――ケッコンケッコン言われて、マリッジブルーになりました。
家出します。探してください――
Circle,Triangle, & Hearts
「ふ……っ」
「くっくっくっくっく」
リビングの座卓の上に置かれた書置きを眺め、がくぽとがくは斜めを向いて笑った。
働くものにとっては、待望の休日。土曜日なので個人商店は辛うじてやっているが、マスターは休みだ。
その、朝――少なくとも、まだ午前中。いつもなら、カイトに起こされて朝食だけは食べたものの、二度寝に突入している時間に――
座卓にぺらりと乗せられたちらしの裏に踊る、まるで書道家のように無駄にきれいに整った字は、見間違いようもなくマスターのもの。
「いつもいつも、行動の鈍いマスターにしては、見上げたものだと言ってやらぬでもない………」
「そうだな、兄者。我らの隙を突くとは、なかなかの根性…………」
くつくつと咽喉を鳴らして笑いながら、がくぽとがくは冷たく吐き出す。
爪先まで造作の整った指がぴんぴんと軽やかに書置きを弾き、次の瞬間、轟とした声が迸った。
「しかし幾つになって、『結婚』の文字が漢字で書けぬ!」
「そのうえ、プロポーズに応とも言わぬうちから『マリッジブルー』なぞ、片腹痛いにも程があるわ!」
本人がいなくとも書置きにきっちりダメ出しをして、二人は揃ってひとつの文を指差した。
「「ましてや『探してください』とは、何事だ!!」」
自己主張するところによれば、家出だ。探してくださいでは、なんのための家出なのかわからない。
「まったくもって、性根の甘えたどうしようもないマスターだと思っていたが……」
「ここまでとなると、もはや甘いというものではない。腐っている」
傲然と胸を逸らし、ふふん、と鼻を鳴らすがくぽとがくの間に、カイトがひょこんと顔を出した。
「で?二人とも、お弁当にする?外で適当に食べる?それともお昼になったら一度、うちに帰ってくる?」
問いに、ニヒルな笑いにくちびるを歪めていた二人は一転、無邪気で子供じみた悦びに、ぱっと表情を輝かせた。
「嫁の手作り弁当か…………!」
「愛妻弁当というわけだな、カイト……!」
「はんっ」
浮き立つがくぽとがくに、カイトはナナメに笑った。拳を固めると容赦なく、ごんごんと二人の頭に落とす。
「嫁言わない。愛妻弁当でもない。残り物詰めて、おにぎり握るだけだし!」
眉をひそめてすべてに律儀にツッコみ、カイトは首を傾げると一転、にっこりと愛らしく笑った。
「お弁当でいいみたいだね。三角おにぎりと俵おにぎりなら、どっちがいい?」
問いに、がくぽとがくは互いの顔を見合わせた。こっくりと頷く。
「兄者、むすび飯といえばやはり、三角か」
「うむ、弟よ。古今あれど、やはり懐に忍ばせるなら、三角だ」
「俵おにぎりでいーよね!」
「…………………………」
「…………………………」
思わず見つめる二人に、ほんのりと目元を染めたカイトはわずかに拗ねた色を刷いて、横を向いた。
「………………だって僕、おにぎり、三角に握れないんだもん………」
なぜ訊いた。
しかし残念な旦那どもは、かわいい嫁のそういうところにツッコむ性格ではなかった。
「「なんと愛らしい嫁だ………………!!!」」
贔屓の引き倒しを躊躇いなくやって、心から感嘆して叫ぶ。がくぽは素早くカイトの腰を掴んで引き倒し、がくは転がった体の上に伸し掛かって下半身を押さえた。
見事な連係プレイでカイトの自由を奪うと、キスの雨を降らせる。
「ちょ、こら!!嫁いう………っんわぷっ!!」
「それにしても、済まなかった。嫁の望む答えを言ってやれぬ我らは、まだまだよな」
「傷ついたろう?かわいそうに………責任を取って、我らが十全に慰めてやるゆえ………」
「ぅんむむむーーーーーっっ!!!」
キスの湖に溺れかけたカイトは、懸命に手を伸ばした。長く美しい髪まで含めてがくぽとがくの後頭部を掴むと、力任せに自分から引き剥がし、二人の額を打ち合わせる。
「ぐっふっ」
「ぅぐぅっ」
「はふっ……………!」
呻いてうずくまったがくぽとがくの腕の中から、カイトはよれよれと抜け出した。すでに疲労困憊だ。
カイトはよたよたと這って、がくぽとがくからわずかに距離を開けて座った。首を傾げると、未だに額を押さえて呻く二人を静かに見る。
「マスター、探しに行くんだろ。力がいっぱい出るべんとー作ってやるから、さっさと行って来い、おばかども」
「………………」
「………………」
どこか諦めたようにやさしく微笑んで言われ、がくぽとがくはぱちぱちと瞳を瞬かせてカイトを見た。
「「カイトは行かぬのか?」」
「ばぁあっか」
声を揃えての問いに、カイトの言葉は罵倒でも、語調は限りなく穏やかでやさしかった。
「なんで僕が、あの無知無能の甘えんぼに、これ以上付き合ってやんなきゃいけないんだ。僕はごはんを作って、掃除して、洗濯して、あの甘えんぼのためにやることが、いーっぱい、あるんだぞ?」
がくぽは軽くくちびるを引き結んで黙ったが、がくのほうは反対に身を乗り出した。
「しかしそれでは、カイトが一人で留守番になってしまう。我らに弁当をとなれば、昼飯まで一人に………った!」
「どーじょーするな、ナマイキに」
言い募る途中で、がくは当のカイトからでこぴんされた。
それでも体を引かないがくの腰を掴んで引き戻したのは、がくぽだった。抗議しようとした弟に、こっくり頷く。
「昼前に見つけて帰れば良い」
「…………………」
「…………………」
がくとカイトはきょとんとがくぽを見つめ、それからぽんと手を打った。
「頭いいな、がくぽ!」
「さすがは兄者だ!!」
「うむ、いやなに………ほんの嗜みの程度だ」
二人から手放しで褒められて照れたのか、応えが意味不明だ。
がくの表情はあからさまに輝いたが、カイトのほうはすぐに首を傾げた。
「じゃあ、おべんといらない?」
「「それはそれ、これはこれだな」」
問いに、がくぽとがくは即座に返し、カイトへと笑いかけた。
「せっかくの休日だぞ、カイト。家族が揃ったところで、弁当を持って公園にでも行こう」
「花も盛りだ。陽気も良い。たまには普通の家族らしく、行楽に勤しむのも良かろう」
がくぽが締め、がくと顔を見合わせるとこっくり頷いた。
「「というわけで」」
「ん?」
なにかの能力者のように、素早く距離を詰めて伸し掛かってくるがくぽとがくに、カイトはきょとんとした。
「とりあえず、愛らしい嫁を堪能してから………」
「英気を補給してからでなければ、斯様な面倒仕事、とてもこなせん」
「がくぽ………がく………」
やに崩れて言うがくぽとがくに、カイトもにっこり笑い返した。
その両手が、二人の後頭部へ回る――