探していた。
おかしな別れ方をしたから、気になって。
はっきり言えば、無事なのかと、案じられて。
しょちぴるり
第3部-第9話
そうとはいっても、再会したからと駆け寄り、歓び合う相手ではない。
対処には困る。
それ以上に、これを『無事』というのかどうか、疑念が募る。
神の総意によって『存在を禁じられた』がゆえに、彼らは人間に姿を見せることは出来ても、触れ合うことが出来なかった。
伸ばした手は突き抜け、素通りし、殴ることはおろか、撫でることも抱きしめることも、一切できない。
けれど実際に『触れ』てみなければそうとはわからないほどに、彼らは実体を伴ってそこに姿を見せていた。
だというのに今は、ひと目でそれが、この世のものではないとわかる。
実体がない。
「………」
眉をひそめ、くちびるを噛みしめて、がくぽはその幽体を眺めた。
いつもならがくぽが自分たちを見つけたとみるや、大騒ぎで『構え』と迫って来ていたというのに、今、彼らは振り返ることもない。動くことすらなく、揺らぎながら、寝台の傍に立っている。
動きがないために、彼らがどちらなのか、わからない。
少年神レンなのか、少女神リンなのか。はたまた、双ツ一ツの状態なのか。
性別も曖昧な北の服装に、まだはっきりと主張しない骨格。
ましてや背中となれば、その差はますます。
神経は相変わらず掻き毟られて、吐き気を呼ぶほどだ。
異変はわかったのだから感覚を閉じようとしても、閉じられないほどに乱される。
いや、閉じたはずでも、わずかに残るそれだけで、不快を掻き立てられる。
『ちがう』と。
ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう………――コレはココにイてはイけナイもの。
常に、神の総意を疑問に思っていた。
いくら神とはいえ、こんな小さな子供に、あまりに過酷な仕打ちだと。
情が強いとはいえない神とはいえ、あまりにあまりだと。
けれど今、総意に納得しそうな自分がいる。
神ならばもちろん、最初から『神』の気配を読むことも出来たはずだ。
常に感じて、把握することが。
異端の彼らの存在は、気配は――
常に感じていれば、気が狂うしかない。
不快と痛みと苦しみと、常に締め上げられて圧され、抉られて踏みにじられる、その状態にいつまでも耐えられるはずがない。
耐えられない場所を、刺激されるのだ。
耐えられる場所ではなく、耐えられない場所を――
「………っ」
ふらつく頭をどうやって正気に保っているのか、がくぽにはわからなかった。いや、自分が正気を保っているかどうかすら。
わからないままに、足を踏み出す。
がくぽのその動きを待っていたかのように、異端の双ツ神は体を屈めた。
寝台でひとり静かに眠るカイトへと、手を伸ばす。
触れられない。
感じられない。
なにをすることも出来ない。
わかっていても瞬間的に激情が迸り、がくぽは寝台へと一息で間合いを詰めた。
辛うじて剣を抜くことは堪えたが、双ツ神とカイトとの間に体を滑り込ませる。
もちろん、無駄だ。
がくぽが彼らを突き抜けるように、彼らもがくぽを突き抜ける。
体を割りこませても構うことなく、双ツ神は手を伸ばした。
触れる――触れられないままに。
「………?」
神経を掻き毟られることで脂汗に塗れながら、がくぽは眉をひそめた。
見ていない。
がくぽが間に体を割りこませたというのに、彼らの瞳にがくぽが映っていない――いや、認識されていない。
体を突き抜けた手の先を辿り、がくぽはさらに訝しく眉をひそめた。
触れられない手は思った通り、がくぽを突き抜け、布団にくるまれたままのカイトの体に伸びている。
「………」
訝しいままに振り返ってもう一度見たがくぽに、双ツ神のくちびるが開いた。
――
「………?!」
声が、聞こえない。
確かにくちびるが開き、咽喉が動くのすら見えたというのに――肝心の声が、届かない。
なにを言ったのか――
「………っおい!!」
手を引いた双ツ神の姿が、ゆらりと揺らいで消える。
慌てて跳ね起きて手を伸ばしたが、もちろんなにも掴めない。
拳にあるのは、空漠。
掴めないまま、彼らは消えた。
同時に神経を掻き毟っていた不快感も、きれいさっぱり消える。
もはや神経をどう研ぎ澄ませ、尖らせても、『ちがう』と訴えるものはなにもない。
消え失せた。
<世界>から、おそらくは時系の外へ。
「………っ」
唐突に消えた圧迫感に、息が荒がる。
下手に荒くなると、今度は過呼吸で倒れる。
がくぽは再び呼吸法をくり返しつつ、眠るカイトを見下ろした。
寝息は穏やかで、健やかだ。
変事をなにひとつ、感知していない。
「…………『約束』?」
呼吸法をくり返し、無理やりに押さえこむ動揺の中で、がくぽのくちびるが小さく動いた。
声は、聞こえなかった。
ほんのわずかな、呼吸の音すらも。
姿は霞んで、儚く揺らいでいた。
けれど、動くくちびるを読み取ることは、出来た――本来、剣士に必要な技ではない。
それもこれも、得意とする隠密衆の幼馴染みとの心暖まらない交流の末に、やむなく身に着けた。
恩に着たくなどないし、あれとともに互いを高め合ったなど、それに助けられているなど、素直には認められない。
先までとは違う種類の悪寒に襲われる。
それでも、確かに――
「なんの……」
つぶやく。
くちびるは、動いた。ただひとこと。
――ヤクソク。
おそらく声が聞こえたとしても、あえかなささやきだっただろう。
くちびるの動きは小さく、辛うじて読み取れた程度だ。
――ヤクソク。
ヤクソク――やくそく、約束。
カイトは、異端の双ツ神のことを覚えていない。なにひとつとして。
メイコによれば、もし自分たちが総意でもって世界から弾き出したというのならば、それは自分たちの彼らに関する記憶も諸共に、ということだった。
記憶しているということが、彼らが世界に存在する縁になるから、と。
「………もしや」
ふと気がつき、がくぽは片手で口を塞いだ。
メイコのくちびるがこぼした、彼女の意思ではない言葉。
混乱の隙を縫ってこぼれた、歪ツな予言。
記憶していることが、<世界>と繋ぐ縁になる。
神は、双ツ神を見ることも聞くことも話すことも出来ない。触れることも感じることも、なにひとつとして。
なによりも総意を持って『存在を禁じ』、世界から弾き出せばこそ。
けれど子供らは現れる。
世界に――実体を伴わず、誰にも触れることが出来なくても、少なくとも自分たちを弾く総意を持たない人間にであれば、姿を見せ、言葉を交わす存在として。
記憶することが、存在する縁となる。
だから神は、双ツ神に関する記憶を持たない。
けれど双ツ神は、現れる。現れる、のだ。
不完全でも、この<世界>との繋がりは切れていない。
メイコの意思に依らない言葉。
消したはずなのに、なにか歪ツに残された形の記憶が――ある?
「………っ」
がくぽはきりりとくちびるを噛んだ。
神の総意がなにか、わからない。
それによって行われたことも。
考えられることは、二つ。
ひとつは単純に、失敗。不完全な業によって、彼らの『総意』は不完全に実行された。
もうひとつは――意図を持って。
しかし、なにを?
「………」
がくぽはきりきりとくちびる噛み、記憶を漁る。
混乱に依って吐き出された、メイコの言葉――予言。
――その先に、もとめるものが、ある。
訊いていたのは、子供神のことだ。
後からカイトのことへと話がずれたが、メイコの頭の中にはその混乱があった。
ずれと、混乱と、歪みと。
そして吐き出された、予言。
予言と言っていいかどうかは不明だが、あれがメイコの意思に依らない言葉であることだけは、確かだ。
「………」
がくぽはわずかに振り返り、布団にくるまるカイトへと目をやった。
くるまっているから、正確にどことはわからない。
彼らが触れたのが、本当にはどこなのか―― だが、目測と憶測を重ねるなら、そこは。
「………腹、か」
いやな符号がある。
カイトの最近出来た癖。
がくぽと体を繋げるようになってから、その楔を飲みこむようになってから。
カイトの体液を啜ることで、がくぽの体は変質した。
探れなかった神の気配が探れるようになっただけだが、実のところ、大きな変化だ。
カイトはがくぽが欲しくて疼くようになっただけだと笑っていたが――自分に、疎い。
なにかしら起こっている変化を、見過ごしている可能性のほうが高い。
「………っちっ」
行儀悪く舌打ちして、がくぽは塞がれた窓を見た。
明かりが差しこむ様子はなく、気配は沈んで暗い。
まだ夜だ。
暖炉の火を熾して明かりを取ることは可能だが、眠るカイトを起こしたくない。
いくら神経が昂ろうとも、今は一度、寝台に戻るしかない。
「………っ」
きりきりと眉をひそめて窓を睨み、がくぽは小さくため息を吐き出した。
脂汗に塗れた体が、気持ち悪い。今になって、しんと冷えてきた。
カイトは寝るときに必ず体を暖めておいてくれるから、きっと布団に入ると心地よさは格別だろう。このまま着物を脱いで寝ても、風邪も引かない。
思い決めると、がくぽは寝台から立ち上がった。羽織った着物を脱いで体を拭こうとしたところで、ふと振り返る。
「……ん、がくぽ……?」
「カイト殿」
寝言ではなく、起きて明確に発された声。
明確とはいえ、まだ眠りにぼやけているが。
慌てて近寄ったがくぽに、カイトは瞼を擦る。
「ねないの……?」
「ああ、いえ。今、戻ります。その、少し汗を掻いて」
「ん……?」
言い訳が怪し過ぎたが、カイトは深く突っ込んでは来なかった。
身を屈めたがくぽを見上げ、手を伸ばすとその肌を軽く撫でる。
「んー…………<精霊>、おみず、おねがーい………」
「っ」
いつもより大分間延びした『お願い』だったが、<精霊>は構わないようだった。
がくぽの体から不快な汗が取り去られ、快適さが戻る。
「………だいじょぶ……?」
「………ええ。ありがとうございます」
眠そうに訊かれ、がくぽは苦笑を刷きながら答えた。
さらに促される前に、布団の中へと滑りこむ。
思ったとおり、カイトが暖めていてくれた布団の心地よさは格別で、がくぽは体に溜まっていた寒さを追い出すためにぶるりと震えた。
「………ひえた……?」
「………ええ」
訊かれて素直に頷くと、カイトはもそもそと寄って来た。
きゅうっと抱きつかれて、がくぽは自分からも腕を回して抱きしめる。
胸に埋まる頭に顔を寄せると、そこからすら仄かに薄荷が香った。
昂り過ぎた神経は、いくら寝台に入ろうとも眠れる気など、さっぱりしなかったというのに――
カイトの香りを嗅いでいるだけで、がくぽの瞼はとろりと落ち、意識は健やかな眠りの国へと誘われた。