「ちーーーーーーーーーーーーーんっ♪」

War of Sleeping Beauty-停戦中-

至極神妙な顔のリリィは、口でお鈴を鳴らした。その表情まま、座らせたマスターの眼前に、穴に紐を通した五円玉を垂らす。

「はぁい、マスターよぉおっく見て~、リリィの言うこと、くり返して言ってね~?」

ぶらんぶらんぶらんと五円玉を揺らしつつ言うリリィに、茫洋と霞んだ瞳のマスターはもごもごと口を蠢かせる。

「りりたん………の、いうこと…………」

「見たものは~、見たままに~、受け入れる~♪」

「みたもの……は~………みたまま…………にぃ~……………」

「そぉそぉ~大事なことだから、二回やるわよ~見たものは~☆」

「みたまま…………うけいれ……………」

――同じダイニングテーブルの片隅でくり広げられる、多少道義的問題のある光景は、その家族たちにさくっと無視されていた。

たぶん飲めないだろうとは思いつつも、グミはようやく椅子に座った兄のために、コーヒーを注いでやった。

一応、目の前のテーブルにカップを置いてやると、兄の隣に腰を下ろす。

本来的にがくぽの隣のその席は、カイトのものだ。

しかし現在、カイトはがくぽの膝の上に乗っている。もうひとつ言うならば、この席が活用されていることは、ごく稀なことだった。

がくぽがいる限り、カイトは普通に椅子に座らない――座れない。

がくぽが必ず、自分の膝へと招くからだ。

ちなみに、カイトとがくぽが家に揃っていて、この二人が別行動であるということも、ごくごく稀なことだった。

なんだかんだと言いつつ、がくぽは常にカイトを追いかけ回している。がくぽがカイトを追いかけ回していないときは、カイトががくぽを追いかけ回している。

――まあいい加減、マスターが目を瞑っているのにも限界があるのだ。

「起きぬか?」

「ああ、ぐっすりだ。まったくもって、手が掛かるったらないわ、うすらぼんやりめ」

「……………」

現状、カイトはがくぽの膝に乗せられているだけではなかった。がくぽにきゅうっとしがみついたまま、ぐっすりすやすやとおねんね中なのだ。

長いながいキスがようやく明けたのも、そもそもはカイトが途中で寝潰れたからだった。

常になく長くしつこいキスによって、意識が飛んだのではない。

がくぽを堪能しきって満足したカイトは、ごく素直な欲望まま、足りない睡眠を補うべく寝落ちた。

それでもきつくしがみついて離れないカイトを抱き、がくぽはごく平然とダイニングテーブルについた。

なんだかんだどうだこうだと腐しながらも、がくぽがカイトを手放すことはない。

言葉の横暴さに見過ごしがちだが、カイトに対するがくぽのしぐさは壊れ物を扱うようで、ひどく丁寧で――過分に、慎重だ。

動作だけ取ったなら、どこの『がくぽ』にも負けず劣らず、優美にして気品に溢れていることがわかるだろう。

もちろん動作だけ抜き出すことは不可能なので、結局のところはちんぴらと総括されるしかないのだが。

「のう、がく兄者」

カイトを抱えて椅子にふんぞり返っているがくぽを、グミはテーブルにべたんと懐いた状態で見上げた。

「カイ兄者は別に、がく兄者と同衾するのを嫌がっているわけではないと思うぞがく兄者が夜中にこっそり、布団に忍びこんでおるというのが嫌なのじゃろう。カイ兄者が寝るときからきちんと、共寝をしてやれば――」

こんなふうに、ごたごたとすることもない。

聡い兄のこと、冷静になって少し考えれば、すぐにわかるはずだ。

窺う瞳で言うグミに、がくぽは眉をひそめ、わずかに身を引いた。

「グミ、そなたな………芯から冷酷な女なのか。それともまさか、まったくわかっておらんとでも言うのか?」

「んぇなんじゃ?!」

まさかこの兄に引かれると思っていなかったグミは、テーブルに懐いていた頭をわずかに浮かせる。

きょときょとと瞳を瞬かせる妹に、がくぽはカイトを抱く腕に力をこめ、低く吐き出した。

「いくらどうでも連日となれば、これの身が持たんだろうが。寝ているなら、俺とて理性の利かせようもあるが………。仕様がないだろう」

「れん……………りせ…………………」

詰るように吐き出された兄の言葉をきょとんとくり返してから、グミは愛らしい瞳をすっと眇めた。再びべたんと、テーブルに頭を懐かせる。

「がく兄者……………」

「起きているこれに利く、理性の持ち合わせはない」

「兄者………………」

きっぱりと言い切るがくぽに、衒いも恥じらいもない。

なにもかもが、本当に残念な兄だ。

美貌も男ぶりも、与えられたすべてが残念にしかならない――

「時に、リリィ。そなた、なにをしている」

「んぇ?」

呆れて言葉を失ったグミにも悪びれたり己を省みたりすることなく、がくぽはもうひとりの妹へと顔を向けた。

彼女は確か、心が弱ったマスター相手にアレ過ぎる対処法をやっていたはずだが――

訝る瞳で見据える兄と、釣られてきょとんとした視線を向けたグミに、五円玉を仕舞ったリリィはにっこりほわわんと笑った。

「いい機会だから、婚姻届にマスターのサインを貰っておこうと思って~♪」

「「こんいんとどけ」」

奇しくも揃ったがくぽとグミのつぶやきに、リリィは腹黒さの欠片もないにっこり笑顔のまま、軽く首を傾げてみせた。

「ほら、ロイドの『結婚』って人間の未成年者と同じで、『保護者』のサインがいるじゃないつまりこの場合は、『マスター』だけど」

「それは知っているが」

「だから、おにぃちゃんとカイトくんの婚姻届ね今のうちに、サイン貰っておこうと思って☆」

「…………………」

「…………………」

明るく告げるリリィに、がくぽとグミはくちびるを引き結んだ。

グミは結局呆れて、テーブルへと頭を懐かせる。

がくぽはというと、腕の中で安心しきってすいよすいよと眠るカイトにちらりと視線をやってから、頷いた。

「そなたはまこと、頼りになる妹よな、リリィ」

至極まじめに吐き出された言葉に、リリィはうれしそうに笑って、ぱんと両手を打ち合わせた。

「ぁっはリリィ、褒められちゃったぁ~♪」

「ぁっは……………りりたん、ほめられ…………………ぁっは………………♪」

笑うリリィの、その前。

婚姻届にサインを終えたマスターの目は、いい感じにぐるぐる回っていた。