しょちぴるり

第1部-第16話

裏切ってなどいないというのは、誰が聞いても詭弁にしかならない。

がくぽに剣を授けたのは東の国の公主で、がくぽは膝をついて拝命した。

がくぽの主は、公主だ。

彼女の望むまま、命じるままに、駒として生きて駆け、死ぬ。

それが、定めだった。

だが、がくぽは国を出た――軍を飛び出し、国すらも捨てた。

公主に敵為すものに、与したことはない。

けれど公主が命じぬままに剣を振るい、戦い、生きた。差し向けられた追っ手を、殺しもした――

「ユキさまのお嘆きいかばかりか、語りましょうか、神威あんな幼い公主を嘆かせて心も痛まぬのなら、貴方は本当に鬼ですよ」

幼馴染みの青年の口調はやわらかく、楽しそうですらある。

がくぽは鼻を鳴らし、剣を振るった。背後から近づいていた隠密衆を跳ね飛ばす。

「公主となれば下っ端の一剣士のことなぞ、いちいち気に掛けまい。俺が抜けたことすら、知らぬはずだ」

「おやおや、薄情な」

気分を害する様子もなく、青年――キヨテルは笑う。笑いながら、ゆらりと身を倒した。

陽炎のように画が揺らいだかと思った次の瞬間には、懐に入りこまれている。

「っシッ」

「っ」

懐に入りこんだ相手に剣を振るうのは、至難の業だ。

がくぽは無造作に仰け反り、勢いままに足蹴をくり出した。足に感触を感じると同時に、キヨテルは後方へと飛び退って衝撃を逃す。

がくぽは蹴りを放った足を回転の振子に変え、勢いをつけて一気に距離を縮めると、剣で後を追った。

「足癖が悪いですね、神威!!」

「お陰様でな!!」

笑いながら罵るキヨテルに剣は届かず、わずかに空を斬った。がくぽが止まることはない。そのまま剣を反すと、死角から肉薄した隠密衆を薙ぎ払う。

「幼馴染み相手に対して、容赦もない」

「お互い様だな!!」

わざとらしく涙を拭う真似をしたキヨテルへ叫び返しつつ、がくぽはさらに踊るように体を反転させ、もう一人の隠密衆を薙ぐ。

息つく暇もなく掛けられる攻勢に応えつつ、がくぽは舌打ちする気分だった。

鈍っている。

ここ最近、なんだかんだと問題を抱えていたとはいえ、鍛錬を怠り過ぎた。体力の低下が著しいことも確かだが、下支えする筋力も落ちている。

そのうえ平和ボケして、今ひとつ勘が戻っていない。

長期戦となれば、不利だ。

「っふ………」

目まぐるしく応戦しつつも呼気を整えたがくぽに、わずかに離れたところで傍観していたキヨテルは瞳を細めた。

がくぽの気配が変わる。

幼馴染みの出現に一度は緩んだ殺気が、場を支配し始める。

イクサ場にあって、常に前線で大軍と死闘を繰り広げてきたがくぽだ。しかも繰り広げただけでなく、生き残って、ここに在る。

がくぽが本気で殺気を抱けば、隠密衆では戦い切れない。隠密衆の戦技とは、あくまでも影身に徹して逃げることを第一条に掲げ、まともには敵とぶつからないことが前提のものだからだ。

「………あなたは、公主が下っ端の一剣士のことなぞ気に掛けまいと言いましたけれどね。自分が色男だというのを、忘れていませんか」

「莫迦が」

幼馴染みからの、殊更にのんびりとした口調での問いに、がくぽは隠密衆をあしらいながら鼻で笑う。

キヨテルも楽しそうに笑ってみせながら、幼馴染みの様子を窺った。

「なにが莫迦です国にいるとき、あなたがどれほど女性の注目を集めていたか、知らぬ私だとでも遍歴の一部でも語りましょうか、ここで」

「他人事をそこまで覚えている貴様は、気持ち悪いだけだぞ!!」

「ぁいた」

気を逸らそうとしても乗られることなく、がくぽの闘気が場を圧し始める。

影響されて動きが鈍りつつある隠密衆を眺め、キヨテルはくちびるを歪めた。

注目を集めた理由は、色男だからというだけではない。

その美しい剣筋と、幾度ものイクサを生き抜いてきた、歴戦の剣士の号と、共にあればこそ――

「………ユキさまだとて、あなたの虜でしたよ。私が幾度、かっこいいかっこいいと、あの方の口から聞いたことか。失望させるために、女性遍歴だって思わず調べてしまいますよ」

一瞬だけむくれてつぶやいてから、キヨテルは森の中へと目を遣った。

そのくちびるの歪みが、笑みに変わる。

「そのうえ今度は、神を堕としたようですね、神威」

「っ」

がくぽの剣筋が、わずかに乱れた。

気づかぬふうを装い、キヨテルはにこやかに続ける。

「かわいらしい方でしたね………無邪気に口づけを強請ったりして」

「どこまで見ていた!!」

「っとと!!」

取り囲んでいた隠密衆の輪から抜け出し、がくぽは端然と立つキヨテルへと肉薄した。

戦鬼と化しきれない、微妙な羞恥と困惑に歪んだ顔で、剣を振るう。

鈍った剣なら、避けるも容易い。

あっさり避けて、キヨテルは剣を仕舞ったまま、がくぽの背後に回る。ぴたりと体を付けると、耳に吹き込んだ。

「女性に飽き足らず、今度は男に手を出したのですね、神威………まあ、相手がアレでは、わからないでもありません」

「っくっ」

振り返り、がくぽは剣を振るう。それも避けて、キヨテルはくちびるだけを笑ませた。

「あなたの理想、どんぴしゃりですからね………間違いなく大人でありながら、可憐で無邪気で幼く、そして慈悲深く慈愛深い。高望みもいいところですそんな相手なぞ、いやしないと思いきや」

「出歯亀も甚だしい!!恥ずかしくないのか!」

幼馴染みの揶揄に、がくぽは憤然と叫ぶ。

しかしこれには、肝心の非難されたほうが呆れ返った。がくぽが振るう剣を避けながら、自分を指差す。

「神威。あなた、私をなんだと思っているんです隠密衆ですよ出歯亀はむしろ、仕事です。もっとも基本中の基本ですよ。恥ずかしいなんて思っていて、隠密衆が務まりますか!」

愚問だと、諭された。

まったくもって反論しようもなく、言う通りだ。

がくぽは歯軋りし、キヨテルへと向けていた剣を下ろす。気を取り直すために息を整えようとして、すぐまた剣を振り上げた。

息をつかせる気など、相手に微塵もない。

再び隠密衆に囲まれながら、がくぽは油断なくキヨテルを窺った。

「望みは」

「愚も過ぎれば死にますよ、神威。如何にあなたといえどね」

問いに、返る声音は愉しそうに弾みながら、冷たい。

「裏切り者であるあなたの討伐を口実に禁域たる森へと入り、うっかり通りがかった神を、ついでに狩る。そんなところでしょうかね」

「なにがついでだ」

負けず冷たく吐き捨てたがくぽにキヨテルは微笑み、はっきりと森の中へ目を向けた。

「裏切り者の討伐も神を狩ることも、国のため、なによりも公主の御為に。……………それが、『主』を求め狂い彷徨ったあなたが、ようやく見つけた、運命の相手であろうとも」

「っ」

キヨテルの視線の先を追って、がくぽは引きつった。

大人しく言うことを聞くとも思えなかったが、やはり追って来てしまったらしい。木立に紛れて、カイトの姿が見えた。

今はまだ、戦いに竦んで動けずにいるようだが、おそらくすぐにも――

「っふ………」

鋭い呼気とともに、鈍りつつあったがくぽの動きにキレが戻った。

いくら本調子でなかろうとも、歴戦の剣士の本気に下っ端の隠密衆が敵うわけもない。

わずかな間で囲む隠密衆をすべて斬り伏せると、がくぽはキヨテルに相対した。

「やれやれ!」

部下の死に対する感慨を、キヨテルは軽く肩を竦めるだけで終わらせた。笑みを浮かべたまま、一度森の外へと飛び退る。

がくぽと十分距離を開けたうえで、地平の彼方を指差した。

「無駄だとわかりませんか、神威。傍に軍気があることなぞ、あなたなら感じ取れるでしょう一軍相手に、あなたひとりでどう戦う気です?」

「だからといって、諦める気はない!!」

叫んだがくぽに、キヨテルは呆れたというしぐさを見せる。

そのまとう気配が、唐突に変わった。きり、とくちびるの端が上がり、牙が覗く。

「『主』を得ることが、東の剣士にとってもっとも重要な、人生の目的。生きる縁。これと定めた相手のためなら、一命惜しむこと無し。その想いは狂気であり凶器」

謳い上げて、キヨテルは身を反す。一度は出た森の中に、吹き込む突風のように舞い戻った。

勢いままに、がくぽへと剣を突きつける。

「わかっていますが、隠密衆にも主のために身命を尽くす義がある。情があり、理がある。主のために生きて死ぬことを教えられるのは、剣士だけではないのですよ、神威!」

「っ」

「がくぽ!!」

下っ端の隠密衆を相手にしていたときとは比べものにならないほどの重さで、剣同士が噛み合う。

高く不快な金属音とともにカイトの悲鳴を聞きながら、がくぽは歯を食いしばり、空白の表情で対する幼馴染みを睨みつけた。

本調子でないときに、したい相手ではない。

「私の主はユキさまです。そしてあなたはユキさまを裏切った。剣を賜りながら、その剣を別の主へと捧げ、命を預け、戦った。度し難く赦し難い」

「っシッ」

気合いを入れると、がくぽはキヨテルの剣を跳ね返す。素直に飛び離れたキヨテルの身が傾き、陽炎のように画が揺らいだ。

懐に入られる。

まずいとは、思った。

しかし、避けられるとも判断した。

ぎりぎり、布一枚犠牲にして――

「あなたが定めた主を、狩りましょう。狩って、ユキさまに捧げましょう。縛り上げ、地に頭を擦りつけさせて」

「っっ」

頭に血が上った。

沸騰する。

布一枚なぞ、生温い。肉を断たせてもやろう。

だが決して、生きて帰さない。

避けかけた体が、キヨテルの剣を呑みこむように向かう。

そうとはいえ、素直に呑みこむ気もなかった。

瞬間。

「がくぽ、『逃げて』!!」

カイトの悲痛な『命令』が迸り、がくぽの体は意に反して止まった。