しょちぴるり

第1部-第14話

カイトのように、乞われるままに恵みを与えるために歩くのではない。

彼女は、森の治安維持を担っていた。

神にとって最後の安息地であり棲息地となるこの森の中に、人間が入りこんでいないか、森の傍を人間がうろついていないか、怪しい動きがないか――神獣とはまた別に、歩き回って見張る。

歩き回っている最中に偶然、カイトを見かけることも、よくあることだ。

挨拶をすることもあるし、見かけただけで過ぎ去ることもある。

しかし今日に関しては、到底看過出来なかった。

視線を巡らせた先にいたカイトは、がくぽと抱き合って口づけを交わしていたのだ。

メイコにとって、カイトが誰かと口づけをする、その理由はひとつだった。

「あんのヌケマ、ひとの話なんざ、ききやしない……っ!!」

歯軋りすると、メイコは風のように木立ちを抜け、カイトの元へと走った。

「カイト、このヌケマ!!」

「っっ、と、カイト殿っ」

「ぁ、あふ………っ」

怒声を浴びせかけた瞬間、がくぽが慌ててくちびるを離した。咄嗟に離れかけた腕は、しかしすぐにカイトを抱きしめる。

メイコが来たことにも気づけないまま、カイトはがくぽに支えられてようやく立っている状態だった。

「……あら?」

でこぴん用にすでに用意していた指先を披露することなく解き、メイコは瞳を見開くと口元を押さえた。

もしかしたら、誤解していたかもしれない。

「メイコ殿、お咎めなら私だけに。カイト殿は……」

「むつかしい言葉、つかうんじゃないってんのよ!」

反射で怒鳴り返して、メイコはカイトとがくぽの様子を観察した。

言葉の難解さ加減はいつも通りだが、しゃきしゃきと話すがくぽがどこか、舌足らずだ。

そしていくらなんでも、カイトが自力で立てていない。

禁じている『神気』を与えた挙句、加減を誤ってやり過ぎてしまい、力を失くしたというのではない。どちらかといえば――

「メイコ殿、私がカイト殿に無理やり………」

懸命にカイトを庇おうとしていたがくぽだが、言葉に詰まって身を引いた。

メイコが笑っている。それも、ひどく機嫌よく。

「なんだ、あんたたち………『口づけ』してただけなのね。あたしはまたてっきり、このヌケマがいってもいってもきかないで、『生吹』をやってるのかと、おもったけど」

「……………」

がくぽは慎重にメイコを観察した。

カイトは、言っていた――『神気』を与える行為は禁止されているから、やっているところを見つかると怒られるのだと。

どの程度のどういった怒りかはわからない。しかしそういったところはいつも淡々と流すカイトが、珍しくも本気でいやそうだったから、容赦はされないのだろう。

だからこそ、今、メイコに見つかることは避けたかったのだが――

「だったらいいわ。ジャマして、わるかったわね」

神気を与えることに比べれば、男同士で口づけを交わすことなど問題にもならないのか。

神の倫理規定というか、違反意識に理解が及ばないまま、がくぽは戸惑いながらカイトを抱きしめ、メイコから庇っていた。

「メイコ殿」

出来ればそんなことを問いたくはない。が、このまま去られて後になって、油断しているところに押しこまれ、踏みつけられるのも嫌だ。

あっさり背を向けたメイコへと、がくぽは声を掛けた。

「………いいのですか」

とはいえ、具体的になにをと、言えることもない。

ひどく曖昧な問いになったが、メイコはいつものように癇癪を起こすことはなかった――古い神さまと、カイトが分類したものは、こと細かに言葉を尽くすより、曖昧なもののほうが拾いやすいらしい。

振り返ったメイコは、にんまりと性質の良くない笑みを浮かべ、揺らぐ瞳のがくぽを見つめた。

普段の粗雑さから考えると驚くほど優雅に手を上げ、がくぽに抱かれてようやく立つカイトを指差す。

「そのヌケマ、どうしてそんなカッコさせてると、おもう?」

「………っ!」

瞳を見開いたがくぽに、メイコは声を立てて笑った。機嫌がいいままに、手を振る。

「じゃあね。ゴカイしたとはいえ、わるかったわ、ジャマして。ゆっくりやんなさい」

「………」

するかと、反射で叫びそうになったが寸でのところで飲みこみ、がくぽはメイコを見送った。その姿はすぐに木立ちに紛れ、気配も追えなくなる。

がくぽは無意識のうちに、カイトを抱く腕に力を込めた。

「………めー…ちゃん?」

「……」

ぽつりと、ひどく舌足らずにカイトがつぶやいて、がくぽの腕の中で体を起こす。未だに縋りついたまま、メイコが去ったほうへと顔を向けた。

「………あぶな……」

「カイト殿………」

心底ほっとしたように言葉をこぼし、カイトはがくぽへと擦りついた。

「もーすこしで、怒られるとこだった……がくぽが口づけにかえてくれなかったら、泣かされてた……!」

「………そ、れは…」

おかしな感謝のされ方をして、がくぽは言葉に詰まる。

カイトの言葉も声も、どこまでも無邪気だ。『口づけ』の意味をまるでわかっていないとしか、言いようがない。

胸から顔を上げたカイトは、うれしそうに微笑んでがくぽを見上げる。

「………ありがと、がくぽ」

「……っ」

メイコはきちんと、『口づけ』の意味をわかっていた。

がくぽがカイトにしていたことを――募る欲情を、溜まる一方の欲求を、歯止めの利かない欲望を、正確に理解していた。

口づけだけで終われるわけがない。

火照る体はくちびるだけで満足せず、この相手のすべてを暴きたいと、息が止まるほどに叫んでいる。

――おそらく、そういった深奥まですべてを、メイコは読み取っていた。

だというのに、肝心のカイトが。

「がくぽ、くるしいのはもうちょっとなら、上げてもだいじょうぶだよ」

「っ」

頬を撫でられて、がくぽは束の間固まった。

この特徴的な撫で方は、口づけ寸前の。

「………カイト殿。今、見つかりそうになったばかりでしょう」

「そーだけど。もぉ、いっちゃったから、今度はへーき」

窘められても懲りることなく、カイトは笑った。

「それに、またあぶなかったら、がくぽが口づけしてくれたら、いいし」

「………」

がくぽはほとんど項垂れて、無邪気に過ぎるカイトの肩に懐いた。

抱きしめる腕は、ずっと緊張している。ともすれば抱き潰しそうなほどに狂おしく、力が入るのを、必死で堪えているのだ。

それなのに、カイトはこちらの努力を嘲笑うかのように、次から次へと試す言葉を放り投げる。それはもはや、無造作と言い換えてもいいほどに。

「がくぽ?」

「…………」

諌める言葉を探していたがくぽは、ふと瞳を尖らせると、カイトを抱く腕に力を込めた。

首筋がちりつく。火で炙られるように、不快な痛みを伴って。

カイトの肩に半ば顔を埋めたまま、視線だけを巡らせて、がくぽは周囲を観察した。

おそらく、いる。

神の棲み処にして最後の安息地、禁域である森の中に、――人間が。

「…………っ」

久方ぶりの同族の気配だというのに、がくぽはそのあまりの不愉快さに舌打ちを漏らしかけた。

首筋が痛む。火で炙られるように。不愉快で、狂いそうな、痛みと嫌悪。

「がくぽ………がくぽ」

「カイト殿、んっ?!」

油断した。

気配に気を取られて防御が緩んだところを、見逃すカイトではなかった。

頬を撫でられたかと思いきや、くちびるにくちびる――甘いあまい薄荷が吹きこんで、がくぽはごくりと咽喉を鳴らした。