「もぉっ、どうしてがくぽはそうやって、無茶苦茶ばっかり言うんだよ?!!」
「はゃや?」
玄関から出た瞬間に聞こえた怒声に、未那は大きな瞳をぱちくりとさせた。
はに⇔はに-前編-
その声は、聞き間違えようもない。兄の所有するロイドで、未那のことも実の妹のようにかわいがってくれている、カイトのものだ。
だが未那が記憶する限り、いつでも穏やかな彼が、こんなふうに怒声を張り上げることなど滅多にない。
その「滅多にない」珍事を引き起こすことを得意とする相手といえば――
「なにが無茶苦茶だ。俺は当然の権利を主張しているだけだろうが!」
「だから、なにが当然の権利だよ?!」
「わわわー」
思った通りの声も響いて来て、未那はきょときょとと辺りを見渡した。庭木と塀に遮られて、外の様子は見えない。
玄関の鍵をきちんと閉めると、未那は小走りで門扉へと向かった。
「貴様は俺の嫁なんだから、誰にも触らせるなと主張するのは、俺の当然の権利だろうが!!」
「マスターにも触らせるなって言ってる時点で、当然の権利超えてるんだよ!!」
門扉から顔を出すと、家の前の道路を右左と確認。
いた。
お隣さんの家の前の往来で、カイトと――お隣のおにぃさんの所有するロイド、神威がくぽが、正対してがなり合っている。
がなり合うふたりの傍には、門扉にもたれた状態で、がくぽのマスターであるお隣のおにぃさんこと、さがりが、煙草を咥えて立っている。
「あー、っていうか、俺的ぎもーん。いつからカイトくんは、がくぽの嫁になったわけ?」
ロイドふたりのいがみ合いに困惑しているというより、野次馬的なひどくのんびりした風情で、さがりが口を挟む。
「嫁になんてなってない!!」
そのさがりへ、カイトはがくぽへの勢いのままに怒鳴る。
カイトの言葉に、向き合うがくぽは肩をいからせた。
「なにを言うか!!出会った瞬間に宣言しただろうが!!貴様は俺の嫁だと!!」
びし、と指を突きつけて言う。
さがりの口から、ぽわ、と丸い輪っか状の煙が吐き出された。
「あー、がくぽ?情熱的でいーけど、それって一歩間違えると、犯罪じゃないかなー。カイトくんは了承してくれたのかなー?」
さがりの口調は完全に、駄々っ子をあやすものだ。
マスターのそんな態度に構うことはなく、がくぽは胸を反らした。
「俺が宣言したのだぞ。了承したに決まっているだろうが!」
「してない!!なんにも返事なんてしてない!!」
がくぽの自信満々の言葉に、カイトの悲鳴のような怒声が重なる。
煙草をつまんで、さがりはぽりぽりと頭を掻いた。
「うんうん、そうだな。がくぽ、一歩間違えるとじゃなくて、そこまで行くと完全に犯罪」
「俺の嫁を俺の嫁と言って、なにが悪い!!」
「そう言われちゃうとなー」
「なんでそこで困」
「愛ですね!!」
「ひわっ?!!」
突如割って入った声に、カイトは悲鳴を上げて小さく飛び上がった。
「エゴイスティック・ラヴです!奪う愛!!強引な彼に奪われちゃうカイトくん!!」
「み、未那ちゃん………!!」
コートの裾を掴んで、きらきらに輝く瞳でうたい上げる「妹」に、カイトは慌てて辺りを見渡した。
とりあえず、閑静な住宅街だ。平日の真っ昼間となると、人っ子一人いない。
「いつから聞いて」
「えーっと」
「カイトから手を離せ、未那。それは俺の嫁だ。たとえ貴様といえど」
未那が答えるより早く、尊大な声が命じる。きれいな顔を盛大にしかめたがくぽだ。
胸を反らして腕を組み、傲岸不遜が擬人化したかのような姿のがくぽに対し、カイトは毅然とした顔になった。
未那を背後に庇い、がくぽを睨みつける。
「いくらがくぽでも、未那ちゃんになにかしたら許さないからね!だいたいにして俺に、マスターにも触らせるなって言うなら、がくぽはどうなんだよ?!がくぽだって、さがりさんに触らせないでよ!!」
「よしわかった」
「っっ!!」
即答されて、毅然と立っていたカイトが、呆気なく揺らいだ。
さがりの口から、ぽわ、と丸い輪っか状の煙が吐き出される。
「あー、うんうん、がくぽー?そこはもうちょっと、悩むとこじゃないかなー。いくらなんでも、マスターにまで触らせるなっていうのは言い過ぎだったかも、って気がついて反省して、前言撤回する場面だと思うんだけどなー」
カイトの内心を代弁してやってから、さがりは自分の咽喉を、親指で軽く叩いた。
「だいたいにして俺が触れなかったら、おまえ、調声はどうすんの。自分で出来ないだろ」
「仕方ない」
がくぽの返答には、良くも悪くも迷いがなかった。
「嫁の願いには替えられないからな」
「いやいやいや………」
願いというか、カイトとしては、がくぽが無茶苦茶を言っているということを自覚させたかっただけだ。そんな明朗快活に受け入れられてしまっては、困ること甚だしい。
「愛ですね!ボカロなのに、声よりカイトくんを取るなんて!」
「当たりまえだ」
意気投合されたくないところで意気投合する未那とがくぽに、カイトは慌てた。
「ちょっと、ふたりとも………!」
「まあ、未那ちゃんはお年頃のオンナノコだしな」
さがりのほうは、肩を竦めて終わりだ。
わずかに機嫌が上向いたようながくぽは、さらに胸を反らした。
「そういうわけだから、未那……」
「はいです。カイトくんはがくぽくんのお嫁さんだから、たとえ『妹』といえど、私が軽々しく触ってはいけません」
「未那ちゃん!」
聞き分けよくコートから手を離す未那に、カイトは悲鳴を上げる。
かわいい「妹」にまで敵に回られたら、立つ瀬がないこと甚だしい。
未那はにっこり笑って、頷いた。
「と、この間、おにぃちゃんに言われたです」
「ま、マスター……………………?!」
敵はごく身近、それもいて欲しくないところにいた。
よろめいて倒れ伏しそうなカイトに、さがりが高らかな笑い声を上げた。
「さすがは俺の十波!先読みハンパないな!」
十波とは、未那の兄でカイトのマスターのことだ。ちなみに、さがりのものではない。はずだ。
「マスター公認か、ならば遠慮は要らんな。今日からでも、早速うちに来い、カイト」
「いやいや、公認であっても、マスターから引き離すのは可哀想だって。十波ごと引き取ろう」
がくぽとさがりの間で、朗らかに朗らかしくない会話が進行する。
「この似たもの主従がっっ!!!」
ツッコんだのは、カイトでも未那でもなかった。
すこんすこんすこん、と小気味いい音が、三連続で響き渡る。
「んぎょ?!」
「のわっ?!!」
「ぃたっ?!」
男三人がそれぞれ悲鳴を上げるなか、ひとり被害を免れた未那は、ぽけっとしてそのひとの名をつぶやいた。
「ほや、メイコさん……」
「まったく………!」
最近兄から譲り受けた未那のロイド、メイコだ。
カイトの青もがくぽの紫も目立つ色彩だが、それ以上に、燃えるように鮮やかな赤い色の彼女は、お日さまの下にいると誰よりも強く勇ましい、戦女神にも見える。
閑静な住宅街の平日の昼間を、男同士の痴情の修羅場に変えている迷惑な男三人の頭を引っ叩いた彼女は、凶器のパンプスを落とすと素早く足を突っこんだ。
ぽかんとしている未那の頭を掴むと、山谷ある豊かな胸の中に、ぎゅっと抱きこむ。
「あんたたちっ、あたしのマスターの前でどういう会話してくれてんのよ!!変態が移るから、マスターの前では自重しなさいって常々言ってるでしょうがっっ!!」
カイトにもがくぽにも負けないどころか、迫力においては勝りそうな怒声だ。
「め、めーちゃん………」
カイトがたじたじとなって、わずかに後ろへと引く。そのカイトを、メイコはきりっと睨み上げた。
「だいたいにして、真っ昼間の往来で男同士の痴話喧嘩なんて、ばっかじゃないの!そういうことは物陰に隠れて、こっそりやりなさいよ、こっそり!うちの恥よ!引いてはあたしのマスターの恥よ!!」
「ち、痴話喧嘩じゃないも………っ」
たじたじとなりつつも、カイトは言い返す。メイコは鼻で笑った。
「まだそんなこと言ってんの?嫁入り秒読み状態のくせに」
「びょ、……………っう読み?!」
カイトの声がひっくり返る。
さっきのマスターの、未那へのお言葉の例もある。
まさか自分の与り知らぬところで、嫁入り準備が着々と進んでいたりするのかと、有り得なくない危惧が過った。
「秒読み以前に、カイトは俺の嫁だ」
「がくぽは黙れ!」
割り入ったがくぽへすげなく叫び、カイトはメイコへと向き直った。
マスターの真意を確かめる必要がある。
「あー、うん、盛り上がってるとこアレなー」
しかしカイトが口を開く前に、さがりがのっそりと口を挟んだ。
カイトはきっとして、さがりを睨みつける。
「さがりさんも黙」
「いや、うん、一言だけな」
ちびた煙草を携帯灰皿に落としこみながら、さがりは名残りの煙を吹きだした。
ひょいと指差すのが、メイコの胸。
に、埋まる、未那。
「そろそろ『昇天』しないかな、未那ちゃん。それこそ、往来なんだけどなー」
「しょうて……?」
「しょう……?」
カイトとメイコがきょとんとしてつぶやき、未那を見る。
「ぅふふふふふふふふふふふふh」
「ひぎっ?!」
怪しい笑い声が響き、メイコは小さく悲鳴を上げた。