カイトの寝起きは悪い。
しかしあくまでも、悪いのは寝起き、起動だけだ。寝つきが悪いとか、そもそもの睡眠の質が悪いということではない。
言ってもロイドだ。休眠は自分の意思に因らない半ば強制的なもので、そこにいいも悪いもない。
だから、起動にこそ多少は手間取っても、一定時間が過ぎればすっきりと目覚める。
――はず、だ。
War of Sleeping Beauty-2回戦-
「…………なんじゃ、カイ兄者。今日はまたずいぶんと、ぼんやりしておるの」
ダイニングに入って来たグミは、きょとんと首を傾げ、瞳を瞬かせた。
ダイニングテーブルに伏せるようにして、カイトがちょこなんと椅子に座っていた。姿勢もそうだが、お世辞にも顔色がいいとは言えない。
まるで寝不足の人間のような、ぼんやりとして具合のよろしくない、冴えない表情をしている。
たまに徹夜をしたマスターなどが見せる表情だが、カイトだ。
「寝ておらんのか、まさか?」
まずはキッチンとの境にあるカウンタに行ったグミは、中で朝食を作ってくれているリリィから寝起きのコーヒーを受け取った。しかしその間も、カイトから目が離せない。
「んーん…………寝た、けど………。ちゃんと。いつもどーり…………」
「それで、その顔か?」
声まで覚束ない。
カウンタに凭れたまま、グミは顔をしかめる。そのカウンタを、リリィがこここんと軽く叩いた。
「グミちゃん♪まちがいさーがしっ☆」
「『間違い探し』?」
端的に示された言葉は、意味不明だ。
さらに顔をしかめたものの、グミは言われるまま、『間違い探し』を始めた。
要は、いつもと違うところを見つけろということだ。
いつもと――
「ん?」
カウンタから離れることはなく、ダイニング全体を見回したグミの顔は、すぐに違和感に歪んだ。
気を落ち着けるために、ずずっとコーヒーを啜る。
カイトが、普通に椅子に座っている。
いや、違う。
カイトしかいない。
「…………どういうことじゃ?」
「そーゆーことぢゃー♪」
グミのつぶやきを、コンロに向かったままのリリィが見もせずに拾ってうたう。
楽しげな背中を見やってから、グミは再びダイニングに顔を戻した。
正解を口にしようとしたところでしかし、グミのくちびるは答えではなく、新しくダイニングにやって来た相手の名を紡いだ。
「…………がく兄者」
「応」
遅れてダイニングにやって来たもう一人の『兄』、がくぽの様子に、グミは呆れたように瞳を見開いた。
芸能特化型ロイドであるボーカロイドの中でも、ずば抜けた美貌を誇るのが、グミの兄であるがくぽのシリーズだ。
しかしグミの兄に限って言うなら、その美貌は常に無為と費やされていた。
ガラが悪いのだ。
顔は常に不機嫌にしかめられ、そのうえに態度は尊大、言葉は恐喝と、三拍子揃っている。
そんな調整した覚えないですよ?とは、マスターが酒を飲むたびに泣く泣く語ることだ。
ちなみにマスターの言葉は、敬語がデフォルトではない。ただ、酒が入ってがくぽのことを語る段になると、なぜか正座で敬語になる。
がくぽの普段の行状が知れるというものだが――
ともかくも、がくぽは新型ロイドだ。寝起きはいいし、寝つきが悪いとか、睡眠の質が良くないということもない。朝からかっ飛ばすのが常だ。
しかし今日のがくぽは、寝不足の人間そのままだった。不機嫌は不機嫌でも、いつもと性質が違う。
寝つきが良くなかったがために、よく眠れなかったがために、寝起きすらもはっきりと覚束ない。
「がく兄者までか」
「なにが…………」
グミのつぶやきすらも聞き漏らさず、不機嫌な顔を向けたがくぽだったが、言葉は続かなかった。
ダイニングテーブルについていたカイトが、勢い余って椅子を倒す派手な音とともに、立ち上がったのだ。しかもカイトは、ただ立ち上がっただけではなかった。
「がくぽ!」
「っ!」
目に見えそうなほどの喜色を含んだ声を上げると、歩いてくる途中のがくぽにばたばたと駆け寄る。加減もなにもなく飛びつくと、すぐさま両手を伸ばして頬を挟みこんだ。
くっと爪先立ち、がくぽの顔も引き寄せると、そのくちびるを熱烈に塞ぐ。
「ぅ………………っ」
「んん…………っ」
軽く揺らいだがくぽだが、無様に倒れることはなんとか堪えた。
その様子に一向に構わず、カイトは重ねるだけでなく、舌を伸ばしてがくぽのくちびるを舐める。
「がくぽ…………がくぽ…………っん…………っ」
「っの、……………っふ、ぅ……………っっ」
がくぽがなにか言おうと口を開いたところで、カイトは望みどおり、舌を押しこんだ。
言葉を塞がれ、壮絶に眉をひそめたがくぽだが、吸いつくカイトを引き離すことはしない。反対に腰を抱き、背を支えると、伸し掛かるようにキスを深くした。
「ぁ、ん…………っ、んん、ん……………っ」
きつく抱えこまれて口の中を漁られ、カイトは陸に揚げられた魚のように体を跳ねさせる。頬を挟んでいた手は滑って後ろに回り、がくぽの首に掛かって、ますます相手を引き寄せた。
わずかな隙間も厭うようにぴったりと密着し、カイトとがくぽはくちびるを交わす。
「ん…………っ」
「…………まったく、貴様というやつは……………っ」
ややしてかくりとカイトの足が折れ、わずかにくちびるが離れると、がくぽは掠れた声でいつものように罵った。
「本当に、手が掛かる兄だな………っ。弟の俺にこうまで手間を掛けさせるなど、恥知らずもいいところだぞ……!」
「ふぁ、あ、ぁくぽぉ……………っ」
もつれる舌で甘く叱りつけられ、カイトは落ちそうな腕で懸命にがくぽにしがみついて顔を引き寄せる。
「キスぅ…………おはよぉ、して…………っ」
「ったく…………!もう貴様、俺のやること為すこと、煩くぎゃあぎゃあ言うなよ………?!」
「んんんっ」
叱りつけながら、がくぽは崩れるカイトを支えて再びくちびるを塞いだ。
単に重ねるのみならず、痺れた舌を伸ばして互いに絡め、口の中を弄って唾液を啜る。
支えられてようやく立っている状態のカイトは、それでも懸命にがくぽにしがみついて、『おはようのキス』に溺れこんだ。
「……………つまり、なんじゃ」
カウンタに凭れて立つグミは、愛らしい瞳を眇め、ずびずびと音を立ててコーヒーを啜る。
キッチンで忙しく立ち働いていたリリィは笑って、カウンタにぴょんこと顔を突き出した。
「昨日はね、カイトくんたってのお願い☆で、二人とも別々に寝たみたいよ~♪」
「ほぉおう…………」
ずびずびずるずるとコーヒーを啜るグミの前で、兄二人の熱烈過ぎる『おはようのキス』は、一向に終わる気配がない。
ロイドだ。
寝起きのいい悪いは、イコールで起動の問題が絡むために、スペック的に存在する。
しかし寝つきのいい悪いだの、睡眠の質のいい悪いだのということは、本来的に存在しない。
はずだ。
「新婚夫婦でも、こうまでではなかろうに…………二人ともいい加減」
「あら、マスター♪おっはぁ~☆」
兄弟だなどと嘯くのは止めたらどうか、とグミがつぶやく途中で、カウンタに顔を出したままのリリィが明るく弾む声を上げた。ついでに、手も振る。
しかしダイニングの入り口に立ったマスターは、手を振り返してはくれなかった。
普通に生活していれば、滅多にお目にかかれないほどの熱烈なキスを交わす己のロイド二人(註:どちらも男)に、完全に石化している。
「まったく、現代っ子の脆弱なことよ………」
――ぶすっとつぶやくグミだが、補記しておくと彼女らのマスターはすでに成人し、働いている。『家族』を支える立派な成人男子で、『子』ではない。
しかしそういった、些細なことにこだわるグミではなかった。
飲み干して空になったコーヒーカップをカウンタに置くと、グミは軽い足取りで跳ねて行き、凝固するマスターに飛びついた。
「マスター、おはようじゃ!」
「っのわっ、グミっ?!」
成人男子でありながらも、脆弱な現代っ子と罵られるに相応しく、マスターは少女のグミを支えきれずに無様に揺らいだ。背後すぐが壁で体を預けられなければ、そのまま床に尻餅をついていただろう。
「マスター♪おっはぁ~☆」
「あ、ああうん、りりちゃん、……に、グミちゃんも。おはよう」
キッチンから出てきたリリィにも目の前で挨拶されて、マスターはとりあえず言葉を返した。
だからといって、無視できる光景ではない。未だに男二人はちゅうちゅうと、熱烈に吸いつき合っているのだ。
しがみついてぶらぶらしているグミを抱き上げながら、マスターはリリィへと引きつり笑いを向けた。
「え、ええと、りりちゃん、あのその、あれは、ええと、いったい…………」
どういうことかと問うマスターに、リリィはにっこり愛らしく笑った。
「見たままよ、マスター♪」
「ああそうか、見たまま………うん、そうだね、見た、みた…………まま」
「んぎゅっ?!」
リリィの返答に怪しげな方向で笑ったマスターは、腕に上げたグミをぎゅううっと力いっぱい、抱きしめた。縋るしぐさにも似ているが、脆弱のなんのと罵られても、一応は成人男子の力だ。
素直に潰れた声を上げたグミだったが、マスターに構う余裕はなかった。
吸いつき合う男二人から体ごと顔を背けると、がたがたぶるぶると震え、天を仰ぐ。
「め、目がぁっ!目がぁああっ!!」
悲痛な声で叫ぶマスターに、リリィは笑って耳を塞いだ。
「きゃ~♪」
「あー……………」
楽しそうに悲鳴を重ねるリリィと対照的に、ちょっぴり潰され気味にマスターに抱え上げられているグミのほうは、呆れたように頭を落とした。
マスターの肩に顎を乗せると、ちゅうちゅう吸い合う兄二人をじっとりじっくりと眺める。
「ん…………ぁ、ぁく……………ぁくぽ、もっとぉ……………っ」
「手の掛かる兄め…………世話を焼かせおって………………」
「ん、ごめ…………ぅんん……っ」
ひたすらキスを強請るカイトと、なんだかんだと腐しながらも、望むだけくちびるを与えるがくぽと――
グミはぷうっとくちびるを尖らせると、未だに目が目が叫んでいるマスターに、ことりと凭れた。
「現代っ子ならば、もそっと柔軟性が欲しいものじゃが、――あり過ぎるのも、問題なのかのう………」