへきるの脇から、がくぽがそっとカイトへと身を寄せた。シャツだけのカイトの肩に、ふわりと。
きょとんとしたカイトに、がくぽはやさしく微笑む。
「マスターの母御殿からの贈り物ぢゃ」
「かーちゃんっ?!!」
へきるは頭を抱えて叫んだ。
がくぽがカイトの肩に着せかけたのは、風呂敷から出した、自分と揃いの着物だった。つまり、花魁の。
「母御殿の手作りぢゃ」
誑かす詐欺師そのもののやさしい笑みを浮かべ、がくぽはカイトの肩を軽く叩く。
「ぬしは斯様に歓迎されておる。はぢめは戸惑うことも多かろうが、その一事は忘れてくれるな」
「いやかーちゃん………早速ナニしてんの……………」
頭を抱えるへきるを無視して、がくぽはベテランの花魁よろしく、余裕たっぷりに微笑む。
それが男物でないことは一目瞭然なのだが、カイトは心からうれしそうに笑って、がくぽを見上げた。
「きれい。うれしいです、すごく」
へきるは頭を抱えていて、ちょっと警戒心がお留守だった。
「堪らぬ!!愛いぃいいい!!」
「ひきゃっ?!!」
――どうしても萌え上がるがくぽは、カイトをぎゅうっと抱きしめるとベッドに押し倒した。