Stubborn Daddy & Blue sky
駄菓子屋の店内、レジ台傍に置かれたベンチに座ったがくぽは、陳列棚を透かして、遥か彼方を見つめる瞳となった。
「生きるとは、道理の通らぬことやわからぬことに、多々直面するということなのだな、ご店主よ」
感慨深げな言葉に、がくぽなどとは比べものにもならないほどに長く生きてきた、駄菓子屋の店主である老婆は穏やかに笑った。
「そうだねえ。自分の思うとおりにばっかりは進まないのが、人生、生きてるってことだねえ」
まずは若者の言葉に頷いて共感してやり、しかしそこで終わることなく、人生の先達者は「でもね」と続けた。
「だから、生きてるってのは、たのしいねえ。全然、自分の思うとおりに進まなくって、しっちゃかめっちゃかで、ちっとも予測できなくて、次になにがあるか、起こるか、まったくわからない」
茶目っ気たっぷりの口調で並べ立てられ、がくぽはわざとらしく、けれど少しばかりは本音も混ぜて、驚いたように瞳を見開いた。
「そうまでなのか?それでは、あまりにおとろしうないか?」
人生経験の浅い若者らしいがくぽの問いに、老婆は若い娘のように華やかに、明るく笑った。
「おとろしいよ。そりゃ、おとろしいさ。……けどね。たぶん、人間ってのは、『わかる』より、『わからない』ほうが、ずっとたのしくっておもしろいって思うようにできてるんだよ。わからないから、わかりたい、知りたい、手に入れたい、辿り着きたい………そうやって、ここまでの歴史があるのじゃないかね」
「ふむ……」
老婆の言葉に、がくぽは己の手を見た。
爪の先まで丁寧に、完璧に、整えられ造り上げられた、己という存在――
自分たちロイドという存在もまた、人間がなにかを知りたい、わかりたいと欲し、手に入れん、辿り着かんとする道程で得られた、歴史のひとつなのだろう。
未知なるものは恐ろしいと怯え震えるだけで済まさず、愉しいと、面白いと挑み続けた、『わからない』の結果。
がくぽはふっと笑うと、眺めていた手を握り締めた。
「なにやら、愉しうなってきた………やはり先達の言葉には、学ぶものや得るものが多いな。かたじけない、ご店主よ」
笑みとともに軽く頭を下げたがくぽに、老婆は華やかに笑った。
「役に立ったんなら、良かったよ。あたしが生きてきたのも、伊達じゃあないと思える。ほら、おかきお食べ」
がくぽに好物を勧めてから、老婆はちょこりと首を傾いで、その懐を覗き込んだ。
「ああ、カイトちゃん………かりんと、まだあるよ。食べるかい?」
「ん、らいじょーぶ、おばひゃ……んぐぐっ」
老婆が覗き込んだがくぽの膝の上には、カイトが座らされている。
そしてさらに、傍らに座ったがくによって、口の中に次から次へとお菓子を突っ込まれていた。
老婆と談笑しつつも、がくぽの手はがっしりとカイトを抱え込んで押さえつけている。逃げようがない、強制おやつタイムだ。
「ん、んぷはっ!が、がくっ、も、お茶っ!!いっかい、お茶っっ!!」
「む、それもそうか……。よしよし、ほら」
「んくっんくっ……」
喚くカイトの口に、がくはいそいそと茶碗を宛がう。
喉を鳴らして飲み干すと、カイトはわずかに体を反し、がくぽに抱きついてその肩に顔を埋めた。
「で、今の話のココロは?」
「ん?」
抱きつきやすいように体勢を変えてやったがくぽは、カイトの髪をやわらかに梳く。
こめかみに口づけてから、新しい茶を淹れる老婆を見やった。
「体を赦していたということは、相手のことがまったく嫌いだというわけではないのであろう?いくらどうでも、そこまで自棄な性質でもあるまい………だというのに、マスターはいつまで経っても、花屋のに色好い返事をせぬ。不可解で、道理が通らぬと思うてな」
「兄者は真面目ゆえな」
カイトの口に菓子を突っ込む隙を探りつつ、がくが笑う。
老婆は皺に埋もれた瞳を、ちょっと見開いてみせた。
「おや。もしかして、たー坊はようやく、ゆう坊にぷろぽーずしたのかい」
訊かれて、がくぽは生真面目に頷いた。
「うむ。……しかし、マスターは逃げ回るばかりで、一向に容れぬ。どういうわけかと思うてな」
髪を梳くがくぽの手にねこのように瞳を細めつつ、カイトは抱き締める体にさらにしなだれかかった。
「………たかがそんなことで、あそこまでの人生訓に持ってくんだから、さすがだよ、このおばか」
それも、弟に菓子を『あーん』されるカイトを膝に抱えてだ。
カイトはねこそのもののしぐさでがくぽに擦りつきつつ、菓子を持って待機したままのがくを、軽く蹴っ飛ばした。
がくはへこたれることもなくその足首を掴んで捕らえ、持ち上げるとちゅっとキスを落とす。
「そんなこと、か、嫁?我らのマスターの、人生の大事だというのに」
「そんなことだよっ。あと嫁言うなっ」
「よしよし」
膝の上でしなだれかかったまま暴れるカイトの背を、がくぽは幼児をあやすようにやわらかに叩いた。
がくも相変わらず、足首を捕らえたままカイトを見つめている。
微妙な表情の二人を、カイトはせせら笑った。
「『マスター』ったって、他人のことだよ。他人のことなんか、放っとけばいいんだ。なるようにしかならない、絶対に自分の思いどおりになんかならないんだから」
冷たい声音で吐き出したカイトに、老婆が同意してうんうんと頷く。
「そうだねえ。いくら『ますたー』のことでも、がっちゃんとがくちゃんは、他人のことになんか構いつけてちゃだめだねえ。カイトちゃんのことを、ちゃんといちばんに見てて上げなきゃぁ」
「ぅっっ」
「………………」
「………………」
老婆の言葉に、カイトが呻いた。
微妙な表情だったがくぽとがくだが、花色の瞳を丸くすると、顔を見合わせる。
その顔がすぐに、だらしなく笑み崩れてカイトへと戻った。
「成る程。ヤキモチか、嫁」
「ヤキモチなぞ、妬く必要もないというのに、嫁よ」
途端に擦り寄って来てでれでれと言う二人に、カイトは顔からうなじから、真っ赤に染めた。
べしべしと、だらしない顔のがくぽとがくの頭を叩き飛ばす。
「嫁言うなっ!!あとヤキモチなんかじゃないっっ!!」
叫んだが、すでに言葉には説得力がない。
叩いても払ってもめげることのないがくぽとがくにキス責めにされ、暴れる体からはみるみるうちに力が抜けていく。
にこにこと笑ってその様子を眺めていた老婆だったが、わずかに感慨深げな表情となると、陳列棚を遥かに透かして遠くを眺めた。
「そうかい…………たー坊も、ようやく………ゆう坊ももう、そんな年になったんだねえ………あたしも年を食ったわけだよ…………」
つぶやいてから、体格のいい旦那二人に潰され気味になっているカイトを、にこにこと微笑んで見た。
「お墓にご報告に行ってやんないとねえ、カイトちゃん」
老婆の言葉に、がつんっという痛々しい音が重なった。
「うぬ…………っ」
「ぐぅ…………っ」
やり過ぎたお仕置きとして額を打ち合わせられたがくぽとがくは呻いて、さすがに止まる。
二人の後頭部をまだ掴んだままのカイトは、真っ赤な顔で叫んだ。
「まだはやいっっっ!!」