「今日こそっ!」
リビングを出たカイトは、自分に気合いを入れ直した。
War of Sleeping Beauty-4回戦-
夜、カイトが寝てから勝手に部屋に入りこんだ挙句、いつの間にか同衾しているがくぽだ。
ずっとその状態だったが、いくらなんでもこのままではいけないと思い直して対策を練ること、数日。
カイトが粘りに粘っての粘り勝ちで、別々に寝た最初の施策は、あらゆる意味で失敗だった。
うっかりしたことに、カイトはがくぽに抱きしめられて寝ることに馴れきってしまっていたのだ。
朝になって抱きしめられておらず、まったく挨拶から逸脱している『おはようのちゅう』もできないと、さっぱり目を覚ませない体になっていた。
そもそもがくぽはカイトが寝てから、勝手に潜りこんできて、勝手に抱きしめて、勝手に寝ている。
人間ではなく、ロイドの睡眠だ。一度寝たらおいそれと起きないのはもちろんだが、そこまでされても意識になんらかの影響を及ぼすこともない。
はずだ。
しかしがくぽが抱いていてくれないと、電源が落ちているに等しいカイトの睡眠はぼろぼろで、そうでなくても悪い寝起きもまた、――
カイトは思いきりがいい。ひとつのことに、こだわりもしない。
最初の施策、別々に寝ることは、早々に諦めた。
そうとはいえ、夜の夜中に勝手に潜りこまれているというのも、嫌だ。ここの改善は諦めたくない。
しかしいくら説明しても、がくぽはさっぱり聞く耳を持ってくれなかった。
確かに生活時間も、多少は違う。
だが思うに、がくぽはこと睡眠に関しては、カイトとわざとずらしている感がある。
本来はがくぽもカイトが寝る時間に、布団に潜りこんでいるはずなのだ。それをわざわざ、カイトが寝てから布団に潜りこむために、ずらしている。
カイトが少しでも夜更かしをしようとしたときの反応が、そうだ。
『貴様はそうでなくてもうすらぼんやりしているのに、さらに寝惚けてうすらぼんやりして、弟の俺に面倒を掛ける気か!』
――と言いがかりをつけて、カイトを早々にベッドへと追いやる。
一応、いっしょに寝ようよと、おねだりもしてみた。どうせ潜りこむなら、わざと時間をずらすことなく、いっしょの時間に布団に入ればいい。
カイトとしては、知らぬ間に潜りこまれているのが嫌なだけで、同衾自体は――いい年した男同士でなにをやっているのかとは思うが、それほど抵抗はない。
意識がないところに潜りこまれているのが、嫌なのだ。
しかしこちらは粘りに粘って説得しても、かわいこぶっておねだりを重ねても、駄目だった。
別々に寝るほうが、がくぽはまだあっさりと頷いてくれた――『どうせ貴様は、すぐに撤回するしな!』という捨て台詞こみで、しかもその通りだったが。
理由を訊いても、曖昧に濁されて教えてもらえない。
カイトは思いきりがいい。ひとつのことに、こだわらない。
がくぽの説得は、早々に諦めた。
そこで取った次の施策が、カイトががくぽの布団に潜りこんでやることだ。
寝る時間になれば、どうしてもカイトが先に寝室へと追いやられる。がくぽは大体リビングで時間を潰していて、自分の部屋では過ごしていない。
それでも布団は敷いてあるから、潜りこんでいることは可能だ。
潜りこんで――がくぽが部屋へと引き揚げてくるのを待って、そこで抱っこ抱っこでいっしょに寝ればいいのだ。
が。
「うっかりした………まさか、先に寝ちゃうなんて」
照明を点けることもないまま、真っ暗闇のがくぽの部屋に入りながら、カイトはちろりと舌を出す。
潜りこんで、そして寝てしまっては、わざわざがくぽの部屋にまで来た意味はない。そこで起きて待っていなければ、自分の部屋で寝ているのと変わらない。
ちなみに自分の部屋で起きて待っているのではなく、がくぽの部屋で待っていることにした理由はふたつだ。
ひとつは、無断で自分の部屋――布団の中に誰かが潜りこんでいるというのは、気分が悪いものだろうと、実地でがくぽに教えるため。
もうひとつは、カイトが起きて待っていたためにがくぽが驚いても、ベッドから落ちて怪我をすることはないという点だ。
ベッドから落ちたら、それがカイトであれがくぽであれ、どちらにしても惨事だ。
しかし畳に敷かれた布団ならば、害は少ない。
意趣返しと思いやりと、双方からがくぽの部屋で待っていることにしたカイトだったが、初日は失敗だった。
起きて待っているつもりが、寝てしまったのだ。
「そもそもは、がくぽが悪いよねー」
つぶやきながら、カイトはすぐに布団に行かず、まずは扉そばの部屋の隅に行く。
昨日は布団をまくって中に入って、そこで違和感を抱いたのだ。
他人の布団だから感触が馴染まないということに限らず、非常に不快な違和感だった。思わず、追求せずにはおれないほどの。
そして追求した結果、『においがない』という結論に達した。
がくぽの部屋で、がくぽの布団だ。当然そこには、主のにおいが染みついていていいはずなのに、布団からはよそよそしいにおいしか、しなかった。
――そもそもがくぽは毎晩布団を敷くが、ここで寝たことはない。常にカイトのベッドに潜りこんで寝ているからだ。
だというのに、未使用のシーツも布団も、こまめに洗濯して、日干しにしている。
いくら同じ部屋に置いておこうとも、がくぽのにおいが移るまでではないのだ。
「がくぽの布団なのにがくぽのにおいがしないなんて、言語道断だよ。まったくもう」
カイトは暗闇にもめげず、コート掛けからがくぽの羽織を迷うことなく取った。
くしゃっと抱きしめてそこに鼻を埋めると、表情がとろんと甘く蕩ける。
「ん…………」
そこにがくぽがいて甘えるかのように鼻を鳴らし、カイトはしばし羽織との抱擁に耽溺した。
「っと」
ややして我に返ると、皺も気にすることなくくしゃくしゃと羽織を抱きしめたまま、布団に向かう。まくって横になると、がくぽが入れるように端に寄ったうえで、布団を被った。
再び羽織に鼻を埋めると、カイトのくちびるからはとろりと甘えた声がこぼれる。
「がくぽ…………」
――ちなみに昨日は、ここで寝落ちたカイトだ。不愉快なまでの違和感を解決した達成感に満たされて、当初の目的をきれいさっぱりと忘れた。
がくぽの部屋でがくぽの布団に寝ることが、目的ではない。
「んー……………」
羽織を抱きしめて、その主のにおいに満たされたカイトの表情は、どうしてもとろりと蕩ける。今にも眠りこみそうな。
違うのだ。
起きて待っていなければ、意味がない――しかし満たされてしまって、うっかり眠りこみそうになる。照明を点けていればまた違うかもしれないが、暗闇だ。
さらに眠気が増す。
「…………何時くらいに来るものなんだろ」
いつもすっかり眠ってしまってから入りこまれているので、実のところカイトは、がくぽが何時に寝ているのか、知らない。
ただ、ロイドに求められる規定の休眠時間というものがある。朝の起きる時間から逆算するに、驚くほど遅くはないということが、おぼろに推測可能だ。
「んー……………っ」
昨日は結局、先に寝てしまった。
眠っている相手を放り出したり、叩き起こしたりするようながくぽでもなく、そのまま抱いて寝てくれた。朝は朝できちんと、『挨拶』もした。
そのあとにこってりと絞られたが、難癖か言いがかりかというようながくぽの説教に、駄目な感じで慣れているカイトだ。
すべてすっぱり聞き流した。
とりあえず昨日はここで、いっしょに寝たのだ。一晩なので大したことはないが、がくぽのにおいがそれなりに移っている気はする。
がくぽに抱かれて、――
「ねーむーひー………………」
呂律の回らない舌でつぶやき、カイトは抱いた羽織をはむんと咥えた。まるで赤ん坊のようにはむはむちゅくちゅくとしゃぶりながら、眠気を堪える。いわば、眠気覚ましのガムだ。
そうやって待つこと、永遠にも思えるような、わずかな時間。
「貴様というやつは………っ!朝の俺の話を、どう聞いていた…………っっ?!」
「んーっ」
零時も回ってしばらく、ようやくやって来たがくぽは、床にがっくりと膝をついて呻いた。
どう聞いていたもなにも、聞いていない。きれいさっぱりと、聞き流したのだから。
もちろんそんなことを素直に言えば、さらなるお説教の嵐だ。夜も夜中の、この時間に。
もうひとつ言うなら、カイトの眠気もいい加減、限界だった。
「ぁくぽぉ…………らっこぉ……………」
「貴様…………っ!!」
まるで反省なく手を伸ばしたカイトに、がくぽはきしきしぎりぎりと奥歯を軋らせる。
慣れているのでまったく構うことなく、カイトは軽く布団をまくって、がくぽへと手を差し伸べ続けた。
「ぁくぽぉ…………はやくぅ………………」
「………っっ」
呂律の回らない、いつも以上にさらに蕩けた甘い声で強請るカイトに、がくぽはとうとう言葉を失う。
珍しくも悄然とした様子で、床に膝をついたまま、項垂れた。
「ぁくぽ…………」
とろりと甘く呼ばれ続け、がくぽの中でいろいろなものが折れた。
「し、かたの、ない、兄だな………、貴様………っ!弟の、俺に、……これだけ面倒を、掛ける……とは………っ」
とうとう、絶え絶えの様子でそうつぶやいた。
その体がもそもそと動いて、カイトの傍らに潜りこんで来る。
「っあ、貴様っ!また俺の羽織をっ、ぶっ」
「んー…………っ♪」
『本物』が来た以上、『代替品』に用はない。
カイトは羽織を布団の外に投げ、替わってがくぽの頭をきゅうっと抱きしめた。
兄だ弟だとがくぽは頻繁に口にするが、カイトにその意識は低い。
兄なのだから弟の俺を甘やかせと言われても、知ったことかと思うが――
「だっこしてあげるから…………いーこに、寝てね、がくぽ……………」
「っっ」
ほんわりと笑いながら、カイトは抱いたがくぽの額にくちびるを落とす。そのままちゅっちゅとキスで辿り、カイト相手には無防備なくちびるにくちびるを重ねた。
「ん…………」
「く、ふ………っ」
「んふぅ…………」
開いていた口の中に舌を差しこみ、カイトは甘える鼻声を上げる。
抱きしめる腕にも力が篭もって――
「っそこで寝落ちるから、貴様はうすらぼんやりだと言うんだっ、畜生っ!!」
がくぽの叫びを、遠い意識に聞いたような。
微妙に残念な感じで慣れているカイトは、さっぱり構わない。
ひどく満たされてしあわせな気持ちで微笑んだまま、さっくりと眠りに落ちた。