部屋から出て襖を閉め、がくぽは首を傾げる。

「面妖なやつぢゃの。好いている相手に迫られて、どうしてああも拒絶するのぢゃ。自分から襲うてもおいて。ああいうのをデレツンというのか?」

首を傾げるがくぽには、デリカシーとかモラルとかいう言葉が存在していなかった。

だが、『センサー』は敏感だった。

ピンクハウスブルーマガジン-12-

ふと首筋が痒くなって、なんの気なしに掻きつつ、傍らのカイトを見下ろす。

「…」

「…」

珍しくも、不機嫌そのものの涙目で睨まれていた。

がくぽは首を掻きながら、首を傾げる。

「………カイト?」

「キヨテルさんが好きなんですか」

「は?」

唐突な問いに、がくぽは純粋に瞳を見張る。

カイトの瞳の涙が、さらに盛り上がった。

「あ、あぃ…………愛してるって、言いましたっ。キヨテルさんに!!」

「言ったか?!」

「言いましたぁっ!!」

驚いて叫んだがくぽに、カイトはとうとう、ぼろっと涙をこぼして叫び返した。

「律義なとこを愛してるって…………あいしてるってっ!!」

「………ああ!」

がくぽの言葉の90%は思考を経ずに発されている。ロイドでそれがあるかというと微妙だが、少なくともがくぽの感覚でいうと、そうなる。

カイトにささやく愛の言葉が残りの10%の、考え抜いた末の本音だが、他人にその区別をつけろというのが、そもそも無理だ。

「がくぽさ………っぅわき…………っっ、ふたまた…………っ」

「待ちゃれ、カイト!」

泣きながら詰られて、さすがにがくぽもたじたじとなった。

なんだかんだと好き勝手にやって、カイトのことを泣かせてきたが、これはパンチ力が違った。

泣くカイトかわゆいかわゆいカイト、と萌えている場合ではない。もちろんかわいいが、危機だ。

「ぅ……ぐすっ」

「あのな、カイト………ぬしな、ねこは好きぢゃろう?」

「?」

考えた末に言いだしたがくぽに、カイトは涙をこぼしたまま首を傾げる。

「ねこぢゃ。愛らしいイキモノぢゃと思わぬか?」

「………はぃ。かわいーです、とっても。でも」

誤魔化されない、と反駁しようとしたカイトのくちびるに、がくぽは人差し指を当てる。

「ねこにはとても見えぬでも、我にとってテル蔵は、ねこと同じぢゃ。つつくとオモシロイおもちゃぢゃ」

動物愛護団体から吊し上げを食らいそうだ。

しかしカイトは、動物愛護団体の回し者ではなかった。うるるんと潤んだ瞳で、健気にがくぽを見上げる。

がくぽは困ったように微笑んだ。

「ぬしとて、ねこが愛らしいしぐさを見せれば、愛しいと言いもしようテル蔵への、我の愛情も同じぢゃ。わかったか?」

「ん……っ」

ぐす、と洟を啜って、カイトは頷いた。

「わかりました………」

ぐすぐすと洟を啜る。

その瞳が、決然とした色を浮かべた。

「世界中のねこを滅ぼす旅に出ます!!」

「意外と激しいの、ぬし?!」

カイトが出した意想外な答えに、がくぽは素っ頓狂な声を上げた。

目を剥いたがくぽを、カイトは恨みがましそうに見上げる。

「ねこでもダメです…………っ。がくぽさんが『愛してる』って言っていーのは、俺だけだも……っ」

再び泣きそうになってしゃくり上げながら、カイトはきっぱりと言う。

がくぽに決然として背を向け、歩き出した。

「そういうわけで、ねこを滅ぼしてきます……!!」

「まさかの大魔王降臨!」

むしろ感嘆して叫んでから、がくぽは歩き出したカイトの肩を掴んだ。

「だが待てそれでは、ねこがとばっちりぢゃ。我はテル蔵をねこに喩えただけで、ぬしの真の敵はテル蔵ぢゃろう?!」

「じゃあ、世界中のねことテル蔵さんを滅ぼしますぅう……っっ」

「どうしてもねこを滅ぼしたいのか!」

完全に駄々っ子と化したカイトに、がくぽは軽く天を仰いだ。

ヤキモチを妬くカイトはかわいい。

かわいいが、放っておくと、ご近所で動物虐待事件が起こる。

いや、やさしいカイトにそんなことが出来るとは思わない。

思わないがしかし、ねこを抱きしめて、『ころせないよぉっ!!』くらいは泣き叫びそうだ。

そうでなくても奇行の目立つオタク一家として遠巻きにされているというのに、そんなことが起きたら、ロイド虐待の疑いで警察に通報されてしまう。

そこから芋づる式に、バレる御禁制品。

杉崎家的危機ではない。両親どちらも、一族的にオタクなのだ。

一族的危機。

なんとか宥める術はないものかとカイトを見下ろして、がくぽはふと、カイトの腰に目が行った。

正確には、腰に括りつけられたかわいらしいポシェットから、ぶら下がる物体に。

「カイト………っ。腰の、なんぢゃ、それ?!」

がくぽの見るところ、それは今まさに話題にしていた――

「まさかぬし……っ」

「ふわゃっ」

意味不明な声を上げて、カイトはポシェットから『それ』を取り出した。

「…っ」

がくぽは別の意味で沈黙する。

カイトが無造作に掴み出したそれは、変態オタクの家になら必ずあるであろう、ブツだ。

とはいえ、それをカイトの手が。

ねこしっぽです」

「そうぢゃな」

鷲掴みしたそれを目の前に突きつけられ、がくぽは平板な声と表情で頷く。

いかにも、それはしっぽだ。

その細さや全体の形状からいっても、ねこのものと言っていいだろう。

「あっ、あっ、違いますねこしっぽですけど、違います!」

がくぽがしたであろう誤解に思い至り、カイトは慌ててねこしっぽを振る。

後にしてきた自分たちの部屋を、無邪気に振り返った。

「ほら、レンくんにねこみみしたでしょう。あれといっしょに置いてあったんです」

「どこで見つけた」

おかあさまのひみつばこです」

カイトはあっけらかんと言う。

ひみつばこ――秘密箱というなら当然、隠してあるはずで、さらにそこに仕舞われているのは当然、秘密のもので。

ねこみみとねこしっぽ、両方つけたらカンペキだと思ったんです。マスターもおかあさまもパパも、いつもそう言いますから」

余談だが、マスターの母親はカイトに『おかあさま』と呼ばれると萌え死ぬ。そして父親のほうは、『パパ』と。

どこの誰ならいったい救えるのか、わからない家族だ。

「とりあえず、素のレンくんで勝負して、ダメだったらねこ化っていうことにして…」

「…」

凝然と見つめて聞いているだけのがくぽを気にせず、カイトはねこしっぽをこねくり回す。ねこしっぽを。

「でも、しっぽのつけ方、わからなくて。だってこれ、引っ掛ける金具もついてないし……」

「…」

表情豊かながくぽにしては珍しく、今や彼はまったくの無表情だった。

「……………そうか。ぬし、コレのつけ方が、わからぬか」

「はい」

淡々と訊いたがくぽに、カイトはねこしっぽの――『グリップ』部分を両手で挟み持って、胸元に掲げて頷く。その瞳は、どこまでも無垢だ。

「でもとにかく、なまねこさんから引っこ抜いてきたものじゃないですなまね…………っひぅっ!!」

自分で自分の言ったことを想像してしまったらしい。

さっきまで滅ぼす滅ぼすと主張していたのに、カイトはその悲惨さに涙目になってしゃくり上げた。

こういうところは微妙に、マスターであるへきるに似てきている。

そこに気づいて、がくぽはわずかに眉をひそめた――聞き耳など、立てはしない。立てはしないが、しかし。

「平日の昼間から、美事な爛れぶりぢゃ」

いかがわしいホテルではない一民家でありながら、すでに二部屋が。

「――それが三部屋に増えたところで、どうということもないぢゃろうの」

「んく、がくぽさん?」

なまねこさんなまねこさん、ひどいよだれだこんなことするの――と、想像上の虐待事件に涙目で抗議していたカイトは、首を傾げてがくぽを見た。

その手は、相変わらずねこしっぽを握っている。

おそらくカイトが持ち手、『グリップ』だと思っている部分を。

まあ確かに、まったくの間違いではない――そこをどうするかは、それこそ使用者の好きに任されているのだし。

ただ、がくぽの主観に則って言わせてもらうなら、このねこしっぽはれっきとした『大人のおもちゃ』であり、『大人のおもちゃ』を恋人が持っている現状。

無表情のまま、がくぽは上を向き、首の後ろを叩いた。

一転、がくぽはにっこりと華やかな笑みを浮かべてカイトを見つめた。

「よしよし。ならば我が、ソレの使い方を教えてやろうの。それで詫びとさせてくれぬか」

「ほえ……」

あまりにきれいな笑みに瞬間見惚れたカイトは、ややしてぱっと頬を紅潮させた。

「えっえっ、がくぽさん、つけ方わかるんですか?!」

泣きべそはどこへやら、瞳を見開いて、きらきら輝く表情になる。

さっきまでの怒りも、『なまねこさんしっぽ引っこ抜かれ事件』(架空)ですっ飛んでしまっている。

だからいつも通り、純粋に、がくぽへの崇敬の念だけが溢れていた。

そうと察して、がくぽはますます華やかに微笑んだ。

「もちろんわかるとも。ぬしもわからぬままでは困ろういづれや、ねこみみとねこしっぽをつける日も来ることだろうしの」

「んぐっ」

そのがくぽの言葉には、さすがにカイトも微妙な表情を返した。

情けなさそうに、自分の姿を見回す。

容赦なくリボン、容赦なくレース、容赦なくスカート、容赦なくゴスロリ。

「………………ふつーのおとこのこに、なりたいです……………」

遠慮しいしい主張したカイトに、肩に羽を生やしたヴィクトリアンレディは朗らかに笑った。

「我は見てみたい。さぞやかわゆかろう。おそらくこのねこみみとねこしっぽとて…」

母親御殿がそのうち、つけさせるつもりで、と言い差して、がくぽは口を噤んだ。

使用法を知った場合、カイトの混乱は必至だ。そうでなくても、未だに馴染みきっているわけではない。

母親の思考傾向から考えて、しっぽのほうはがくぽに渡されたはずだ。

『ねこねこカイトちゃんカンペキ』の完成は、がっくんの手にかかってるのよとかなんとか言って。

「がくぽさん?」

束の間考えに沈んだがくぽに、カイトが訝しげな声を上げる。

がくぽはすぐに笑みを浮かべると、カイトの頬を撫でた。

「よう似合うと思うぞ?」

「……………そんなの、がくぽさんのほうが、ずっと………」

「んー…」

耳までは許容範囲だ。というより、すでに経験がある。

この家との付き合いも、そこそこ長いのだ。一通りのことはやったと考えていい。

だがしっぽはさすがに経験がないし、これからも経験するつもりはない。

がくぽは微妙な笑顔を閃かせ、頬を撫でていた手を滑らせた。首を辿り、肩を抱く。

「とりあえず、しっぽの使い方を教えてやろうの」

「はいっ」

無邪気に笑って寄り添いながらも『しっぽ』で遊ぶカイトに、がくぽは軽く天を仰いだ。意味はないのだが、癖で首の後ろを叩く。

無垢も無知も、カイトの得難い資質だ。それが『カイト』であるというだけで、こうも愛しく――

「愉しいの」

「はい」

がくぽのつぶやきに、カイトが笑う。

悪魔と天使の対比が、そこにあった。