不機嫌にくちびるを引き結んだがくぽの手は、淀みなく壁を押す。

――見たら、殺さないといけなくなる。

笑いながらカイトが告げた、禁断の部屋への入り口。

「主は在らず」、もしくは、「父は在らず」と嘆くレリーフが導く、その部屋。

そこを開くための仕掛けを、がくぽは躊躇いもなく解いた。

ごとり。

最後のひとつを押すとともに、どこかで開錠を告げる音が響く。

がくぽは迷うこともなく、目の前の石壁のひとつを押し――

猛獣使いの油断と盲従

「がくぽ」

剣を握る筋張った手に、同じ男とは思えないほどに白くやわらかな手が重なる。

きゅっとやさしくがくぽの手を握るその力は、騎士のものと比べればお話にならないほど、弱い。

けれど。

「『だめ』」

「っっ」

振り払うことも出来ないままに、がくぽの体は固まった。

コマンダー・ヴォイス――その甘さもやわらかさも平素と変わらないまま、相手に絶対服従を強いる声。

この国に於いては、王族か、さもなければ王族の縁戚筋にしか現れない、特殊な力。

もっとも最近現れたコマンダー・ヴォイスの持ち主といえば、現女王の祖父であり、大王と呼ばれ慕われた、亡き先々代の国王が有名だ。

とはいえ、王族か縁戚筋ならば、必ず継がれるという力でもない。

女王にしろ、その父であり、病没した先代国王にしても、力の発現はなかった。

諸外国にまで女傑として名を轟かせる女王だが、その盤石にして揺るがない地位は、継がれるか継がれないか定かではない、おまけのような力に頼ったものではない。

すべて彼女の才知によるものだ。

歴史的に類例の少ない女王という存在でありながら、臣民から絶大な支持を得ている理由のひとつだろう。

彼女はわけのわからない力によって、運命に与えられた困難を乗り越えたわけではない。その持てる才知によって――

がくぽもそう思っていたが、今は少しばかり、女王に対して不信を持っている。

完璧にして完全なる女王施政、その唯一の瑕疵と言われる、決して捕まらない怪盗:始音。

国賊とすら呼ばれる彼が、表向きは女王もっとも気に入りの情人という立場を取りながら、実は裏では女王の隠密として働いていた事実を知ったためだ。

怪盗始音が盗んだ宝は、単純な「宝飾品」という意味に止まらない。そこには権力の象徴があり、または貴族が抱える秘密が含有されていた。

彼の暗躍が、脆弱だった女王施政の初期段階を支え、基盤を固めたことは、確認するまでもないだろう。

――そしてその怪盗始音こと、今、がくぽの手を止めたカイト・ヴォーク・ア・ロイド子爵は、女王の恩情によって爵位を与えられた新興の貴族でありながら、王族とその縁戚にしか発現しないはずの、コマンダー・ヴォイスの所持者だった。

女王が命じるままに政敵の弱みを盗んでいた彼が、まさか女王のためにコマンダー・ヴォイスを使わなかったとは、思えない。

「もう、がくぽ……一回だめって言われたことは、ちゃんと覚えてるでしょここはだめって、俺はちゃんと言ったよね?」

「………」

固まったがくぽの手を引き戻し、カイトはため息をつきながら言う。

がくぽは深く静かに呼吸をくり返し、「隠し部屋に入る」という目的を「諦めた」。

相手に絶対服従を強いるのが、コマンダー・ヴォイスだ。逆らう限りは体の自由を奪うが、服従を示せば――今回の場合、「だめ」と言われた行動を諦めれば、呪縛はあっさりと解ける。

「どうして言うこと聞けない……」

「何日目だ」

「んえ?」

続いていたお説教を遮り、呪縛を解いて自由になったがくぽは不機嫌そのものの、低く這う声で問いを放った。

困っていると言いながらも笑みを刷くカイトの顔を、冷たく睨み下ろす。

「俺を放ってふらふらと遊びに出て、何日が経った?」

「…………放ってって」

珍しいことに、カイトはそこで絶句した。

子供のように大きな瞳を見張って、顔を歪めるがくぽを見つめる。

「目的を果たしたなら、もう俺は用済みか餌をやる必要などないと」

「ちょ、ちょっと待った、がくぽ!」

吐き出される怨念に、カイトは慌てて両手を伸ばし、がくぽの口を塞いだ。

塞いだ手を叩き落とすことはないものの、恨みがましさを隠しもしないがくぽの瞳を、懸命に覗きこむ。

「餌をやらないって、ちゃんと、ごはんの時間には戻って来て、食べさせて上げてるでしょ?!」

「飯を食わせれば、それでいいと?」

「ええと………」

カイトの手にくぐもっても、がくぽの声も問いも、冷たさを失うことはなかった。

問いの正当性に、さすがに無茶ばかりするカイトも、口ごもる。

人間は食べるものさえ食べていれば、いいわけではない。

なによりかにより、その形がかなり歪んでいても、カイトとがくぽは恋人同士――肉体関係も込みで、だ。

食べるものさえ食べていればいいだろうという話では、ない。

「――だって、ほら……もうすぐ、慰霊祭でしょ……この時期、めーちゃんってかなり忙しいうえに、身の回りが微妙に、危険なんだもん…………だから、頼まれることも多くって………」

結局俯き、カイトはぼそぼそとつぶやいた。

相変わらず、女王のことをあまりに気安く呼ぶ。

不信は持っていても、がくぽは女王に対する畏敬の念は忘れていない。わずかに背筋を震わせたが、そこで容赦を覚える気はなかった。

元は騎士だったがくぽだ。「慰霊祭」前後の女王の身辺の慌ただしさには、もちろん覚えがある。

通称は「慰霊祭」だが、慰める対象はひとり――幼くして亡くなった、女王の弟王子ただひとりのための、祀り。

そもそも先代国王には、一男一女の子供があった。

現女王と、その弟である王子だ。そして本来であれば、この弟王子が、国を継ぐはずだった。王位の優先権は、第一子ではなく、男子にあるからだ。

しかしまだ齢五つにもならないうちに、王子は姉である現女王とともに、悪漢にさらわれて行方不明となってしまった。

そして悲劇的なことに、女王は女であったために命だけは見逃してもらえたらしいが、王子はさらわれてすぐに、殺されてしまったのだという。

遺骸もない――女王が救出されたのすら、さらわれてから十年以上も経ってからのことだったのだ。悪漢が遺骸をどこに葬ったかなど、調べようもない。調べても、出て来ようもない。

この国の慣例として、齢五つまでの子供は「ひと」ではなく、「神子」――神の眷属として扱われる。その名前は厳に伏せられて、姿を公にすることもない。

五つの誕生日とともに「神子」は「ひと」となり、「ひと」の世界に披露目の儀式が行われる――

齢五つにも満たなかったために、幼い王子の名前は臣民に披露目られることもなかった。神子のまま亡くなった子供の名前を披露目ることも、慣例が禁じている。

遺骸もない王子の墓には、「先代国王一の王子」という通称だけが、ひっそりと刻まれて終わった。

しかし厳密に言って、王国に訪れた悲劇は、これに止まらなかった。

一度に二人の子供を失ったことになる、女王の母である王太子妃だが、彼女は衝撃で、当時身籠っていた三人目の子供を流産するという憂き目に遭った。

度重なる不幸に完全に心身の平衡を失った彼女は以降、療養に専念して、表舞台に立つことはなくなる。

そのまま新しい子に恵まれることもなく、女王が救出されるわずか半年ほど前に、病を悪化させ、ひっそりと亡くなった。

夫である王太子が、父である先々代国王の死によって、国王の冠を継ぐほんの数か月前のことでもあった。

彼女はすべての子供を奪われた失意の中に、王太子妃として生涯を終え、墓に葬られた。

ようやく救出されたものの、母との再会が叶わなかった女王だが、さらにその数か月後には、後ろ盾となるべき父国王を、急な病で亡くすことになる。

この時点で王国に残った王族は、女王だけだった。

縁戚はいたが、いくら男子であっても、血筋の濃さ、正当さにおいて、到底女王には敵わない――とはいっても、当時の女王はまだ、救出されたばかりだった。

その身辺には良からぬ噂が付きまとい、臣民の支持は決して高くなく、味方も少なかった。

いやむしろ、こんな女王を戴くくらいならば、王家の転覆を計ろうとまで。

――逆境に次ぐ逆境を乗り越え、覆し、今日の女王施政がある。

その女王が基盤を固め、どうにかこうにか、明日には命諸共に地位を失うかもしれないという状態から脱して提案したのが、弟王子の死を悼む日、慰霊祭を毎年開催することだった。

「個人的な感情になりますが、わたくしはどうにかして、目の前にいながら救えなかった、幼いあの子に報いる方法が欲しいのです」

女傑として鳴らし、笑顔以外を見せなかった女王が、救出されて初めて涙を流し、臣民に求め訴えた――

慰霊祭を行うことはとりもなおさず、女王の身上に起こった忌まわしい事件を思い出させることでもある。そのためにこの時期はどうしても、反体制派の動きが活発化する。

闇に潜む反体制派を炙り出し、計画を潰すためには、同じ闇に生きる怪盗始音の活躍が、欠かせない。

――と、いう、諸々の事情はすべてわかったうえで。

「それで俺はあと何日、放り出される予定だ」

「ぅええっとぉ………」

弱腰になることもなく、居丈高に訊いたがくぽに、本来的には正当性があるはずのカイトのほうが、項垂れる。

ちらちらと目を泳がせて、結局、自棄の滲んだ素晴らしく愛らしい笑みを浮かべた。

「慰霊祭が終わるまで?」

「じゃあな、カイト」

「待てまてまてぃっなんでそうオトコマエに、躊躇いがないの惚れ直すよ?!待て』、がくぽっ!!」

「っ」

口を塞ぐ手を振り切って隠し扉に向き直ったがくぽの服の裾を掴み、カイトは慌てて叫ぶ。

コマンダー・ヴォイスがごく自然に混ぜられていて、がくぽの体は固まった。しかしすぐさま、解ける。

そもそも本気で、扉を潜ろうと思っていない。カイトの妥協を促しているだけだ。

「もぉ、………ほんとなら、お仕置きものなんだよ、がくぽ……?」

「おまえが俺を仕置くのかおまえがお・ま・え・が?」

「ぁぅう~」

項垂れるカイトをさらに項垂れさせて、がくぽは傲然と胸を逸らした。

ほとんど床にへたりこみそうになったカイトは、そのまま、ちらりと視線だけ寄越す。

「――わかった。今日………ぅうう、いや、今日………だけ。がくぽ、俺のこと、好きにしていいよ………」

ようやく吐き出した降参だが、その内容には微妙に不満が残る。

残るが、女王に背くことの恐ろしさは、付き合いの浅いがくぽでも身に沁みている。

これ以上の妥協を引き出すことも難しいだろうが、引き出した以上は加減する気もない。

がくぽはふっとため息を吐いて未練を振り捨てると、やにわに項垂れたままのカイトに手を伸ばした。その腰を抱き、顎を持ち上げて、くちびるに咬みつくように口づける。

「ん、んんぅっ………ぅうっ、ふ、ぁ………っ」

「ふ………っ」

舌先に感じる甘みに、がくぽの息は荒くなった。

さすがにキスくらいは交わしていたが、これから先に進める前提でするものとは、やはり違う。この甘さに存分に溺れていいと思うだけで、体中の血が沸騰するようだ。

触れてもいないのに硬く漲ったものをごりごりと押しつけ、がくぽは荒い息を堪えることも出来ないままに、カイトのくちびるを解放した。

「ぁあ……っさわってないのに、もぉ、こんな……っ」

「そうだ」

押しつけられる熱と硬さに、カイトの声と表情があからさまに欲情に濡れ、乱れる。

蕩けるように眺められ、伸びてきた手に撫でられて、がくぽは混ざって甘い唾液をこくりと飲みこんだ。

「俺をこうまで夢中にして溺れさせておいて、よくも放り出してくれたものだ、カイト……ただでは済まさんからな」

「ふぁあっ、ぁ………ゃぁあんっ」

ささやきだけで、カイトはびくびくと震えた。

常日頃からがくぽのことを、我が儘放題に振る舞う「だめご主人様」にしたいと企んでいるカイトだ。

痛めつけられるかもしれない予兆を感じると、格段に感度が上がる。

「ぁ、がくぽ……『』」

「カイト」

口を開いたカイトに、がくぽはうっそりとくちびるだけ笑ませた。

言葉を吐こうとしたくちびるを指で塞ぎ、熱に潤む瞳を、笑みもやわらかさもないままに見据える。

「仕置きだ。コマンダー・ヴォイスは禁止」

「っ、えええ?!」

「絶対に使うなよ。もし使ってみろさすがのおまえでも、後悔しないではおれぬ目に遭わせてやる」

「っぇええええ?!!」

叫ぶカイトにくちびるだけはにっこりと笑い、がくぽは冷たい廊下に華奢な体を転がした。

屋敷の中でも、暗い場所だ。カンテラの明かりこそあるが、そうそう視界が利くわけではない。それでもなにも見えないわけではなく、服を剥いて行けばきちんと肌の様子がわかる。

上のみならず下までも一気に剥ぎ取ったがくぽに、カイトは反射の動きで下半身を手で覆った――その場所は、性器があるという以上に、カイトの羞恥を煽る状態になっている。

「がくぽ、『』…」

「カイト」

「っひぐっ」

普段から、カイトは深く考えることもなく、コマンダー・ヴォイスを発している。

いや、考える考えない以前の問題で、意識もしていない。

望み通りになれ、とわずかでも願えば勝手に口をついて出る、それがカイトにとってのコマンダー・ヴォイス。

先々代国王はきちんと力の訓練を受け、滅多なことでは発することはなかったが、前身がなにをしていたのか不明なカイトだ――専用の訓練など、受けた経験もないのだろう。

「ぅ……っふぁあ……っ、ぁ………っ」

口を押さえて苦しげに身悶えるカイトに目を眇めると、がくぽは閉じる足を掴んだ。そのまま力任せに大きく割り開いて持ち上げ、カイトがもっとも羞恥を覚える場所を、殊更に晒す。

「や、がく……っ『』」

「カイト!」

「っひ、ぃぅうっ」

カイトの瞳から、ぼろりと涙がこぼれた。床が冷たいせいだけではなく、かちかちと歯を鳴らして震える。

「ぅ、ふ………ぅくっ、ひ………っぃいぃっ」

「いいか、決して言うなよ。いくらおまえでも、必ず後悔させるからな」

「ふ………っぅ、え………っぇうっ、ぁ………っ」

いつもならばカイトが少しでも悲鳴を上げると、止まるがくぽだ。カイトの望みとは正反対に、がくぽはこの愛らしい生き物に、やさしく甘く触れたかった。

しかし今日は、飢えに圧されている。溶けた理性はカイトが泣こうが喚こうが、とにかくこの体を欲してがくぽを苛んでいた。

口は悲鳴を上げても、カイトの下半身は期待される快楽に反応している。

ぴくぴくと痙攣する窄まりにくちびるをつけ、がくぽはわざと大きな水音を立ててそこを舐めしゃぶり、啜った。

口を押さえたカイトは、足指を丸めて羞恥と快楽に耐える。

反応に構わず、がくぽは舌を辿らせて、ふるりと勃ち上がったカイトの男性器にも口をつけた。

やはり甘い。人として有り得ないほどに、カイトの体は体液までもが甘い。

それだけでなく、カイトのそこには、大人ならば本来あるべきはずの毛が、一切なかった。しゃぶって勃ち上がったときの卑猥さはなお一層のことで、奥にがくぽを飲みこめば、さらに――

「ぅ、く………ふぁ、あ………がくぽ………っ、はや、はやく………っ、あ、はや……くぅ………っ」

募る羞恥のせいか、いつも以上に早く蕩けて強請られたが、がくぽはじっと我慢し、勃ち上がったカイトの男性器を舐め、奥で物欲しげにひくつく窄まりにしつこく舌を辿らせた。

「ふ、がく………ぅ、がくぽ………っぉねがぁ………っ、『いれ』っ」

「カイト!」

「っぅっ、ひ………っぃ、ぁ…………ふっ、ぅくぅ………っ」

快楽と苦痛に悶える体を見下ろし、がくぽはすらりとした足を肩に担いだまま笑った。

「どうにも、我慢が利かぬげだな。途中で油断されても、困る。そうだな」

笑ったまま、がくぽは剥ぎ取ったカイトのシャツを掴んだ。上質の絹で、手触りの良さも値段も破格だ。

がくぽは斟酌もせず、カイトの口にシャツをねじ込んだ。

「んぐ……っ」

「堪えられないなら、そうやってなにか咥えておけ。自分で取るなよ。気が済んだら、取ってやる」

がくぽは笑みすら湛えて傲然と告げると、愛撫に応えて蕩けた場所に自分を宛がった。

涙目で見つめるカイトへと、甘く爛れた笑みを向ける。

「好きにさせるのだよな俺の思うまま、存分に、おまえを味わわせてもらう」

「………っふ………く………っ」

口を塞がれて苦しいはずのカイトだが、腹の中に捻じ込まれる質量に徐々に笑みを刷き、がくぽへと手を伸ばした。

爪を掛けてがくぽにしがみつくと、ぐすりと洟を啜る。

耳元に聞きながら、がくぽはカイトの腹へと自分を納めきった。狭くきつい場所にきゅうきゅうと締め上げられて陶然としながら、カイトの肌に舌を辿らせる。

覚える、甘い味。

甘いあまい、カイトの味――

「俺をここまでにしておいて、放り出すなど、決して赦さんぞ、カイト………」

「ぅ、んく………っ」

吹きこまれた言葉に、カイトはぶるりと震え、さらにきつく、がくぽにしがみついた。