「ふわゃやや…………やはり富士は絶景です~」
湯船に浸かってのんびりとつぶやく未那に、メイコはタオルを千切れんばかりに絞り上げた。
「あんたって子は、風呂に入れればそれでいいんかいっっっ!!!」
現状、ご近所の銭湯だ。
にゅーよーく★にゅーよーく-後編-
メイコが突きつけた条件とは、家の風呂ではなく、他人がいるところ、公衆浴場でなら、ということだった。
条件を出されて未那が選んだのは、昔懐かしい銭湯。
昨今流行りのテーマパーク化したものではなく、下町情緒溢れる、古風な銭湯だ。
そしてメイコの気が変わらないうちに早速、と真っ昼間にやって来た銭湯は、メイコの思惑が外れて、客がまったくいなかった。
そうでなくても銭湯利用者は減っているのに、さらに真っ昼間だ。
いようはずもない。
戦慄したメイコとは対照的に、未那はほぼ初体験の銭湯のほうに夢中に見えた。
メイコと風呂に入ることの当初の目的を、すっかり忘れているとしか思えない。
銭湯と言えば…の、伝統文化である富士山の壁画に感嘆して見入り、温泉とは違う並びの蛇口にはしゃぎ、そして再び富士山を眺めながらの入浴。
頭にはきちんと、畳んだタオルを乗せる気の入りよう。
銭湯の一番湯となると、熱に強くないロイドであるメイコには、少し湯温が高い。
メイコは湯の中には入らず縁に腰かけていたが、それでも白い肌はうっすらと紅く染まって、普段より一層色めいていた。
しかし完全スルーの現状。
「ありがたいですねぇ、メイコさん~。寿命が延びますですよ~」
「こんの大ボケマスターが……………っ」
なむなむと富士山を拝む未那に、メイコはきりきりと奥歯を鳴らす。
人のいるところで、と条件を付けたメイコが危惧していたことはもちろん、いっしょに風呂に入って、彼女の肌を直に見た未那の暴走だ。
人のいるところなら自重するという性格ではまったくないが、少しばかりの安全策と思って出した条件だった。
それが実際に来てみたら、客ゼロ。
他人いない。
ふたりっきり。
さあ暴走いざ!!
――と思いきや、昔懐かしの銭湯に、大はしゃぎでそれどころではないとか。
暴走されてあれやこれやといたされてしまうのは困るが、もちろん困るが、とても大変困るったら困るが――未那がその気なら、応えてやらないでもないのに!!
「メイコさんメイコさん、お風呂上がったら、なに飲みましょうか!やっぱり牛乳ですか?でもでも、コーヒー牛乳もちょっと贅沢な定番ですよね!いちごミルクとかバナナミルクとかは邪道ですか?!」
「知るか!あたしはワンカップよ!!」
自棄酒の定番を持ち出したメイコに、未那はちちち、と人差し指を振る。
「だめですよ~、メイコさん!やっぱり銭湯に来たら、締めは牛乳です。腰に手を当てて一気飲みですよ!」
入浴直後の酒も体に悪いが、入浴直後の冷たい牛乳の一気飲みも体に悪い。
そういう事情云々は別として、メイコは本気でどうでも良かった。とにかく酒でも飲んで憂さを晴らしたい。
いや、別に憂さなど溜まっていない。溜まっていないとも。
はしゃぐ未那かわいい。かわいいからそれで十分だとも!!
「あんれ、なんか声がすると思ったら、今日はわっかい姐さん方がおるね」
「ほんとだほんとだ」
「んきゃっ」
唐突にからりと開いた扉とともに入って来た声に、悲鳴を上げたのはメイコだけだった。
富士山に見入っていた未那は笑顔で振り返ると、無邪気に手を振る。
「お邪魔してるです~」
「はいはいよ。こっちもお邪魔さん」
入って来たのは、老婆の二人連れだった。
常連なのだろう、躊躇う様子もなくタイルの上を歩き、掛け湯をしてから蛇口の前に座る。
ようやくメイコ待望の他人が入って来たわけだが、もはや他人がいるとかいないとか、どうでもいい状況だ。
「それでそれでメイコさん、なに飲みますか?」
「だから、ミルクなんて飲んでいられるかって言ってるでしょ。コンビニ寄ってワンカップ買って、その場で飲み干すわ」
蒸し返された話に、さらに自棄を起こした答えを返したメイコに、未那は無邪気に笑っている。
「あっつあつのお風呂上がりに飲む、冷たい牛乳は格別ですよぅ。あー、邪道でもやっぱり、いちごミルクかバナナミルクかで悩みます~」
「まったくもう………」
人の機微など気にもしてくれないのが未那だ。自分の思うことを思う通りにやる。
ある意味独善的なのだが、どうしてか憎み切れない。
メイコはいからせていた肩を落とすと、膝に肘をつき、立てた手に顎を乗せた。
「いいわよ。あたしがバナナミルクを買うから、あんたはいちごミルク買いなさいよ。それで半分こしたらいいでしょ?」
「ひゃぅう、めぇいこさぁあん~ww」
「ヘンな声出さない!!」
「あいたっ」
人がいることも気にしないで歓声を上げた未那に、メイコは軽く平手を振るう。
頭を張り飛ばされて、それでも未那は上機嫌に笑っていた。
「方針も決まったところで、早速上がるです!」
「はいはい」
拳を握って宣言し、勢いよく立ち上がった未那に、メイコは苦笑する。
もどかしかったり苛立ったりもするが、お子様の部分も決して嫌いではない。こちらの思った通りの反応だけ返すようなマスターだったら、きっと飽きてしまう。
だからこうやって、思惑を外されてがっかりするのも、考えようによっては愉しいことだ――いや別に、がっかりなんてしていない。していないとも。
「そうよ、ただちょっと、気が抜けただけよ」
「ほえ、メイコさん?」
力を込めてつぶやいたメイコに、立ち上がった未那が首を傾げる。ちなみにタオルは頭に乗せたままで、確かに女風呂だから遠慮がいらないとはいえ、裸体がそのまま晒されている。
年齢を考えると微妙な心地になる、乏しい発育具合だ。栄養は悪くないはずなのに。
年齢的なものは日々、メイコへと近づいてきている未那だが、体はこのまま、お子様で行きそうな気がする。
だがしかし待て――確かものの本で読んだところによれば、胸は『揉まれて』大きくなるとかなんとか。
「…」
「メイコさぁん?」
未那の胸を誰が揉むって、もちろん、どこの馬の骨とも知れない莫迦男になんか、指一本、触らせる気はない。
だからといって、どこの馬の骨だかわかっている未那の兄に揉ませるのも違うだろう。それは果てしなく違う。
未那にとっては兄と同じような存在のがくぽのマスター、さがりもどこの馬の骨だかわかっているが、アレに指一本でも触れさせたら、未那が孕む。
がくぽだったらロイドだから指一本が触れたところで大した害もないが、なんであの、尊大通り越して唯我独尊のカイト莫迦に、大事なマスターのことをお願いしなければならないのだ。
ということは、残る選択肢はカイト。
「ないわ」
即座に切って捨てる。
カイトは未那の周りにいる男の中では比較的マシだが、胸を揉んであげてとお願いしたら、真っ赤になって涙目で、「なんでそんなセクハラ?!」とか叫びそうだ。
セクハラではない。
メイコのマスターの発育に関する、重要な工程だ。
「…!」
そうだった。
自分のマスターに関することだった。
なにをうっかり、他人任せになどしようと思ったのだろう。
ここはやはり、メイコが自分で、未那の胸を。
「あ、メイコさん…………なんだかのぼせたみたいです、立ちくらみが………よろよろ~」
「え?って、ちょ、危なっ」
口で言って、未那はふらふらと体を揺らがせながら、再び湯船へと体を落としていく。
メイコは慌てて立ち上がるとそんな未那へと手を伸ばし、確かにいつもより熱くなっている体を抱きしめた。
「とりあえず出て、水被って…………」
「むふふふh」
「ん?」
慌てるメイコの胸元から、怪しい笑い声が響いてくる。
果てしなくいやな予感がして、メイコは固まった。そのメイコの胸に顔を押しつけたまま、未那がつぶやく。
「メイコさんのなまちちぃい……………っふわふわすべすべぇえ……………っ」
「……………」
なまちち?→ナマ乳。
一瞬のマヌケな間を挟み、メイコの全身が真っ赤に染まり上がった。
「な、なまちち言うなぁあああああ!!!」
「ぬふふふふふhっっ」
「ひ、ひぁああああ?!」
胸に抱えていた頭をもぎ離したが、もう遅い。
どこかにイっちゃった顔の未那が、オンナノコではない笑い声を響かせながら湯船から上がり、メイコをタイルへと押し倒す。
「メイコさんのナマ肌…………………白くてすべすべで、とってもきれいですぅううう」
「ちょ、え?!なんでこのタイミングで暴走?!!」
さっき結論が出たところではなかっただろうか。もうお風呂から上がると。
それがどうして、今のタイミングでいきなり暴走を始めるのだろう。行動があまりにも予想外過ぎる。
腰の上に座り込まれてさわさわと肌を撫でられるが、未那の顔は雰囲気的に、『コイビト同士の甘いスキンシップ』ではなく、『変質者が変態行為中』。
なにもかもが残念だが、メイコはとにかく未那に甘く、弱かった。
「うふふふふh、メイコさん、手触りすっごくぃい…………」
「ちょ、や、ぁんっ、どこさわ、んゃっ」
抵抗することはするのだが、跳ね除けられない。
ロイドが本気になれば、か弱い人間の女性など簡単に跳ね除けられる。
たとえ『マスター』だとは言っても、未那は「触らせろ」と命令しているわけでもないから、意に染まない行為なら、拒絶することが出来る。
しかしメイコはとにかく、未那に弱かった。『マスター』云々以前の話なのだ。
まだ『マスター』ではなく、『マスターの妹』のときから、彼女に伸し掛かられると跳ね除けきれなかった。
家なら、元マスターの未那の兄が見かねて助けてくれたり、カイトが乱入したりしたが…………。
「はいはい、ごめんよ。お風呂入るよ」
「ほんと最近の若いのは困るよ。どこでもそこでもサカって」
「っっっ!!」
メイコが押し倒されている脇を、老婆二人が通り抜けていく。
忘れていたが、ほかに客がいるのだった。
「どぅおりゃぁあああ!!!」
「んきゃっ」
オンナノコではない掛け声とともに、メイコは腰の上の未那の体を持ち上げ、タイルに置いた。素早く起き上がり、未那から距離を取る。
運動性能で多少劣る、旧型ロイドとも思えない動きだ。
「なんで人がいないときにおとなしくしてて、人が入って来た途端に暴走すんのよ、この駄マスターがっっ!!!」
主に触られていた余韻とはまったく関係なく真っ赤になって叫んだメイコに、未那は反省のはの字もない顔で笑った。
「え、だってメイコさんがそこにいるから」
「あんたにはTPOって言葉が存在しないのっ?!!」
叩きつけたメイコへ、未那は首を傾げた。
「子供はいませんよ?」
「PTAじゃないわよっ!!」
「じゃあ、海外に」
「PKOでもないわよ!!」
「そうすると、お笑いの」
「アンパン食わせるわよ!!てか、もういいわ!!」
存在しないことは、はっきりした。
肩を落とすメイコに、未那はにっこり笑って立ち上がった。
「さて、すっきりしたところで、いちごミルクとバナナミルクでっす♪」
「………………この駄マスター…………っ」
メイコはちっともすっきりしていない。
項垂れるメイコを置いて、未那はさっさと歩き出す。その背を恨めしげに見て、もう一段肩を落とすと、メイコも歩き出した。
「派手な色の姐さんなのに、あんな大人しげなおねぇちゃんの尻に敷かれてんだねえ」
「人は見かけじゃないってこったね」
追いかけてきた老婆たちの会話に、メイコはタイルにめりこみそうになった。