しょちぴるり

第4部-第6話

寝台の枕元にもうひとつ、小さな『布団』を置く。火熾し用に取り置いてある乾した草や葉を、布で包んだものだ。

しけっていては火が熾きないので、草葉の乾かし方は入念だ。嗅ぐと仄かに、陽だまりが香るほどに。

そこにたまごを置いて、さらには簡単には落ちないようにと、カイトは入念に形と深さを整える。

たまごだ。

鳥の巣作りそのものに見える。

毎晩まいばん、カイトは丁寧に作業をくり返し、たまごの眠りが安らかであるようにと、心を尽くす。

「………」

開いたままの窓辺に立ち、がくぽはその様子を茫洋と眺めていた。

寝台の脇に作った小机の上では、皿に汲み置いた獣の脂から伸びる灯芯が、小さな火を宿している。その火と、たまごが放つ微細な光――

暗闇に強い目は、それだけの仄かな光でも、不足なく部屋の様子を見せる。

たまごを扱うカイトの、丁寧でやさしい手つき。

なによりも、生まれる子供を楽しみに、心待ちにする、その想い。

「……っ」

ため息を噛み殺し、がくぽは背後の石壁に凭れる。冷たさが身に沁みて、軽く震えた。

気になることは、いつでも尽きない。

ひとつ解決したかと思えば、新しいひとつが生まれている。

いや、ひとつで済めばいいが、大抵は二、三――

増えることこそあれ、減ることや、ましてや絶えることなどないような気さえする。

――気になるのは、カイトの様子です。

眠りこんだカイトを間に、ずいぶん話しこんだルカは最後に、そう告げた。

――あたくしもあなたも、異変を感じました。子供神が世界を過った真偽はともかく、なにかしらの『違和感』を抱いたのは、確かです。けれどカイトだけは、反応しなかった。個体差で済ませていいのか、それもまた、なにかしらの作為に含まれるのか………。

生まないはずの子供を生んだ、カイト。

宿るはずのない花を宿し、――世界が軋む違和感を、まったく感じなかった。

――がくぽとルカが、なんかおかしーから、やだったけど。

無垢な表情でこぼされた『違和感』に関する言葉は、それだけだ。嘘偽りもなく、疑いを差し挟む隙もなく。

神の総意を持って追放された、異端の子供神。

現れるはずのない世界に現れ、がくぽと語らい、歪ツな力の影響すら与えた。

それでも真実『総意』であれば、現れるはずも語らうこともなく、けれど現れて語らう。

そして今は、どうしてか世界に歪ツな現れ方をして、はっきりと姿を見せない。語らいもせず、すぐに世界から押し出される。

世界は今ようやく、追放された子供神の存在を思い出し、完全に締めだすことを決めたように。

なぜ今になって決めたのか、なにかしらきっかけが――あると、するならば。

「んっ、よしっ!」

たまごの寝心地を追求していたカイトは、ようやく満足の行く形に収められたらしい。

明るい声で完了を告げ、がくぽを振り返った。

「………がくぽ?」

窓辺に茫洋と立ち尽くすだけの、がくぽだ。

視界にはカイトを収めているが、きちんと見ているという気がしない。そんなことは、珍しい。

がくぽは未だにカイトの守り役としての自分を忘れず、脇を見ているようでも常に意識の中心に置いている。

変わったことといえば、その瞳に素直に愛情を乗せ、熱烈な想いも共に訴えかけているということだ。

だが、今のがくぽは困惑のただなかにいるようで、迷いに揺れているようにも見えた。

「どうしたの?」

「あ、…………あ、いえ、その」

寝台に座りこんだまま心配そうに訊くカイトに、がくぽははたと我に返った。

カイトに事の詳細を訊くことは無意味以外のなにものでもない以上に、害悪だ。

下手に二人の間に蟠りをつくるだけのうえ、現状、解決する糸口もない。

記憶がないのだ、カイトには。子供神がいたということも、彼らを追放したということも。

そして未だ、存在を感じ取れていない。

記憶が戻る保証もなく、このままなにひとつ感じずに終わるかもしれない。

「がくぽ」

「いえ、………ぁ、その、………考えごとを」

咄嗟にうまく誤魔化せる性質でもなく、がくぽはもごもごと口ごもりつつ、寝台に近づいた。

出来れば、口づけで誤魔化せればいいが――

意外にそういうところで単純さがないのが、カイトだ。

「考えごとなになにか、心配?」

不安そうに訊かれて、がくぽは座るカイトを見下ろした。

灯芯の明かりは仄かで、たまごの明かりも強くはない。最近気がついたが、『寝ている』と、たまごの纏う光は微妙に弱くなる。

ますますもって、原理も理屈も不明なたまごだ。

「たまご、ですよね」

「うん。たまごだよ?」

カイトを見下ろしたまま、がくぽは軽く首を傾げた。

「………生まれたなら、子は乳を欲するのでしょうか」

「え?」

「いえ、その…………ですから、ええと」

見下ろしたカイトは、寝る前だからと上着を脱いでいた。下に着ているのは、いつもの通りに肌が透ける、扇情的な薄絹の衣装だ。

だからといって暗闇ではその詳細は見えないのだが、つい、記憶が視界を補填して、目が。

「………子供というのは生まれてしばらく、母親の乳を吸っているでしょうしかしたまごから生まれる、鳥などは乳を吸いません。私とあなたの子ですし、たまごから生まれるとしても、乳を欲するのかどうか――」

そこまで言って、がくぽは口を噤んだ。

カイトは思いきりきょとんとして、片手で口元を押さえて目を逸らしたがくぽを見つめている。

いつもの『むつかしくって、わかんない』というよりは、あまりに意想外なことを言われたがために、思考が停止したような表情だ。

ややしてがくぽは、こほんと咳払いした。

「いえ、すみません。………そもそも神というのは、乳を吸うものですかそこから確かめるべきでした」

「お、ちち………………おっぱい………?」

「………………すみませ……」

話題を逸らすにしても、もう少しなにかなかったのか。泥沼に泥船で漕ぎ出している気しかしない。

思いきりきょとんとしているカイトを見返すことも出来ず、がくぽは口を塞ぐ手にさらに力をこめ、再び視線を逸らした。

愚かにもほどがあると、不器用な己を激しく呪う。

一方、きょとんとしたままのカイトは、俯いて自分の胸を見た。

真っ平らだ。断崖絶壁。

子供を生んだ母親の多くは、胸が腫れ上がるものだった。そこに、子供を育てるための乳を溜めて。

「…………おれ、は………のんだこと、ないな…………のんでるの、見たことも、ない………?」

「………ぅ、はい……」

戸惑いながら吐き出された答えに、がくぽは気まずく頷いた。

神の出生形態がどのようであれ、予測の範囲内ではある。見た形こそ似ていても、人間と神の成りようはあまりに違うのだ。

いくら女ノ神が豊満な胸を誇っていたとしても、子供に含ませるためではないということは、十分にあり得る。

ひたすら気まずいがくぽに対し、カイトは自分の胸を見たまま、そこにそっと手を這わせた。

「………でも、もしかしたらたまごちゃんは、おっぱい欲しいかも。だって、がくぽの子供でもあるんだもん………。人間って、おっぱい飲んで、おっきくなるんでしょだったら、たまごちゃんも……」

そこまで言って、カイトは不安そうに胸を押さえた。ぱっと顔を上げて、潤む瞳でがくぽを見つめる。

「そしたら、どうしようおれ、おっぱい出ない………よねいっくらたまご生んでも、おっぱいまで出るようになんて、なってないよねたまごちゃん、おなかすいちゃう……?!」

「ぁ、いえ、カイト、殿っ」

慌てふためきだしたカイトに、がくぽも慌てる。

単に話題を逸らそうとしただけなのに、意外にして余計な波紋が広がってしまった。

「がくぽぉ………っ」

「ええと………!」

自分で自分の首を締めつつ、墓穴を掘っているような気がするがくぽだ。

そもそもイクサに在って、死の隣には長く添ったが、生の隣に構えたことは少ない。孕ませるための知識はあっても、生まれるものへの知識はほとんどないのが、がくぽという剣士の残念な実情だ。

それでもがくぽは懸命に記憶を漁り、涙目で見つめてくる伴侶のために、ない知恵を絞った。

「確か、…………ええと、乳の出が悪い母親などは、揉んでやると、出がよくなるとか。赤ん坊がしつこく吸っていれば、そのうち出るようになるとか………」

「もんで………」

朧な記憶を、あやふやなままの声音で吐き出したがくぽに、カイトは自分の胸を見た。

ちょこんと首を傾げつつ、手を這わせる。

「もめば、いいのそしたら、おれでも出る男だけど、たまご生んだし………おっぱい、出るようになる、かな?」

「ああ、いえ、その、……………」

究極的に言って、出なければ出ないでも構わない。そこらの獣から、乳を貰えばいいのだ。

乳母が雇えるような身分ならいいが、そうでない家では家畜の乳を搾り、それで赤ん坊を育てることもあった。

もちろん北の森に『家畜』などいないが、獣はたくさんいる。彼らはカイトが頼めば、乳を分けてくれるだろう。

いのちを育み守るカイトは獣と信頼関係を築いているし、彼らを狩って食すがくぽを傍に置いていてすら、その絆は壊れていない。

しかし説明するより先に、カイトはひどくまじめに、自分の胸を揉みだした。

「んー………ん。こんな、感じ………?」

「……………」

カイトは真面目だ。真剣とも言う。本気で、たまごのことを案じたうえで。

しかしその様子を眺めるがくぽのほうはつい、ごくりと咽喉を鳴らしてしまった。

カイトの手が、胸を這い回っている。自分で自分の胸を揉みしだき、つまんで、弄る――

「カイト、殿」

「ん、がく、………ぽ?」

呼ばれて顔を上げたカイトは、すぐに下へと向け直した。

寝台の脇に跪いたがくぽが、ひどく熱っぽい瞳でカイトを見つめている。

「えと」

「己でするより、他人にして貰ったほうが効きが良いそうですから。お手伝いします」

「そうなの?」

「はい」

あくまで無邪気に無垢に訊くカイトへ、がくぽは即座に頷いた。カイトがさらなる問いを挟む隙もなく、顔を寄せる。

「え、ぁ、ん………っ」

がくぽは馴れた手つきで、カイトの体を覆う薄絹を肌蹴た。片側の胸は手で揉みしだき、もう片方の胸にはくちびるを寄せて、尖り出しているものにちゅくりと吸いつく。

「ぁ、が、がくぽっ?」

「揉むだけでなく、吸ってやるのも大事なのです」

「ん、ぁ、そー…………っんんっ」

至極もっともらしく言うがくぽに、カイトは疑問を抱きつつも抵抗しきれない。

そもそもの初めに、揉んだり『吸ったり』するといいと、ちゃんと言われている。確かに自分で自分の胸を吸うのは難儀だし、がくぽに頼むのが――

「ん、ぁ………っ、んくっ、ふ………っぅ………っ」

これは赤ん坊のために、乳の出を促すための行為だ。

情人としての愛撫ではなくがくぽは父親として、生まれてくる子供のために、『母親』に協力してくれているのだ。

カイトは自分に向かって懸命に言い聞かせるが、揉まれ吸われる胸はじんとした痺れを全身に運ぶ。どうしようもなく体が疼いて、淫らなことをされているかのように、甘い声が出てしまう。

――赤ちゃんのため、たまごちゃんのためなんだから………!

「ぁ……………っん、くぅ……んっ」

感じてはだめだと思うのに、声が抑えきれない。胸に埋まるがくぽの頭を、掻き乱すように抱きしめてしまう。

実際のところ、カイトにはよくわからなかった。がくぽの触れ方が、いつもの愛撫とどう違うのかということが。

肉全体を撫で回した手は、やわらかに揉み上げて、肌をくすぐる。尖った先端を指がつまみ、こねくり回して、きゅっと潰す。反発してすぐに尖ると、またつまんで、くすぐるようにぴんぴんと弾かれる。

吸いつかれているほうも、同様だ。

がくぽの舌は、未だやわらかかった蕾を起き上がらせるようにちろちろと舐め、ちゅくりと音を立てて吸う。尖った場所にもねっとりと舌が絡められて、引っ張られたかと思うとやわらかに押し潰され、また吸い上げられて、牙が立つ。

敏感に疼く先端だけでなく、まわりのぺったんとした肉にも舌は這い回り、吸って咬んでと刺激された。

「ん、ぁ…………ぁっ」

弄られる胸から全身へ、じんじんとした痺れが広がる。

落ち着かずに下半身をもぞつかせながら、カイトは涙目で、わずかに途方に暮れていた。

赤ん坊に乳を含ませてはやりたいが、そのたびにこんな淫らな気持ちになるのなら、どうすればいいのか。

赤ん坊は生きるため、無邪気に『母親』の――カイトの乳を欲しているだけなのに。

その自分がこんな淫らに乱れるなんて、ひどい裏切りのような気がする。赤ん坊に対してもだし、その父親である己の情人、がくぽに対してもだ。

半神半人として生まれるかもしれない赤ん坊が、どのくらいの期間、乳を欲するかはわからないが――

「ぁ、が、く………がくぽっ。あか、あ、赤ちゃんって………赤ちゃんって、こういうふうに、おっぱい、すう、の……?!こん、な、……っ」

耐えきれずに疑問を投げたカイトに、がくぽはわずかに顔を浮かせた。

その瞳がひどく真面目に、感じてはいけない快楽に悶えるカイトを見上げる。

「カイト殿。今、あなたの乳を吸っているのは、私ですよ。赤ん坊ではありません。触れているのは、私です」

「………っ」

静かに言われて、カイトはびくりと体を震わせた。がくぽは構うことなく、くちびるを胸に戻す。

ちゅくりと、音を立てて吸われ、舐めしゃぶられる――

「ぁ、あ、あ………っ、ゃぁあん、ぁあっ、は、がく、ぽ…………っひぁあ、ぁああっ」

殊更に、自分に触れている相手を強調されたカイトは、もはや堪えようもなかった。

触れているのは、赤ん坊ではない。カイトが誰より愛するひとだ。

そのひとが、肌に直に触れて、揉みしだき、舐め回しているのだ――

「っぁ、ぁ…………っ」

「………」

ほどなくがくぽは胸から顔を上げ、のみならず、体も起こした。

へたへたと寝台に崩れるだけでなく、追い込まれた快楽に全身を痙攣させるカイトを見つめ、濡れたくちびるを舐める。

「……子供なら、獣の乳で十分に育てられます。あなたから、無理に出る必要もありません。………私としてはこんなふうになる場所を、いくら子供とはいえ、誰かと共有してもいい鷹揚な気分にはなれませんね」

「………」

しらりと吐き出すがくぽを潤む瞳で見つめ、カイトははふ、と息をついた。

たぶん、遊ばれたのだ。

基本的にはカイトに従順で、真摯な態度のがくぽだ。が、相愛の仲になってからというもの、たまにこういった悪戯をする。

とはいえ冗談なのか本気なのか、遊ばれているのか真剣なのか、判別は難しい。

「あ、のね、がくぽ」

「はい」

寝台に横たわったカイトは、あくまでも真面目な表情のがくぽに、改めて顔を向ける。じんと疼く胸を、やわらかに撫でた。

くちびるがほんのりとした笑みを浮かべて、ひどく蠱惑的な眼差しになる。

「………したく、なっちゃった………。そぉいえば、最近、してなかったよね……………たまごちゃん、となりにいるのに、そんなのダメガマンしなさい?」

「……………」

瞬間的に瞳を見開いたがくぽだが、その表情はすぐにやわらかな笑みに崩れた。

確かにたまごが生まれてからというもの、ご無沙汰だ。それまでは連日、交わっていたというのに。

そっとたまごを見れば、光は静かだ。いわば、眠っている状態。

体を浮かせると、がくぽは寝台に横たわるカイトへと伸し掛かった。

「………奇遇ですね、カイト殿。私もちょうど、あなたが欲しいと思っていたところです」

ささやいて、熱を持つ舌をとろりと耳に捻じ込む。

「ぁ………っ」

びくりと跳ねた体に、がくぽは密やかな笑い声を吹きこんだ。

「たとえ隣にいようとも、赤ん坊が寝たなら、『両親』の時間は終わりです。これからは、『夫婦』の時間ですよ」