しょちぴるり

第2部-第2話

がくぽの手が器用に小刀を操り、野うさぎから皮を剥いで、肉と分けていく。

手さばきに淀みもなく、不安なところもない。

傍らに膝を抱えて座りこんで、カイトは興味深くがくぽの手つきを見ていた。

北の森の冬は、長く厳しい。

東の方ならとうに春の兆しが見える季節となっても、未だに北の森は厳冬の最中だった。

雪に埋もれて狩りも思うようにならない中、野うさぎが獲れた。今日は運がいいのだ。

「…………がくぽ、りょーり、じょーずだよね………」

単に皮を剥いだだけでなく、細かに切り分けた肉を、がくぽは竈にかけた鍋に放りこんでいく。

その中には、雪を掻き分けて見つけた草や、冬を越すためにあらかじめ用意しておいた保存用の木の実などが入っていて、すでにくつくつと煮立てられている。

カイトのつぶやきに、がくぽは微妙な表情で笑った。

「………料理と、言えるかどうか………。私のはあくまでも野戦仕込みで、腹を満たせば良いという程度のものですから」

「………」

控えめな言葉に、カイトは膝を抱えて座りこんだまま、ちょこりと首を傾げる。

がくぽは、変わった。

冬が到来して、初め――カイトを守るために、人間と戦ってから。

そこで傷つき倒れたがくぽに動揺し、カイトが『滅びのうた』をうたったと知ってから。

それまでは、がくぽは漫然とカイトに付いて歩いているだけだった。自分というものが、まるでないかのように。

けれど、あの日から――がくぽは、自分から動くようになった。

自分がなにをしたいか、なにをしようとしているか説明しながら、カイトにただ付き従うのではなく、時としてカイトを付き合わせるようになった。

カイトはそのことに、不満を抱いてはいない。

望まれるなら、叶えるのが常態だからだ。

それに、がくぽが望むことならば、なんでも叶えて上げたいと思う。

思うが――

「………そろそろ、いいか」

鍋の中の肉に火が通ったのを確認し、がくぽは傍らに置いていた岩塩を手に取る。血のりをボロ切れで軽く拭っただけの、肉を切ったのと同じ小刀で岩塩を削って鍋に入れ、味を調えた。

目を覆うような大雑把さだが、そもそも人間の生活に詳しくないカイトだ。疑問を投げかけたり、注意してくることもない。

蔦が這い回って、外との区別がつき難くなっていた住処――神殿の内部には、神官たちの炊き出し用に使われていたであろう一角もあった。

しかし御多分に漏れずに蔦が這い回り、長年放置されてきた竈にしろ調理器具にしろ、使えたものではなかった。

この神殿がなにを目的に作られ、どうして放棄されたのか、がくぽは知らない。カイトに訊いてみたこともあるが、『いつのまにか、いなくなってた』と答えただけだ。

――敵対してはいなかったが、興味を抱く対象でもなかったらしい。

冬になり、雪に閉ざされる日々を、がくぽは竈の修繕と調理器具を揃えることに費やした。

こんなことは冬が来る前にやっておけば良かったとも思ったが、過去を悔いることに時間を潰すのは、無駄以外のなんでもない。

材料もうまく集められない中、がくぽは苦心に苦心を重ね、なんとか最低限の煮炊きが出来る程度に竈を修繕した。

割れていた土鍋の修繕も成り、岩塩も手に入れたがくぽは一日に二度、この部屋で自分用の食事を作る。

始終傍にいなければ不安は不安だが、がくぽはこの部屋にカイトを付き合わせる気はなかった。

カイトはそもそも食事らしい食事を摂らないし、なにより、ここでは獣や魚を捌く。

穢れ云々を気にする性質でもないだろうが、森の生き物すべてと心を通わせるカイトだ。絞められた彼らが無残に腹を開かれ、切り分けられる様を、つぶさに見せたいとは思わない。

しかし懸念は無駄に終わり、カイトが調理に表情を曇らせることはなかった。

言葉を濁しつつ、無理をしていないかと訊いたがくぽに、カイトはかえって不思議そうに瞳を瞬かせた。

「食べあうのが、ふつうでしょきつねは、うさぎを食べるよちいさい魚は、おっきな魚に食べられる。うさぎは草や花を食べて、木や草は、死んだケモノの体を食べる。なにか、ヘンなの?」

その言葉に、がくぽは目の前が開く思いだった。

カイトの『友達』は、うさぎや鹿だけではない。きつねも狼もいるし、大きい魚も小さい魚もいる。

彼らがカイトの目の前で捕食に勤しむ姿を見たこともあるし、そのときにカイトが、特に眉をひそめることがなかったことも覚えている。

獣にとってそれが自然の姿だからだろうと、深く気にも留めずにいたが、そもそも神であるカイトにとって、獣も人間も大差ない。

すべて、自然の摂理に生きるもの。

自然の摂理が求めるから、食べるものと食べられるものとがいることも、きちんとわかっている。

カイトの持つ和やかさと穏やかさに、おかしな幻想を抱いていた自分がいたことに、がくぽはようやく気がついた。

カイトは深窓の姫君ではない。野辺に生きる、自然を司る神だ。

どこかで勘違いしていた自分に気がつき、がくぽは深く反省した。

内心で反省したのみならず、本人へと潔く謝ると、カイトはおかしそうに笑った。

「いいのに、べつに………」

笑って赦してから、わずかに表情を改めた。

「…………あそびでころすのは、キライ。食べないものをころすのは、イヤ。でも、ちゃんと食べるんだったら、いい。がくぽはちゃんと食べるんだから、いいんだよ」

「………はい」

――なんとも答え難かったことを、覚えている。

確かにがくぽがうさぎや鳥、魚を獲るときには、すべて食べるためだ。一部の貴族がするように、暇つぶしの一環の遊びではない。

そこには常に、切迫した腹事情がある。

そう、獣相手なら。

けれどがくぽは、人間を殺す――剣士であり、イクサで戦ってきた以上、これまで何人を斬り、これから何人と相対するか、わからない。

そして、斬り捨てた人間のことは、食べない。

食べることを考えたこともない。これからもおそらく、食べようとはしないだろう。

遊びではない。

けれど、決して食べることがないものを、殺し続ける――

そうやって惑いつつも、がくぽは自分で自分の食い扶持を用意するようになった。が、調理の場に付き合うカイトが、同じものを口にすることはなかった。

それはそれで、これはこれだ。

うさぎが花や草を食べてもきつねを食べることはないように、相手を認め受け入れることと、自分を曲げることはまた別のことだ。

がくぽも気にすることなく、一人分の食事を作り、カイトを傍らに鍋を掻きこんだ。食べないものがいるからと、遠慮する性質ではない。そんな神経では、イクサで生き残れない。

そうやって食べるものを食べるようになった結果、がくぽが立ちくらみや眩暈に襲われることは、ほとんどなくなった。

まったくとは、言えない。

なにより北の冬の厳しさは、大半の人生をイクサ場である草原――大陸のチュウオウに生きても、基本的に東の地方傍にいたがくぽには、想像を絶する部分がある。

動揺していたとはいえ、冬支度もきちんと整えていなかった。狩りに出られない日もあるし、調理のための薪が集められない日もある。

そうなれば食事抜きだから、当然、体が衰える。

それでもカイトの口づけを受けて、神気を貰うことは次第になくなった。

幼馴染みとの戦いで受けた傷も癒え、毒も抜けた。

ここしばらく、カイトから口づけは受けていない。

寒さにかじかんで青い顔をしていると、カイトはすぐに具合が悪いのかと心配して神気を与えようとするが、それもすべて躱している。

躱せるだけの体力が戻った。

そのうえ、不完全ながら竈もある。火が使えるのだ。煮炊きできるほどの薪がなくても、熾火や炭はある。暖気を取るだけのことは、できる。

竈の修繕とともに部屋の修繕もしたから、他の部屋よりは寒気を防げるし、なにより火の傍はあたたかい。

強張り続ける筋肉がわずかでも解れる瞬間があるのは、有り難いことだった。

さらに言うなら、食事があたたかい。

最初は熱いくらいで火傷しそうだが、それがまた、救いになる。腹の中から温まる感触は、なんとも表現しづらい幸福感だった。

――そうやって外に暖気を取ることで、カイトから暖を取ることも、最小限に抑えている。

少しずつすこしずつ生活を整えることで、がくぽはカイトから距離を置いていた。

これまでうだうだと悩み、先送りにしていた問題はすべて、自分に甘えがあったのだと思う。

カイトから、するのだから。

カイトが、してくれることなのだから――

拒絶することや、自分で考えることが、罪悪のような気がしていた。

すべてが自分の甘えであり、怠慢であったと思う。

だから今、少しばかり不自由であっても、それは過去の自分のツケ払いというものだ。

「………ご馳走様でした」

ふ、と息をつき、がくぽは匙を置く。温かい汁を最後に飲んだから、全身がぬくもりに満ちて心地いい。

がくぽの作った鍋料理は、お世辞にも味がいいとは言えない。調味料は岩塩のみだし、入れた草や木の実は香りや味を斟酌していない。

腹が膨れること、それのみを優先して作る野戦料理だからだ。

がくぽは美食家とは言い難かった。人生の大半をイクサで過ごし、食事といえば野戦料理が常態化していたせいもある。

たまに帰った街で食べる『料理』のおいしさには目を細めるが、だからといって野戦料理が続いても、文句はない。

腹が膨れること。

それが第一。

大雑把にも程があっても、そういうところで神経をすり減らさないからこその、『歴戦』の号でもある。

幼馴染みなどは、『あなたのそういうところがバレたら、女性が激しく幻滅しますからね。口には出さないでください!』などと、余計な忠告をくれたが――

「…………」

がくぽは眉をひそめ、指先まで血が満ちた手を見つめた。

そこに今、痺れは残っていない。鍋の成果で、温まった指は強張るでもなく、震えもない。

しかし、問題は残っていた。