しょちぴるり
第2部-第19話
弱みに付け込んだようなものだと、理解はしていた。
カイトはがくぽに嫌われたと思い込み、あるいは怖がられていると誤解して、傷ついていた。
そこにがくぽは、嫌っていないと言った――嫌っているのではなく、嫌われたくないのだと。
あなたに劣情を抱いているから、迂闊に触れられないのだと――
心が弱って、がくぽに縋りつこうと懸命に道を探るカイトに、強請った。
嫌っていないから、体をくれないかと。
嫌っていないと言われた時点で、誤解して傷ついていたカイトは、うれしさに舞い上がっただろう。
舞い上がったうえで、また悲しい思いをしたくないと、脅迫観念に駆られもしただろう。
言うことを聞かなければ、今度こそ嫌われるかもしれない。
好きにさせなければ、今度こそ、がくぽは離れていくかもしれない――
カイトの抱く思いを確かめることもなく、がくぽは体を開いた。
いいよと、言われた。
それは言い訳に、ならない。
カイトは追いこまれていて、正常な判断力を失っていた。
うたうことこそが存在意義でありながら、がくぽを引き留めるために、咽喉を潰すとも言い切ったくらいだ。
追いこまれ加減が知れる。
だというのに、がくぽは――
キライだ、と。
がくぽなんか、キライ――
その言葉に、理性も正気も常識も、なにもかも吹っ飛んだ。
そんなことは言わせないと、なんとしても撤回させずにはおれないと、頭が沸騰して、まともな考えのすべてが抜け落ちた。
抜け落ちて、カイトの体を求めた。
馴れないカイトが疲労に潰れ、ただ揺さぶられるだけの人形と化しても、堪えも利かないほどに、その体に溺れた。
結果が、今だ。
朝の起き抜けから、カイトの様子はおかしかった。
戸惑い、どうしたらいいかわからない風情で、がくぽに対した。
そこには昨日まであった親しみも、気安さもなく、ひたすらに困惑があった。
カイトが男だということは、重々わかっている。男に抱かれることを、求める性質でもないことも。
だというのに、心が弱っていることに付け込んで、体を開いたのだ――夜が明けて頭も冷めれば、そこには戸惑いと気まずさが残るだろう。
これから先も体を供さなければならないのかという、怯えもあるだろう。
「………っ」
「ひ………っふ………ぇっく………」
疲れからか、ついさっきまでは、瞳も表情も茫洋としていたカイトだ。もしくは防衛本能というもので、己に起こったことを考えまい考えまいとしていたのかもしれない。
それが姉神によって否応もなく、現実を突きつけられた。
性悪な姉神が立ち去っても、カイトは体を抱いてうずくまり、嗚咽をこぼしていた。
カイトの身を覆うのは、肌の透ける薄絹だ。布を纏えばなんでもいいというものではないと、説教したくなるほどに隠しも出来ず、下の肌を浮かび上がらせる。
もちろん、色濃い情交の痕も。
がくぽも理性が飛んでいたから、手加減や細かいことを考える余裕がなかった。思うがままにカイトの肌に吸いつき、所有の印を刻んでいった。
朝になって陽の光に晒された肌を見たときに、まずいとは思ったのだ。
だからカイトに、今日もその衣装かと訊いた。
ぼんやりとしていて、己の体に注意を払っていなかったカイトは不思議そうに――そこに、これこれこうだからと、理由を説明するのも憚られて、結局。
「ぅ………っ」
耳どころかうなじや、丸くなった背中までが、羞恥に赤く染まっている。
あまりに扇情的だが、そういう感想を抱く自分が、今はいちばん赦せなかった。
謝罪の言葉も選びきれずに、がくぽはがりがりと頭を掻く。言葉に不器用な自分が、恨めしい。
ややしてため息を吐くと、上着を脱いだ。慎重に、出来る限りやわらかに、カイトの肩に羽織らせる。
「っやっ!!」
「っ」
衣が触れた途端、カイトは大きく震えて手を振り回し、がくぽの手とともに上着を叩き払った。
「………ぁ」
そうしてから、自分がしたことに束の間呆然としたカイトに、がくぽは拾った上着を素早く羽織らせた。
微笑んで、軽く頭を下げる。頭を上げると、カイトからわずかに離れた、野辺と森との境を指差した。
「そこに、おります」
「………っ」
出来る限りの努力で、声をやわらかに緩ませ、瞳を揺らすカイトを笑みとともに見つめた。
誤魔化しだ。
そう思いながらも苦さは見せずに、カイトから離れる。
境に来ると一本の木の根元に腰を下ろし、腰に刷いている剣を外して、抱いた。軽く、瞳を伏せる。
周囲の気配は探りながらも、がくぽは沈鬱に折れる己の心情との戦いに、身を投じた。
「………っは……ぅ…………」
広い背中が悠然と立ち去るのを見送り、カイトは洟を啜る。手が勝手に動いて、肩に羽織らされた着物を掻き合わせた。
がくぽが着るときりりと締まるのに、自分には情けなくぶかぶかと余るそれに、顔を埋める。
「………っ」
ぶるっと、体が震えた。
直前まで、がくぽが着ていたものだ。カイトにとっては火傷しそうに熱い体を包んでいただけあって、着物はほんのりとしたぬくもりを持っている。
そのぬくもりとともに、鼻腔を満たす、がくぽのにおい――
一張羅だが、汚いことはない。<精霊>になんやかんやと用事を頼むついでに、汚れも取り去ってもらっているからだ。
がくぽは自分も着物も、洗ってもどうしても血生臭さが消えないと笑うが――
「ん………っ」
鼻腔を満たすがくぽのにおいに、カイトは止めようもなく、体を震わせた。走った感覚に、きゅっと瞳を閉じて耐える。
体に散らされた、がくぽのくちびるが辿った跡。
がくぽがカイトを暴いたことが、夢でも幻でもなく、現実だったのだと、なにより雄弁に語る証。
「んく………っふ………っ」
蘇る記憶は生々しく、今まさにがくぽのくちびるが肌を辿っているのと変わらない。
「ぁ………っあ………っん………っ」
昨日、もうだめだと、意識を手放すほどに追いこまれて絞り取られて、限界も超えたはずの、体。
なのに思い出しただけで、肌は嬲られることを望んで疼き、それどころか勝手に記憶を呼び覚まして、生々しく再現してしまう。
落ち着けと、思い出すなと懸命に言い聞かせているのに、体のあちこちがてんで勝手に、がくぽを思い出してしまう。
がくぽが触れなかったところなど、およそなかった。
全身に隈なく触れて、カイトにがくぽを覚えこませた。
人間とは違う明朗な神の記憶により、思い出すカイトの体は今まさに、がくぽに直接嬲られているのも同じ状態だった。
それも、すべての場所を一度に――
「………っ」
涙に潤みながら、カイトはがくぽを見つめる。
現実のがくぽは、カイトから離れた場所に座り、瞳を伏せている。
まったく周りを見ていないように思えるが、鋭く尖った気配が油断なく周囲を探っているのがわかった。
どんなときにも、守り役であることを忘れないひと。
どう主張しても、カイトを『主』と仰いで、線引きして対するひと。
――カイト。
腹に押しこみ納めた剣を、ねっとりと包む粘膜に気持ちよさげに声を掠らせて、がくぽはカイトを呼んだ。
いつものように、線を引いていない。
己のものだと、カイトにも周囲にも誇示するかのような、呼び方。
伸し掛かる体そのもので、傲慢に神を所有する、勝ち鬨に似た声。
うれしかったのだ。
壁がひとつ、取り去られたようで――
けれど今朝になったらもう、いつもの通りに呼ばれた。
――カイト殿。
目を覚ますと寝台の中で、がくぽにしっかりと抱きしめられた状態だった。
しかも二人ともが、一糸まとわぬ姿だった。まだ寒い。カイトの体がかろうじて熱を持っていたからよかったが、いくら布団を重ねていたとしても、あまり賢い寝方ではない。
寒いのか、がくぽは抱きしめていたカイトに、さらに擦りついた。
いくらカイトが体に熱を行き渡らせても、それとこれとは別問題で、がくぽの体は火傷しそうに熱い。
朝から熱に晒されて、カイトは小さく吐息をこぼした。
そのカイトを、目覚めたがくぽは微笑んで見つめた。
――カイト殿。
その瞬間のがっかりさ加減ときたら、ちょっと言葉にならない。
少しは距離が近づいたのかと思ったのに、朝もいちばんから、なんたる裏切り。
胸に満ちていた幸福も霧散して、カイトは微妙な表情でがくぽを見るしかなくなった。
体を暴いたということは、カイトを『主』としては見なくなったということではないのか?
それとも『主』が暴走して哀れだったから、体を開いたのか。
がくぽの真意が見えないまま、カイトは茫洋と時を過ごし――
「………がく、……」
跳ね除けても、体に掛けられた着物。
春になって、天気も快晴でも、北の地方の空気は冷たい。
冬よりはよほどにやわらかく緩んでも、やはり寒いことに違いはないのだ。
だというのに、がくぽは動揺するカイトに着物を与えた。
そんなことをして、風邪でも引いたらどうするのだろう。
カイトはいくら薄着でも、風邪など引かない。
ゆらりと身を起こし、カイトはもう一度、自分の体を検分した。
満遍なく散る、花びら。
がくぽがこの体を、肌を、愛おしんだ証。
「………っ」
少しだけ笑って、腹を撫でた。
満遍なく。
腹の真ん中にまで、きちんと落とされた花。
カイトの体はすべて、がくぽのものなのだと訴える、密やかなのか華々しいのかわからない、主張。
それもそれで、がくぽらしい。
立ち上がると、膝が笑って腰が落ちそうになった。
カイトはそれでも懸命に、がくぽの元へと歩く。
「………カイト殿」
カイトが傍らに座るより先に、がくぽが瞳を開いて見上げてきた。
垣間見えた、気弱な光。
崩れるように座った体に手を伸ばしかけて、拒絶を思い出したのだろう。
がくぽの腕は、中途半端に止まってカイトに触れない。
「………がくぽ」
意識もせずに、カイトのくちびるからはとっておきに甘えた声が出た。
切れ長の瞳を丸くするがくぽに、手を伸ばす。拒絶されることはないと信じているから、躊躇いもなく。
腕に抱きつくと、肌にぴったりと張りついて体の形を浮かせるがくぽの下着を、軽く引っ張った。
「………………して」
求める先がわからないなどということは、ないだろう。
カイトの吐き出すあまりに甘い声に、がくぽはこくりと唾液を呑みこんだ。