騒々しい足音とともに家に飛びこみ、慌てて鍵を締めると、マスターはそのままばったりと玄関に倒れた。靴を脱いでもいない。
ここ最近のマスターの、帰宅の日常となりつつある光景だ。
Love Marathon xxxkm
つい先日のことだ。体だけの付き合いを長年続けてきた幼馴染みの花屋の兄ちゃんに、マスターはプロポーズされた。
しかしマスターは、『きもちわるい!』と叫んで逃げ出し、以降――ずっと逃げ通している。
兄ちゃんのほうは、がくぽとがくに乗せられての勢いでプロポーズしたものの、マスターを嫁にしたいのは本当だ。
なんとかイエスの返事を取りつけたい兄ちゃんは、帰宅時間を狙って通勤路に待ち伏せを掛け、連日のように口説いてくる。
その兄ちゃんを振り払い突き飛ばし、マスターは仕事場から家まで、ほとんどの距離を走りっぱなしだった。
そもそもが体力のあるほうでもなし、運動能力が高いでもない。家に帰るまでは強迫観念で走り続けるが、辿りつくと限界だ。
鍵を閉めて安全を確保すると、ばったりと玄関に倒れ込む。
そのマスターの頭の傍に、がくぽとがくが膝を抱えて座った。
「美事だ、マスター」
「我らは感動したぞ、マスター」
二人はわざとらしいまでの感嘆の表情を浮かべ、倒れ伏したまま、ぜぇはあと荒い息をくり返すマスターに頷いてみせた。
「五十メートルを十二秒で走っていたそなたが、タイムを十一秒に縮める快走ぶり」
「マスター、我らはたかが一秒だなどと、侮ることはせんぞ。これを花屋の前からわが家までの距離に換算すると、毎日十秒も早く家に帰っていることになる」
「さらに毎日十秒を就業日数で」
「いい加減にする、おばかども!」
呼吸を継ぐのに必死で、さっぱりロイドたちに構いつけられないマスターに代わり、カイトががくぽとがくの頭を払った。
とはいえ、それ以上マスターを庇うでもない。夕飯の支度の続きのため、すぐさまシンクへと戻ってしまった。
がくぽとがくは顔を見合わせると、肩を竦める。再びマスターに顔を戻すと、首を傾げた。
「いい加減に諦めて、嫁に行けば良いものを…」
「そなたを連日口説くような、奇特の輩がそうそういるとも思えん。今のうちに片付いておけ、マスター」
諄々と言い諭すロイドに、マスターは呼吸も整わないままに顔を上げた。
「ぉっれはっ!!男だ、っつーのっ!嫁に、なんざ、行って、堪るかってんだ!!」
死にかけの態での主張に、がくぽとがくは軽く肩を竦めた。
「我らの嫁も男だが」
「我らはしあわせだぞ、マスター?」
「そう、男嫁なぞということに拘らず……」
「愛があればすべてで、いいではないか?」
「おっまえらはねっ!!」
あっさりと言い返され、マスターは壮絶に顔をしかめた。
「おまえらは『旦那』だからねっ!そりゃいいだろうがっ!その『嫁』さんのほうは、なんて言ってんの?!」
「カイトか?」
「カイト、か……」
半ば以上八つ当たりなマスターの問いに、がくぽとがくは台所を見た。
狭い家だ。
しかも台所とリビングと玄関は、一体型。
だから声は聞こえているはずなのだが、カイトはきっぱりと無視して、夕飯づくりに勤しんでいた。
が。
「……………」
「……………」
「……………」
「ええいっ、うるさい!!」
さすがのカイトも、三つの瞳にじーっと見つめられると、その圧迫感には負ける。
コンロの火を消すと、玄関に溜まっている男三人の元に憤然とやって来た。そのまま手首を閃かせ、ぺしぺしぺし、と三つの頭を払う。
「ばかな話に、僕を巻き込まないでくれませんか、この無知無能の駄マスターが!」
「そう言うけどさ、カイト!兄がくぽと弟がくぽがっ、ぶぎゃるっっ」
「「カイト」」
不機嫌丸出しでマスターの頭を踏んだカイトに、がくぽとがくは立ち上がった。勇ましい『嫁』の腰を抱くと、両脇からずずいと迫る。
「そなたは我らの嫁で、ふしあわせなのか?」
「我らの嫁であることに、不満があるのか?」
「嫁呼ぶなっ!」
迫られて反射で叫んだカイトだが、がくぽとがくがあからさまに表情を曇らせるのに、きゅっとくちびるを引き結んだ。
手を伸ばすと、二人の後頭部に回す。
がっしり掴むと、カイトは躊躇いも容赦もなく、二人の額と額を打ち合わせた。
「だっ!」
「ぐっ!」
「おばかどもが」
呻いても腰を抱いたまま放さないがくぽとがくを、カイトは冷たくせせら笑った。
「いやだったり赦せないことを、ずっと続けたりするもんか。そんなことしたら、家から蹴り出してやる」
「………カイト」
「カイト!」
ぱっと表情を輝かせ、がくぽはカイトのこめかみに、がくは頬にキスをする。
カイトの腰を抱く腕に力を込めると、がくぽとがくは揃って得意満面となり、潰れたままのマスターを見下ろした。
ぐっと息を呑んだマスターだが、その表情はすぐに強情なものに戻った。倒れたまま起き上がれないものの、珍しくもきっとしてロイドたちを見返す。
「っだとしても、あいつのとこにだきゃぁ、嫁になんざ行くかぁっ!!」
負けじと叫び返し、マスターは懊悩著しく、頭を掻きむしった。