メイコの物流はよくわからない――というのが、がくぽの感想だ。

最前メイコは、がくぽのために東方の着物を用意してみせた。

それもがくぽ属するイクサ剣士がことに好んで着る、羽織と短い袴、それに長靴が組になったものだった。その下、体にぴったり張りつき、筋肉の動きを最大限に助ける東方独自の下着までもが、共に一揃えで。

しょちぴるり

第3部-第2話

そもそもは、がくぽの持ち物ではない。最低限の装備で放浪していたがくぽは、衣装といえば着の身着のまま、ぼろ切れ同然の着衣一枚だった。

しかもそれは北の森に入った折に、神獣との戦闘で本当にぼろ切れと化した。

そのがくぽに、メイコは着慣れた東方の着物を用意して与えたのだ。

メイコたち神が棲むのは、北の森だ。

名前の通りに北の地方のさらに果て、ひとの手も入らず無尽に広がる森の中だけで、外へ出ることなど滅多にない。

外へ出ることはすなわち、神を迫害した人間の領土に出るということで、身の安全の保障がない。

当時、まだ価値があるかどうかもわからなかったがくぽのために、心象も良くなかったメイコが、そんな危険を冒すとも考えられず――

ましてやいかに交易があったとしても、東方の剣士が草原を越え、国境を破って北方に移住することなどそうそうない。

東方の剣士、それもイクサ剣士が好む衣装を、取り扱う隊商がいるわけもないのだ。

そうなると、どこでどうやって手に入れた着物なのかが、果てしなく疑問になってくる現在。

「♪」

先を行くカイトの足取りは、軽い。相変わらず踊るような歩みで、無駄が多い。

それでも楽しそうだからいいかと思うが、動きに合わせてひらひらと舞う衣に、がくぽはどうしても微妙な表情になる。

カイトはそもそも、南の地方の踊り子のごとき薄絹姿だった。肌の露出が多いうえに、布を纏っている部分も、体がほぼほぼ透けて見えるという。

間違いなく、男だ。

覗く体の線も、元々の体つきも、多少肉づきが悪くて華奢ではあっても、女性では有り得ない。

カイトを男ではないと言い切る相手も、いないだろう。

そのうえで男の劣情を煽らずにはおれないほど、薄絹姿のカイトは妖しい雰囲気を醸し出していた。

話してみると詐欺としか思えないほどに、本人は無邪気で無垢なのだが――

そのカイトは最近、新しい上着を与えられた。

件のメイコだ。

――そうそうみせつけても、しょーがないでしょ。

そう言って、メイコはカイトに肌の透けない上着を渡した。

見せつけて、というのは、最近のカイトの体――肌事情だ。

カイトの肌には連日、情交痕が刻まれている。刻んでいるのは、がくぽだ。

そもそもは、命を救われた恩義を返すために守り役となったがくぽだったが、それだけでなく、どういうわけかカイトのお気に入りとなった。

北の森に、男ノ神はいない。

世界を滅ぼす『滅びのうた』をうたうために、力を失う森の外へと追い出されてしまったからだ。

カイトは男ノ神だったが、『滅びのうた』ではなく、生き物に生命力や活力を与える『いのちのうた』がうたえた。

そのために、唯一森に残ることを赦されたという。

つまり、周りにいるのはすべて女ノ神――人間とはいえ、成人した男と親しく付き合うのは久しぶりだったようで、物珍しさからお気に入りになったのだろう、と。

軽く考えていたら、カイトのお気に入り具合はもっと深刻で、根深かった。

がくぽの死に瀕し、世界に絶望して『滅びのうた』をうたうほどに。

以降もろもろあり、がくぽとカイトは男同士であり、敵対する人間と神という間柄でありながら、体を重ね、情を交わす仲となった。

もちろん、いやいやの間柄ではない。そんなことで、連日情を交わしたりしない。

むしろ積極的に――しかし、カイトの衣装は先にも言ったとおり、肌の透ける薄絹だ。

寒い北の地方で、どうしてこの恰好なのか頭を抱えるところだが、外気温に左右されないのが神の特性のひとつだ。着ているカイト自身が、違和感も不便も感じていない。

そのカイトに、薄絹で過ごせと命じた姉神――メイコが、ようやく、肌を隠す上着を与えた。

先にも言ったとおり、情交痕が消えないからだ。

がくぽも気をつけはしたのだが、カイトの肌は弱く、ちょっとした口づけですぐに赤く色づいてしまう。

カイトはがくぽに肌を吸われるのが好きだったが、素面のときに、情交痕を晒して歩くことには羞恥を見せた。

初めはがくぽが自分の上着を貸していたのだが、体温調節が出来る神ではなく、着るものによって温度差に対応する人間だ。

そして、北の森は寒い。

がくぽが風邪ひいちゃうとカイトが泣きついて、メイコが上着を持って来たのだ。

東方の、色柄艶やかな着物を。

メイコの物流は、理解の範囲を超えている。

カイトが帯も締めずに袖を通して羽織っているだけのその着物は、生地に詳しくないがくぽでも、そこそこ値の張るものだろうとわかった。

色柄の艶やかさから、遊女当てに作られたものかもしれない。

なにを勘案しても、東方の。

がくぽの故郷であり、北の森からは遠く離れた、その場所の――

着物がさらりと出て来て疑念も赦さないから、ひたすら心の中で項垂れるしかない。

「がくぽ?」

先に行っていたカイトが、くるりと振り返って呼んだ。着物に思考を奪われていたがくぽは、慌てて顔を上げる。

なにを思うより先に、自然とくちびるが笑みを刷いた。

「――どうしました?」

「ん?」

気が逸れたことがいやなのだろうと、わかっていても訊いたがくぽの元に、カイトはやはり踊るように近づいてきた。

そのまま、きゅっと抱きつかれる。

薄荷が甘く香って、がくぽは瞳を細めると、擦りつく体を抱きしめた。

「カイト殿?」

「ん」

さらに促すと、抱きしめられたことで納得がいったらしいカイトは、あっさり離れた。

また、踊るように歩き出す。

ふいにその咽喉が開いて、うたが迸った。

「♪」

いつものことだ。

うたによって大地に恵みを与えるカイトは、毎日広い森の中を歩き回り、弱っているものがいればうたって力を与え、命を繋ぐ。

がくぽには聞こえない、弱っている草花の声が聞こえるカイトは、こちらには唐突としか思えない瞬間に咽喉を開いてうたう。

「♪―♪」

うたっているカイトはしあわせに満ちて、楽しそうだ。

自由気ままに野辺を歩き回り、森の中を進み、そしてうたいたいときにうたう。

踊るような足取りに合わせて艶やかな着物がひらりひらりと舞って、目にも綾かで楽しい。

メイコが渡した上着に特に感想を持つこともなかったカイトだが、がくぽが自分の故郷の着物だと言うと、その表情が輝いた。

――がくぽと、おそろい?!

お揃いかどうかは、微妙だ。がくぽが着るのはイクサ剣士の、いわば戦闘着で、カイトに渡されたものはおそらく、遊女当てだ。

同じ東方のと、ひどく大きな枠で括れば、お揃いと言い切れるだろうが。

細かな問題はあれど、あまりにきらきらと輝くカイトの表情に、がくぽはつい、頷いた。

――ええ。お揃いですね。

以降、この上着はカイトのお気に入りだ。

そうまで自分のことを思ってくれるのはうれしいが、面映くもあり、疑念もある。

そんなに気に入られるだけのことを、した覚えがない。

がくぽといえば、北の森に無断侵入した挙句に神獣と戦って傷つけたうえで敗れ、死にかけのところをカイトに拾われ救われて、看病だ面倒だ、あれやこれやと世話を掛けた記憶しかない。

しかし思い返せば、カイトはがくぽが意識を取り戻した当初から、好意的だった。

がくぽのことを、自分たち神を迫害し、北の森に追いやった人間だと、未だに力を欲して狩りの対象にする敵だと、わかっていながら――

「がくぽ!」

カイトが、明るい声で呼ぶ。多少足を速めて近づくと、手を取って引っ張られた。

「あかちゃん!」

「え?」

単語に、がくぽは瞳を見張った。

カイトはうれしそうに笑いながら、がくぽの手を引く。

引かれるままについて行きながら、がくぽは森の中の気配を探った。

人間の手が入らず、自然がままに残されている。

野生の獣の気配と、厳粛な気持ちを掻き立てられる古木の気配こそ濃厚でも、それ以外の気配は感じられない――

いや、感じられなかった、だ。

以前の、がくぽには。

「………」

うっすらと、気配を感じる。

鼻の奥に焼け跡の煙のにおいを感じて、がくぽはこの近くにメイコがいるのだと判断した。

さらにもう少し離れたところには、寄り添って並ぶ、寒気と暖気のつがい。

寒気は、冥府の女王であるミク――寄り添ってあるなら、暖気の主は、冥府の女王とほとんど常に行動を共にしている、ルカ。

それから――

以前のがくぽには、神の気配が感じられなかった。

がくぽには限らない、人間には神の気配が感じ取れないものらしい。

こと気配ということなら、剣士であるがくぽよりもよほど鋭敏な神経をしている隠密衆の頭目格が、メイコに背中を取られて呆然としていたことがある。

けれど最近のがくぽは、神の気配を感じる。人間の気配を感じるのとは、また違った感覚で。

カイトを抱いてからだ。

カイトを抱き、その体液を啜り、呑み――

それでなんらかの力が移ることがあるのかどうか、神について詳しく勉強をしたことのないがくぽには、わからない。

カイトに訊くことも、憚られて訊いていない。

種族が違う。

おそらく、そう気軽に体液を交換しないほうがいい。

思うが、カイトを組み敷くと慎重さも理性も正気もすっ飛ぶ。

ひたすらにカイトを味わい、甘く啼かせ、ぐったりとするまで快楽に浸けこみたい。

欲求に駆られた挙句、我慢出来ない。

悩みのほとんどが解決したと思っても、解決した問題は次の問題の火種を孕んでいるものだ。

悩みは尽きず、問題は永遠に片付かない――

「ね、ほら、がくぽあかちゃん!」

南の海を思わせる瞳が、北の地方にはない明るい輝きを宿して、がくぽを見上げる。

得意そうに指差す先にきつねの親子がいて、がくぽは瞳を細めた。

長く厳しい冬をなんとか乗り越えた母きつねのほうは、痩せてふらふらしている。対してその周りを跳ね回る子ぎつねは丸々としていて、元気いっぱいだ。

「んーっ」

ふらふらと歩く母きつねを見ていたカイトが、咽喉を開いた。

「♪」

短い、うた。

けれどよろめいていた母きつねの足取りが、ほんの少しだけ、力を取り戻す。

わずかに振り向いた母きつねが、カイトに向かってぱたりとしっぽを振り、きゅうんと鼻を鳴らした。再び前を向くと子ぎつねを伴って、森の中へと消えていく。

「かわいいよね」

「ええ」

無邪気に見上げるカイトへ微笑み、がくぽは寄り添う細い腰に腕を回した。

素直に凭れたカイトは、あっさりと続ける。

「おれも、あんなかわいい子供、ほしいなあ」

「………」

カイトは男だ。がくぽのものを腹に受け入れ、毎日のようにその精を浴びているとしても。

いくら神でも、厳然として、男だ。がくぽが連日、男の証を口で啜っているから、間違いない。

がくぽは腰を抱く腕に力を込め、無垢な信頼を宿して見上げるカイトの顎を捉えた。

「あなたは男ですよ、カイト殿。子は孕めません」

「ん…っ」

――誰相手にも、カイトの子供を孕ませはしない。

胸に仕舞う言葉の分、冷たく響く声で言って、がくぽはカイトの応えを待たずにくちびるを塞いだ。

素直に縋りつくカイトを堪能しつつ、気配を探る。

メイコは、遠ざかっていっている。

ミクとルカは休憩中なのか、動いていない。

それから――

決して感じられることのない気配を探して、やはり見つけることが出来ず、がくぽはますます深く、カイトのくちびるに潜った。