幼馴染みでもあるが、がくぽが無断で国を出奔したために追っ手となった相手から毒刃を受けて、生死の境を彷徨い、目覚めて数日後のこと――
毒が残っていて動けないがくぽのために、食べ物を集めに行ってカイトが不在のときだった。
メイコがやって来たのだ。
しょちぴるり
第2部-第7話
彼女はもはや、なにかの掟か定めであるかのように、寝台に横たわるがくぽを踏んだ。
踏まれた胸にはまだ、塞がりきっていない刺し傷があった。
言葉にもならず、懸命に苦鳴を堪えて息を詰まらせるがくぽを、メイコが斟酌してくれることはない。
そのまま身を屈め、空白に埋められた表情を近づけた。
「カイトが、『滅びのうた』をうたったわ」
「………っ」
毒が残っているせいもある。傷を踏まれて、そうでなくても鈍い働きの頭の鈍さは、最高潮と言っても良かった。
言われたことが咄嗟に理解出来ず、がくぽはひたすらに瞳を見開いて、呼吸を継ぎ、メイコを見つめた。
空白の表情を晒すメイコは、ますますがくぽに伸し掛かる。
「おまえのせいよ。おまえが死んだとおもって、あの子はかなしくて、世界をいらないとおもったの。あの子は、おまえがいない世界はいらないと、こころを滅びに向かわせた」
「………なぜ」
苦しい息の下から絞り出した問いは、曖昧だった。
しかし、古き神は言葉を尽くすよりも、曖昧なものを良く拾う。
端的な問いに、メイコはくちびるだけ笑ませた。
「あたしが、しってるわけないでしょう?いったいなにをして、おまえはそこまであの子を入れこませたの?いったいどうやって、あの子を口説いたもんだか、こっちがききたいのよ、イロオトコ!」
「っっ」
胸を踏む足に力が込められて、がくぽの頭は一瞬、白くなりかけた。すぐに意識を取り戻したのは、もはや慣れの一言でしかない。
痛みと酸欠で頭が眩んでいたが、がくぽは必死に考えを巡らせた。
カイトが、『滅びのうた』をうたった。
カイトは、言っていた――男ノ神は、『滅びのうた』をうたうがゆえに、森から追い出されるのだと。
迫害と搾取の難を逃れ、流れ辿りついた神は、世界の最果てに位置する北の森と契約を交わした。相互扶助の契約を。
互いが難を得たときには、互いの力を与え守る。
その契約により、神は北の森の中において絶大なる力を得たのだという。
そしてその絶大な力は、男ノ神がうたう『滅びのうた』の力をも増幅させ、最悪、世界すら滅ぼしてしまう――
だから、森から追い出す。
契約が及ぶのは、森の中にいる神にだけだからだ。森の外に出せば、神の力は衰え、弱体化する。
たとえ『滅びのうた』をうたったとしても、世界を滅ぼすには遠く至らない。
カイトは『滅びのうた』ではなく、『いのちのうた』がうたえた。ために、追い出される定めから逃れ、特例的に森の中に留め置かれた。
森の外は、神にとって過酷だ。
常に人間と争い、捕まれば囚われたまま自由も与えられず、ひたすら恵みを絞り取られる。
『外』において幸福な神というものを、がくぽは知らない――
「………カイト、殿は」
「『滅びのうた』をもつ男はね、『いのちのうた』も必ずもってる。だからうまれたばかりの男に、あたしたちは必ずきく。どちらをうたうのか、と」
掠れる声を絞り出したがくぽに、メイコは冷たく吐き出す。
「そうすると男は必ず、『滅びのうた』をうたうという。そうやって『滅びのうた』を選んだ男は、もう、それしかうたわない。うたえない」
「………」
瞳を見開いて聞くがくぽに、メイコはくちびるを歪めた。
笑みにも似た表情を作って、踏みつけるがくぽに顔を寄せる。
「カイトは、『いのちのうた』をうたうといった。カイトは『滅びのうた』をもっていても、『いのちのうた』がうたえた。うたいつづけた。あたしたちは相談して、決めた。カイトは、森におくと」
言って、メイコは屈んでいた体を起こした。
相変わらずがくぽの胸から足をどけないままに、分厚い布にくるまれてもわかる豊かな胸を逸らす。
「でも、カイトはうたった――『滅びのうた』を。ほんのみじかい時間だからちょっとだけど、大地を枯らしたわ。わかるわね?」
「………追い出す、の、ですか」
うたわないことを前提に、カイトを特別に森に置いたのだ。しかし、うたってしまった。
うたえることが証明された以上、滅びを忌避する神は、総意を持ってカイトを森から追放するだろう。
外は、神にとって辛く厳しい場所だ。身に宿す南方の色から考えても、おそらくは神の北行きの時代より前に、すでにカイトは生まれていた。
そして過程にあって辛い思いをし、ようやく安寧の地に辿りついた――それが、再び。
あれほどにうたうことが好きで、軽やかに踊りながら、風のように野辺を渡るカイトだというのに、外に出ればそれも決して叶わなくなる。
どこに行こうとも、神は欲されて狩られる。
どうしたとしても、ひとり放逐されたカイトに抗しきれるだけの力があるとは思えない。
儚く捕まって、調整され――
「…………それはもう、決定したのですか」
重ねて、がくぽは訊いた。
カイトが森から追い出されるなら、もちろんがくぽも供をする。自分の身命を尽くして、カイトを守ろう。
伊達の戦鬼ではない。そうそう容易くは、カイトの自由を奪わせたりはしない。
それでももはや、野辺で好きなようにうたわせてやることは不可能だろう。
踏みつけられた痛みも遠のき、がくぽはひたすら真剣にメイコを見つめていた。
メイコが、鼻を鳴らす。
不満の表明のはずだが、表情には満足げな色もあった。
「手は、あるわ」
「………手」
メイコの言葉をくり返し、がくぽは悪気しか感じない彼女に眉をひそめた。
メイコは再びがくぽへと伸し掛かる。
「抱きなさい」
「………………………………………………は?」
メイコの言葉は、わかりやすかった。
言葉の意味が理解出来なかったが――正確に言うと、したくなかった、だが。
回りくどいこともなく、直球勝負で、そのために、逃げ道がなかった。
瞳を見開いて固まるがくぽに、メイコはにんまりと笑う。
「あの子を、抱くのよ、おまえが。あの子の腹のなかに、おまえの楔を打ちこむ」
「……………メイコ、殿」
「『滅びのうた』をうたうのは、『男』だからよ。だから、『男』に抱かせる。男に抱かせて『女』にすれば、『滅びのうた』をうたわなくなる」
「……………」
傷を踏まれているせいだけでなく、がくぽの顔が青褪めた。
切れ長の瞳を極限まで見開いて固まるがくぽに、メイコは笑う。いやな感じに。
「…………なんのために、あの子にあんなカッコ、させてるとおもってんの、おまえ?男を、よせるためよ。カイトを、犯させるために」
「っっっ!!」
言葉の乱暴さに、がくぽの体から一瞬にして凄まじい怒気と殺気が噴き出す。
それでめげるメイコではなかった。笑ったまま、がくぽの胸を踏みにじる。
「………っ」
今度は痛みのあまりに息を詰まらせるがくぽに晒すメイコの表情は、笑顔でも、泣きそうに見えた。
「だれが森の外に、追い出したいとおもうの?あの子はきょうだいで、家族で、残りすくないナカマよ。外がどれだけ、きびしくてつらいことか、あの子がどれだけ踏みにじられ、はずかしめられるか、わからないとおもうの?あたしたちがそんなところに、あの子を追いやりたいと、おもう?!」
「っっっ」
メイコの足に力が込められて、がくぽの視界は本気で白く弾けた。
わずか数瞬の空白ののちに、がくぽはどうにかこうにか息を吹き返す。珍しくも自分で、自分の命汚さに感謝した。
恨みがましくメイコを見上げると、彼女はがくぽからあらぬ方へと視線をやり、苛々としたしぐさで爪を咬んでいた。
「そうとはいっても、どこのどんな男でもいいというわけじゃないわ。それじゃ、外で受けるしうちと、なにがちがうっていうのよ?」
穏やかに言ってから、メイコはがくぽへ顔を寄せた。
「あの子が、こころを赦せる男。気にいって、そばにおきたがる相手。――それなら、腹のなかをかきまわされたって、かまいやしないでしょ?」
「………っ」
がくぽは息を飲み、真顔で吐き出すメイコに瞳を揺らした。
見透かされた気がした。
自分が抱える、カイトへの欲望を。
募る欲情を、抑えきれない情動を。
見透かされてそのうえで、誘惑されているのだと思った。
カイトを組み敷き、抱いて、『女』にしろと。
カイトは男だ。
肌の透ける薄絹姿であっても、その心は間違いなく男だし、女になりたいと望むわけでもない。
男に抱かれたいと望んでいるわけでもない。
だというのに。
「抱きなさい、人間。カイトが森から追い出されないようにしたいなら、おまえの楔をカイトに打ちこみ、あの子を『女』にするの」
低く命じる女ノ神に、がくぽはきりりとくちびるを噛んだ。
己の闇が、甘さのツケが、今、来ている。
睨むような瞳になったがくぽも気にせず、メイコはうたうように続ける。
「『滅びのうた』をうたうのは、男だけ。『女』が『滅びのうた』をうたうことは、決してない。男に抱かれて『女』となれば、あの子の『滅びのうた』も、封じられることになる。『滅びのうた』をうたうことがないなら、『女』なら、森に置いておくことができる」
告げて、メイコはがくぽから足を下ろした。
唐突に空気が戻り、しかも冬だ。肺が一気に凍えて、がくぽはむせ返った――さらに、胸の傷が痛む。
反射の涙を浮かべながらも、がくぽは呼吸を整えて声を絞り出した。
「………カイト、殿は………ご存知、なのか」
「むつかしい言葉をつかわない」
ぴしゃりと言われ、がくぽは頭痛を堪える。わかってはいても、挫かれる。
懸命の努力で態勢を整え直し、がくぽはメイコへ睨むような険しい目を向けた。
「カイト殿は、知っているのですか。ご自身の…………自分の、力を封じる方法を」
もっとも重要なところを訊いたがくぽに、メイコはあっさりと肩を竦めた。
「しらないわ」
眼差しをさらに尖らせるがくぽに、メイコは厳然として告げた。
「おまえのせいなのよ。おまえが始末しなさい」