「め、メイコさんのむね………………ふわふわほわほわ、どりーみぃむね………………はぁはぁはぁはぁ」
「昇天!!」
メイコが叫び、抱きかかえていた未那の頭をもぎ離す。
しかし遅かった。
はに⇔はに-後編-
未那はすっかり、どこかしら夢の国へと旅立った顔で、よく言えばうっとりと、はっきり言うと変態チックに息を荒げている。
「時と場所を選ばないわね、この駄マスターがっ!」
「そんなの、メイコさんが時も場所も選ばずにメイコさんだからです!」
「意味がわかんないわよ!」
「愛してます!!」
叩きつけるメイコにも、未那はまったくめげもせず、へこたれもしない。
往来で堂々と愛の告白をかまし、胸の前で手を組む、乙女ポーズになった。
「愛するメイコさんの胸、ふわふわほわほわ、どりぃみぃおぶどりぃみぃです!ああもう、洋服が邪魔です!」
「って、服に手を掛けるな!往来だって言ってるでしょうが、この駄マスター!!」
「いきゃだだだだだだだっ!!」
「ちょ、めーちゃん!!」
叫んで、両の拳で未那のこめかみを挟んで揉むメイコに、カイトがあたふたと辺りを見渡す。
「往来だってば!手加減して!!さもないと、」
「ぃいいいいたぃですすてきですはぁはぁはぁはぁ!!」
「………………さもないと未那ちゃんが、どこまでもアレになっちゃう……………………」
間に合わなかったカイトは、項垂れてつぶやいた。
ことメイコが絡むとどこでもそこでも暴走する未那は、さらに言うと、隠しもしない被虐趣味だった。
痛くされると、興奮する。
隠しもしないので、どこでもそこでも、『お仕置き』されるとすぐさま反応する。
「ぃた、いたいですぅぁああんっvvv」
「めーちゃん!!」
恥ずかしげもない嬌声に、カイトが真っ赤になって悲鳴を上げる。
「仕方のない子ね!」
「んきゃっ」
一際強くこめかみを揉むと、メイコは未那を放り出した。
ふらふらと道端に倒れかける未那の襟首を掴んで支え、微妙な表情のカイトをきりっと睨み上げる。
「あんたもあんたよ!がくぽなんて、ただのカイト莫迦じゃないの。ちょっとしなだれかかってやれば、なんでもほいほい、あんたの言うなりになるでしょうが。嫁なら嫁らしく、うまいことやりなさいよ!」
「嫁じゃないってば!」
「一言も反論を思いつかぬな」
悲鳴を上げるカイトに対し、がくぽのほうは、いっそ感心したように頷いた。
新しい煙草を取り出して口に咥えたさがりは、わずかに呆れたように、そんながくぽを見る。
「目の前で莫迦呼ばわりされて、反論しないんだ?」
「『カイト莫迦』だろう。あまりに至極もっとも過ぎて、どう反論したものか、さっぱり思い浮かばぬ」
「ばっかじゃないの、がくぽ!!」
落ち着いて言うがくぽを、カイトが涙目で睨む。
「反論しろ、ばか!」
「それはもしかして、ばかばか連発する貴様も含めてか?」
「そうだよ!がくぽはぜんっぜんばかじゃないんだから、ちゃんと反論しろ、ばか!!」
無茶苦茶なカイトの叫びに、がくぽは相好を崩した。さりげなくカイトの傍らへ行くと、肩を抱く。
「さわる………………んんっ?」
「だがな、メイコの言うことももっともだ。嫁の話を聞くのに、往来で立ち話もないだろう。貴様の言い分は、家の中でとっくりと聞いてやる。存分にさえずれ」
「さえずれって言ってる時点で聞く気がない!……………んゃっ」
コートの上から撫でるがくぽに、カイトは白い肌を真っ赤に染めて、口元を覆った。そのまま、力を無くした体が素直に、がくぽへとしなだれかかる。
「敏感だな、これくらいで」
薄ら笑うがくぽへ、カイトは熱っぽく潤んだ瞳を向ける。
「がくぽ…………じゃ、なきゃ、…………こんな、ふーに、なったり…………しないも…………っ。がくぽが、さわる………っから…………っ」
「よしよし、ほんに貴様は愛らしい嫁だ」
「よめじゃない…………」
「体に訊いてやるさ、とっくりとな」
上機嫌のがくぽに半ば引きずられるように、カイトはお隣さんへ吸い込まれていった。
咥えた煙草に火を点け、さがりはぽりぽりと首を掻く。
「なんか俺も十波に会いたくなった」
「残念ね!グランドマスターなら、仕事中よ!」
吐き捨て、メイコは小脇に抱えた未那を起こした。
「あんたもよ!そもそも、学校に行こうとしてたんじゃないの?!」
「ほわわ~」
「夢うつつになってるんじゃないわよ、真っ昼間っから!」
「いきゃだだだだだだだだっ!!」
「あーあー…………」
ぼんやり夢見心地の未那の両頬を、メイコは力いっぱいつねり上げた。
さがりが小さくため息をこぼし、手を伸ばす。
「そんなことしたら、かえって悪化する………」
再度言うが、未那は被虐趣味だ。痛めつければ痛めつけるほど、夢見心地になる。
小さいころから実の妹のごとく構ってきた未那を救い出そうと伸ばしたさがりの手は、しかし、虚しく空を掴んだ。
素早く未那を抱えこんだメイコが、さがりへと牙を剥く。
「触るんじゃないわよ!孕むわ!!」
「はら……………っ?!」
つい、くちびるから煙草を落しそうになりながら、さがりは呆然とつぶやく。
未那を抱えたまま後ろへとにじってさがりとの距離を開けつつ、メイコは警戒するねこのように身を屈めた。
「孕んだからって責任なんか取らせないわよ!あんたに責任なんか取らせた日には、マスターが不幸になるだけだってわかりきってるんだから!子供もマスターも、あたしが面倒見るわ!!」
「ドラマが展開してんなー。つか、さすがに俺だって、触っただけで孕ませる能力なんてないんだけど」
呆れたのを通り越して感心したように言うさがりに、メイコは鼻を鳴らした。
「さがりなら出来るわ!」
「信頼感ハンパないな!そんな信頼されるような、ナニを俺がしたのかなー」
「さがりであるだけで十分よ!!」
「信頼感マジハンパないな!!」
さがりは天を仰ぐ。
メイコの胸からもぞもぞと顔を向けた未那が、無邪気に笑った。
「って、この間、おにぃちゃんが言ってました」
「まさかの!」
ぐらりと傾いださがりに構わず、未那は記憶を漁るように上目使いになる。
「だから未那は、おいそれとさがにーさんに触っちゃだめだよって、言われたです」
「グランドマスターが言うんだから、絶対よ」
「あー……………」
ぐらぐらと傾ぎ、それからさがりはきりっと背を伸ばして立った。
「それは嫉妬だな、十波!俺はそう信じることにした!なぜならそう信じたいから!」
宣言し、さがりはずかずかと未那の家へと向かった。在宅ワーカである十波のところへ行くのだ。
「だめなオトナの見本ね!」
その背を見送って罵り、メイコは胸元に抱えていた未那の顔を両手に包んで、しっかりと目を合わせた。
「いいこと、マスター。ああいうオトナになっちゃだめよ!っん?!」
「えへー」
ひょいと首を伸ばした未那にキスされて、メイコは黙る。
未那はうれしそうに笑って、そんなメイコを見つめた。
「そういえば、行ってきますのキスをしてませんでしたー」
「そんな習慣ないでしょうがっ!!」
「いだっ!!」
がちこん、と頭突きをかまされて、未那は一瞬目を回す。
ふらふら揺れる未那の顔から手を離し、メイコはふいとそっぽを向いた。
「ほんっとに時と場所を考えないわね、あんたって子は!」
「だって時も場所も考えずに、メイコさんがメイコさんなんですもの~」
「なんの話よ!」
「愛してます!」
きっぱり言い切り、未那は腕時計を見た。
「あー、そろそろ遅刻まで、秒読みな感じになって来ました~。午後の講義は遅刻一回で、落第なんですよね~」
「のん気に言ってる場合か!」
「走れば間に合うです。というわけで」
「ちょ?!」
そっぽを向くメイコの顔を掴んで自分のほうへ向かせると、未那はぐぐっと顔を寄せた。
「いってらっしゃいのキスを……………!!」
「さっきしたキスはなによ?!」
「行ってきますのキスです!今度はいってらっしゃいのキスです!!」
「往来だって言ってるでしょうが、この駄マスター!!!」
往来で闘う女ふたり。
何度も言うが、閑静な住宅街――ちっとも閑静ではない。騒がしいことこのうえない。とても近所迷惑。
「……………往来だって言ってるのに……………っ、ばかますたぁ………………っ」
「ふるぱわー充電完了でーっす!!」
――数分後、叫ぶ未那は元気いっぱいに走って行き、残されたメイコは白い肌を真っ赤に染めて、よろよろと塀にもたれた。