のり↑のり↓-03-

「ひぅっ?!」

のんびりとした声が降って来て、カイトは咄嗟にがくぽに縋りついた。

見上げれば、いつの間にか帰って来たらしいさがりが、ダイニングテーブルを覗きこんでいる。

そこには確かまだ、未那が作った『ロールキャベツ』が入ったタッパーを、蓋を開けたままで置いてあった。

「変わんないねえ。すごいな、この見た目」

瞳を細めてうれしそうに言うと、さがりはやはり置いてあった箸を取り、躊躇いもなく一口つまんだ。

「っっ」

「ぁ………」

それまで強気なままカイトに伸し掛かっていたがくぽが、びくりと震えて縋りついてきた。

おそらく反射の行動だろうが、カイトはこれまでの態度との落差に、ついついきゅんとときめいてしまった。

この反応には、覚えがある。

カイトも初めて未那の手料理を目にし、それを己のマスターが一瞬の躊躇いもなく口に入れたとき、同じように竦んだ。

このひとには決して逆らってはいけないと、恐怖とともに思ったものだ。

さがりが散々な言い方をしていたのは、マスターである彼に対してもおそらく、がくぽは尊大な俺様として振る舞うからだろう。

つまりがくぽはさがりに対して今まで、大した人物だという評価をしていなかった――

「ん……」

「………」

大丈夫だよ、と宥めるように、カイトは自分に縋るがくぽの頭を撫でた。

微妙に自尊心が傷ついたような目で見られたが、ほわんと笑いかけてやる。

「……………」

「んーあっ、うまっ!!ぅぁあ~、味も変わんない、さいっこーだわんや、もっと腕上げたか、未那ちゃんなあ、カイトくん」

「ん、えっと、はいっ」

唐突に声をかけられて、カイトは慌てて返事をした。

がくぽに押し倒されている状況なのだが。

服は半脱ぎで、決して、こけた拍子に偶然、などというお約束のシチュエーションではないとわかる。

プロレスごっこというのも苦しいだろう。なにゆえ台所でプロレス。

しかしさがりはその状況にはツッコまず、もつれ合う二人の傍らを通って水道まで行き、手を洗った。

「高校に上がってから、台所に立つことが増えて………なんでもおいしいですけど、お刺身なんかも絶品です」

「刺身!」

カイトの言葉に、さがりは驚いたように振り返る。

濡れた手をぴっぴと振って水気を払いながら、がくぽに押し倒されているカイトをまじまじと観察した。

「ナマモノ、それも刺身………すごいな、カイトくん………よく、口に入れられたな!」

「どういう刺身だ!」

普通、刺身というものは、新鮮な生の魚を切って皿に並べ、食卓に運ぶだけだ。

ロールキャベツのように、火加減やら調味料やらで変身する要素はない。

思わずツッコんだがくぽには正当性があったが、未那を知るカイトとさがりには、共感があった。

「どういうって………スーパーで買ってきた、切り身だけど」

「ますます意味がわからんだろうが」

「盛りつけるのが、未那ちゃんだから」

「そうそう………俺もさすがに、火を通さないナマモノで、しかも刺身ってなると躊躇するなあ」

どういう刺身だ。

元の強気の瞳を取り戻してさがりを睨んだがくぽの下で、カイトはわずかに身を起こした。

「でも、すっごくおいしいです俺も死ぬ覚悟を固めて食べましたけど………アレを食べたらもう、銀座だの赤坂だのの高級店にわざわざ行くのなんて、ばかばかしくなります」

「誘惑だな、それは………!」

「だから、どういう刺身だ!」

がくぽのツッコミは至極まっとうで、もっともだった。

癇癪を起こしたようながくぽの頭に手を伸ばし、カイトは再び、やわらかに撫でてやる。

「だから、スーパーから買ってきた切り身を、……………未那ちゃんが、盛りつけるの」

懸命に言葉を探すカイトだが、他人に説明するのは難しい。

実際、事象としてはそれだけなのだ。

その過程で、もしかしたらカルパッチョ風処理や、酢〆的な処理が行われているような気もするのだが、あくまでも『的』、もしくは『風』。

食卓に並んだときにはもう、原型を留めず、家族全員が遺書をしたためたうえで、箸を伸ばす――いや、未那の兄であり、カイトのマスターである十波は、相変わらずなにを出されても一瞬の躊躇もなくひょいと口に入れる。

服飾系の専門学校生である未那曰く、刺身はもちろん、どんな料理であろうとも、基本通りに作っているらしい。

こだわっているのは、色味と形状、それらを組み合わせたときの配置の美しさのみだと。

「……………わかった。今度、持って来い」

「え」

「いやいやいや、待て待てがくぽ。俺まだ、そこまで覚悟固められないから」

渋面で吐き出したがくぽに、カイトは瞳を見開き、さがりも慌ててしゃがみ込んで視線を合わせ、制止に入る。

「確かに俺にとっても未那ちゃんはかわいい『妹』だけど、いきなりキヨミズ極めなくてもいくないか!」

「だが、美味いのだろう。グミがそのロールキャベツも気に入っていたし、――見た目が難だが、美味い物を食わせてやりたいだろうが」

「…………」

がくぽの言葉に、さがりは再びテーブルを見やり、それからきょろりとキッチンを見渡した。

「………その、おまえのかわいい妹は今、どこにいんの」

「部屋だろう。待っていると言ったから」

「『待ってる』」

空白の表情でくり返したさがりに、がくぽは顎でもって尊大に、体の下に組み敷いたままのカイトを示した。

「嫁を口説くから、少し待てと言った」

「『よめ』」

「嫁じゃないったら!!」

さがりの出現によって一時預けられていた問題を思い出し、カイトは慌てて叫んだ。

がくぽの頭を撫でていた手を戻すと、肌蹴られたコートを懸命に掻き寄せる。

他人様の家の台所で、男でありながら男に押し倒されている状況だ。一応は被害者だが、相手が相手。

マスターきょうだいやメイコとは面識があっても、カイトとは面識がないのが、さがりだ。

こんなことで、昔馴染みのマスターに対する評価を、おかしなふうに変えられたくない。

頬を染めて瞳を潤ませるカイトに対し、がくぽはどこまでも尊大で、俺様そのものだった。

「あまだ言うのか、貴様。俺に抱かれたくて、体を疼かせておきながら」

「うずかせてないぃいいいっっ!!」

「嘘を言う口はこれか痺れるほどに貪って、どちらが正しいか証明してやろうか?」

「ぅ、っひ…………っ」

壮絶なまでの色香を含んだ流し目を寄越され、くちびるをとろりと撫でられて、カイトはふるる、と震えた。

さがりがいるのがわかっているのに、熱が戻って来そうな気がするのが、まずい。

「う、ウソじゃないもん………っ。まだ、っ、嫁じゃないし………っ。ま、まず、まずは、口説いてって……手をつなぐとこからって、おねがいしたもん………っっ」

「ち…………っ」

幾つの子供か、と舌打ちしたがくぽの下半身が、硬さを持ってカイトに擦りつけられる。

カイトの言いように盛大に呆れながら、しかしそのあまりの初心さに煽られているという、複雑な状況らしい。

カイトのほうもほうで、あまりに早い展開に怯えながら、擦りつけられるものを感じると体に熱が灯ってしまう。

とはいえ、こわいものはこわい。

複雑を極めて睨み合う二人に、さがりはかりかりと頭を掻いた。胸ポケットから煙草を取り出すと、火は点けないままに口に咥える。

「あーのさ、がくぽたとえ両思いっても、相手の進度に合わせてやんないと、後々こじれて二度目に漕ぎつけんのが、死ぬほど大変になるよ?」

「あ?」

カイトに向けるよりもさらに数倍は険悪で凶悪な瞳を向けたがくぽを見ることなく、さがりは天井を仰ぎ、口に咥えた煙草を意味もなく揺らす。

「特に、相手がシャイならシャイなだけ。初心なら初心なだけ。『ハヂメテ』はものっすっごく気を遣ってやんないと、愛情はあってもずっと根に持たれて、なにかあるごとにネチネチ言われるよ?」

「……………」

さがりを睨みつけていたがくぽだが、その表情になにかを考える色が浮かんだ。

カイトは縋るようにそのさまを見つめ、がくぽの着物をきゅっと掴む。

「……………」

「…………………がくぽ」

見下ろしてきたがくぽに、カイトは嘆願するように名前を呼ぶ。

壮絶に顔を歪めたがくぽは、忌々しげにカイトを睨んだ。

「いちいちしぐさがかわいいんだ、貴様は煽るな努力する気も失せる!!」

「なんの話?!!」

八つ当たりとしか思えないがくぽの言いように、カイトはきょとんと瞳を見張って叫び返す。

さがりは愉しそうに笑って、腰を上げた。口に咥えた煙草をぶらぶらと揺らしながら、タッパーに蓋をする。

目で追うこともなく、カイトは懸命にがくぽを見つめた。

がくぽも、カイトを見据える。

「…………この始末を、どうつける」

この始末、と言って擦りつけられたのが、熱と硬さを持った場所だ。

思わず上がりかける声を堪え、勝手知ったる他人の家、カイトはトイレのある方をびしっと指差す。

「トイレで抜いて来て!」

「せめても手くらいは貸せ!!」

「っやだっ自分の手ぇ使って!!」

「いずれ近いうちに、どうでも触ることになるんだぞ?!手の二本や三本、諦めて貸せ!」

「三本?!手は二本しかないよ、俺!!」

妥協点を探る議論も白熱すると、ツッコミどころを間違えだす。

そもそもが、ツッコミ属性ではないカイトだ。ボケるか、さもなければ右往左往するだけが、基本スキル。

それでもなんとか、どうしてもいやだと言い張ったカイトに、がくぽは思いきりくちびるを歪めた。

「なにが嫌だ」

「なにがって」

普通に考えて、なにもかもだ。

ほとんど初対面、同性、男でありながら押し倒されている現状、台所の床の上という場所、さがりが未だにいるということ――

しかし最大の問題は。

「だって、…………がくぽの、直に見て、直にさわっちゃったら…………俺………っ」

真っ赤に染まり、瞳を潤ませて訴えるカイトは、どう考えても『男なのに同じ男のものなど触りたくない』という風情ではなく。

「……………くそ、どうしてこれで我慢しなけりゃならん……っ」

呻いて、がくぽはようやくカイトの上から体を起こした。

カイトも震えながら身を起こし、がくぽを見つめる。

逃げないのをいいことにその体を膝の間に座らせ、がくぽはカイトのこめかみにくちびるを落とした。

「仕方ない」

「がくぽ………」

「見ていろ。ここでヌく」

「ひぃっ?!なにこのオトコマエ!!」

出された結論に、カイトは悲鳴を上げてさがりを探す。

タッパーを仕舞ったさがりは、冷蔵庫の中身を確認しつつ適当に頷いた。

「あー、好きな子に見られながらか。そりゃこーふんするわ。堪んないね。マニアだけど。いんじゃない、うぶこい子には予行演習になって」

「ちょっ、さがりさ、っ?!!」

残念な感じに、己のロイドに関して諦めがあるさがりだ。冷蔵庫の中身チェックの気が済むと、がくぽの膝に抱かれて真っ赤になるカイトに手を振った。

「俺は見たくないから」

「ちょっ!!」

言って、さっさと出て行ってしまう。

叫んだカイトだが、がっしりと腰を抱かれていて、がくぽから逃げられない。

真っ赤になって見つめたカイトに、がくぽはくちびるを笑ませ、己の下半身を探った。

「貴様がきちんと見て、卑猥な言葉のひとつかふたつを言い、好奇心の赴くままに一寸でも触れば、ことは簡単に済む」

「増えてる!!やること増えてるからっ!!ゃ、おねが…………っぁあぅ……っ」

構うことなくさっさと始めたがくぽに、カイトは望まれるままに見入ってしまった。