のり↑のり↓-01-
氷鉄家の古びたダイニングテーブルに、家から持って来たタッパーを置く。
蓋を開いて中身を見せると、カイトの傍らに立ったがくぽはしばらく沈黙してから、懊悩する声を吐き出した。
「………貴様、確か、『ロールキャベツ』を持って来たと言わなかったか………?」
「……………言ったよ」
答えるカイトの瞳が、泳ぐ。
持って来たのは、『ロールキャベツ』だ。今は家に不在の、さがりのリクエストによって。
つい最近、カイトのマスター一家と家族ぐるみで付き合っている隣家、氷鉄家に、長男のさがりが帰って来た。
理由は簡単で、父親の海外赴任が決まり、両親が揃って家を空けることになったため、留守居を頼まれたのだ。
ただ空き家にしておくのは不用心だし勿体ないから、と両親に請われて、ここ数年、まったく音沙汰のなかった長男は、ようやく実家へと帰って来た。
仕事上のパートナーである、ボーカロイドを伴って。
実のところ、カイトはさがりのことを知らない。
カイトが買われたときにはすでに、さがりは家を出ていたのだ。
先に買われていたメイコは、ほんの少しばかり面識があるらしいが――盆暮れ正月にも帰ってくることはないし、同業であるカイトのマスターと仕事が被って、会うということもない。
だから、まったく初めまして状態なのだが、もちろん、昔からの付き合いであるカイトのマスターと、マスターの妹である未那にとっては、幼馴染み。ごく親しい存在だ。
逆に言えばさがりにとっても、ちょっと独特なところのある宇朽葉家のきょうだいは、よくよく馴染んだ存在ということ。
そのさがりが、俺にとっても妹だから、とカイトに言い切った未那に、「久しぶりに、未那ちゃんのつくったごはんが食べたいんだけど」と、リクエストして――
「………」
「………っ」
きれいであるがゆえに迫力のある瞳にじっとりと見られて、カイトは抗しきれずに目を逸らす。
「ほう!これが『ロールキャベツ』というものか……。なにやら面妖な色形じゃのう?」
「グミ」
がくぽの腰に張り付いていた少女、グミが首を伸ばしてタッパーの中を覗きこみ、無邪気な声を上げた。
さがりが仕事としてプロデュースしているのは、がくぽひとりだという話だった。
しかし氷鉄家に来てみればロイドはもうひとりいて、がくぽの『妹』で、グミだと紹介された。
この少女がまた、独特だ。
明るく愛らしい、現代少女そのものの所作なのだが、口調が妙に時代がかかっている。
髪型も服装もまったく現代風なのに、口調だけが。
さらに言うと、人見知りなのかなんなのか、兄であるがくぽの腰に張りついたまま、離れない。
さがりはひとりで挨拶に来たために、彼のロイドに会うのは今日が初めてだ。
その初めましてのがくぽは、実に尊大で俺様で、礼儀もなにもあったものではない性格だった。
引っ越しの日に宇朽葉家へ挨拶に来たさがりの、「悪気も故意も他意もあるけど、人当たりの悪い、付き合い辛いやつだから、よろしくね☆」という紹介が、ふざけてのものでも、謙遜でもなかったことがわかった。
しかしそうやって、邪魔くさく腰に張り付いている妹にはなにも言わないし、むしろやさしい。
そしてグミのほうも、兄のことを信頼して、とても懐いている。
無邪気そのもののグミを見下ろし、がくぽは苦々しい声を吐き出した。
「グミ、これは『ロールキャベツ』ではない。失敗作かなにかだ。覚えるな」
「そうなのか。あにさまは物知りじゃのう!」
きらきらと顔を輝かせるグミの頭をやわらかに撫でるがくぽに、カイトはきりっとした表情になると、一歩迫った。
「失敗作じゃないよ!!食べたらわかるけど、絶品だから!!未那ちゃんの料理は、その、色とか形とかがものすごく異様で奇異で独特だけど、味はいいんだよ!!これ食べたら、もう、高級レストランのロールキャベツだって、おいしいと思わなくなるから!!」
「……」
懸命に言い募るカイトを、がくぽは花色の瞳を見張って見つめる。
タッパーの中にあるものを、形容しろと言われると難しい。
少なくとも、ロールキャベツではない。
――ロールキャベツではないが、さがりはロールキャベツをリクエストし、未那はロールキャベツだと言って、カイトに渡したのだ。
だから、どう見えようとも、これはロールキャベツだ。
マスターの妹である未那は、カイトにとっても妹のような存在だ。無邪気に慕ってくれる彼女は素直にかわいいから、悪く言われるのも、思われるのも我慢出来ない。
どう考えても、非難の方に正当性があったとしても、だ。
「………では、貴様はこれが、ロールキャベツに見えると?」
「………っ」
胡乱げな表情で訊かれて、カイトはわずかに怯む。
見える、とは言えない――見えるとしたら、視覚が狂っているか、思考が狂っているかのどちらかだからだ。
一瞬だけ怯んでから、しかしカイトは胸を張り直した。
「見えなくても、ロールキャベツなの!!りょ、料理は見た目じゃないよ!味で勝負!!」
「これを口に入れる勇があると?」
「っ」
即座に切り返されて、カイトはびくりと竦んで口を噤む。
今でこそ耐性ができて、初めて見た料理であっても、どうにかその日のうちに口に運べるようになった。
しかし未那の料理を最初にひと口食べるまでには、随分な葛藤と躊躇と闘う必要があった――今でもその躊躇はなくなっていないし、そもそも口に運ぶ気になるのは、ひとえに『妹かわいさ』だ。
かわいい妹のつくったものだから、食べて死んでも構わない――という覚悟で、口に入れるのだ。
もちろん、死んだことも、体を壊したこともない。むしろこれ以上なく、味は最高だ。
とはいえそういったファクターがない相手に、これを口に運べと迫るのは、いくらなんでも酷だ。しかもがくぽはまだ、未那と面識がない。余計無理だ。
リクエストしたさがりのほうは、わかっているはずだが――
「で、でも、ほんとにおいしいんだってば!あ、ほらっ!!」
さがりが来るまで、氷鉄家へはよく遊びに来ていたカイトだ。勝手知ったる他人の家で、戸棚から箸を取り出すと、タッパーの中身を一口分、持ち上げた。
汁気を切って、がくぽへと差し出す。
「あーんして!ぜっっっったいに、後悔させないから……………っっ!!」
「………」
がくぽは口元へ差し出された物体と、懸命な顔のカイトを見比べる。
きれいな鼻筋に皺が寄った。
そのがくぽへ、腰に張りついたグミがわずかに伸び上がる。
「あにさま、グミは食べてみたい。カイトくん、グミに……」
「待て、グミ」
わくわくと瞳を輝かせる好奇心旺盛な妹の頭を、がくぽは片手で押さえた。
渋面で、窺う瞳になったグミを見下ろす。
「おまえに怪しいものは食わせられん。俺がまず毒見をする。それからにしろ」
「あにさま!」
「がくぽ……!!」
がしがしと頭を撫でられて、グミはうれしそうに笑う。
カイトもぱっと顔を輝かせて、感謝の瞳でがくぽを見つめた。
そのカイトを鼻に皺を寄せて見つめ、がくぽはこくりと唾液を飲みこんだ。
「食わせろ」
「うん!」
開けられた口に、カイトは素早く箸を差しこむ。
口に入れられる瞬間に身を引きかけたがくぽだが、どうにか逃げずに受け入れ、壮絶な顔で咀嚼した。
「あにさま、あにさま?」
「がくぽ、ね、ね?」
きらきらの瞳二対に見上げられ、がくぽはごくりと口の中のものを飲みこむ。
射殺しそうな視線で、テーブルの上のタッパーを見つめた。
「ロールキャベツだ、間違いなく…………!それも、極上。それでどうしてこの見た目だ?!!」
「あは…………」
未那の料理を食べると誰もが抱く感想に落ち着いたがくぽに、カイトは眉尻を下げて笑う。そこのところはちょっと、庇いきれない。
兄の感想に、グミがさらに期待に輝いて、身を乗り出す。
「カイトくん、カイトくん!グミも『あーん』なのじゃ!!」
「あ、うん。あーん、ね」
「あーん!」
愛らしく口を開けて強請るグミに、カイトはタッパーの中身を箸に掬い上げ、運ぶ。
さすがに口に入る瞬間はわずかに身を強張らせたグミだが、もぐもぐと咀嚼する顔は、すぐに輝きを取り戻した。
「おいしい!!おいしいのじゃ、あにさま!!グミは斯様においしいもの、食うたことがない!!」
「そうか。だがグミ、いいか。これはロールキャベツではないからな………見た目は。見た目は除外して、味だけ覚えろ」
「あいなのじゃ!!」
「ぁは…………」
きょうだいのやり取りに、さらに力なく笑うカイトだ。
未那を庇いたい気持ちはあるが、この様子を見ているとどうやら、グミは起動したてで、知識が浅いロイドのようだ。
兄として、かわいい妹に歪んだ知識を与えたくない気持ちはよくわかるから、反論できない。
ただ、そのグミの好奇心が、おそらくがくぽにタッパーの中身への評価を変えさせたはずで、まだ会っていない未那への、ゆえのない悪意も防いでくれたはずだ。
つまり、グミは恩人。
カイトはほんわりと笑うと、箸を置き、グミの頭へと手を伸ばした。ふわふわにセットされた頭を、未那にするように、やさしく撫でる。
「ありがと、グミちゃん」
「…」
「……」
グミが驚いたようにカイトを見つめ、がくぽも固まる。
カイトは構わず、ふわふわと笑ってグミを撫でた。
「ぁ………あ………」
「グミ」
グミがくちびるを戦慄かせる。がくぽの腰にしがみつく手に力が篭もって、着物にぐっと皺が寄った。
ややしてグミは真っ赤になると、がくぽの背中へと顔を埋めた。
「ふ、ふゃやややぁ………!!!」
「グミ………」
崩れそうになる体を、がくぽが支える。背中にしがみつくのを招いて胸に抱え、宥めるように後頭部を叩いた。
「大丈夫か」
静かに訊く兄に、グミはぎゅっとしがみつく。
「ふわふわするのじゃ………!!きらきらぴかぴかで、ちかちかじゃ………!!グミは斯様にきれいなもの、見たことがない………!!」
「ふむ」
妹の感想に、がくぽは考えこむ顔になる。
カイトは苦笑に変わって、仲の良いきょうだいを見た。
カイトの笑顔は、特に年端も行かない『子供』に威力抜群だ。ある程度になると「腑抜けている」とかなんとか腐すものも出てくるのだが、無邪気なら無邪気なだけ、虜にする。
本人にはあまり自覚がないし、意識して虜にしようとしているわけでもないから、どの評価も微妙に困る。
おそらくがくぽになると、「腑抜けている」という評価のほうだろうが――
「グミ、おまえ…もうひとり、きょうだいが増えることをどう思う」
「ん?」
「あにさま?」
唐突ながくぽの言葉に、カイトは首を傾げ、胸に埋まっていたグミも訝しい顔を上げる。
きょとんと見上げるグミの頭を撫で、がくぽは眉をひそめた。
「例えばの話、俺が嫁を貰うだろう。そうすると、それはおまえにとって『義姉』になる。つまり、きょうだいだ。そういう意味で、新しく、きょうだいが出来ることを、どう思う」
「んん?」
話題が唐突過ぎて、カイトにはがくぽがなんの話をしているのか、さっぱりわからない。
一方、怯えた顔になったグミは崩れ落ちそうに震えながら、兄にしがみつく手に力をこめた。
「…………どこの女人じゃ?ぐ、グミのことを、嫌っていないか?お人柄は……」
「つまり、これのことだ」
「ん?」
「…」
がくぽにあっさりと指差されて、カイトは瞳を瞬かせた。
グミは涙に潤む瞳を、カイトに向ける。そんな目を向けられても、カイトはさっぱり話についていけていない。
「え?ちょっと………なに?この指」
「どうだ?」
「………っ」
こぼれんばかりの涙を浮かべて光を失っていたグミの瞳が、再び輝きを取り戻す。
頬を紅潮させて、渋面の兄を見上げた。
「ほ、ほんとか?ほんとに……」
「俺はおまえにだけは、嘘を言わん。今までを振り返るに、これは嫁として合格だからな。あとはおまえ次第なのだが………」
「えっと、ちょっと……?!」
なにか不穏な雲行きを感じ、カイトはわずかに慌てる。
グミは華やかな笑みを浮かべると、ぎゅっと兄に抱きついた。
「大好きじゃ、あにさま!!グミも、グミも新しいあねさまが欲しい!是非にもカイトくんをあねさまにしてくれ!!」
「ぅっわあ、やっぱりなんか変な話題になってる!!」
グミの言葉に、はっきりと雲行きを告げられ、カイトは悲鳴を上げた。
がくぽは構うことなく、抱きつくグミの頭を撫でる。
「ならばな、グミ。少ぅし、席を外せ。兄は一寸ばかり本腰を入れて、嫁を口説く」
「ちょっと、がくぽ?!」
「うむ、あにさま!!グミはお部屋でいいこに待つのじゃ!!」
「いや、グミちゃん!!」
氷鉄家ロイドきょうだいのマイペースさ加減は、宇朽葉家マスターきょうだいに負けず劣らずだった。
マイペースな相手に免疫はあっても、振り回されるしか対処法を身に着けていないカイトは、ひたすらに悲鳴を上げるだけだ。
グミはかわいらしく手を振ると、うきうきと弾む足取りでダイニングから出ていく。
思いきり逃げ腰になっているカイトに、目を据わらせたがくぽが向き直った。