鼓膜を突き破られるような、金切り声。
飛び散った火花。拒絶を叩きつける炸裂音。
たまごを抱きしめたカイトの眼前に、がくぽが体を割り込ませる。
全身で庇われて――
けれど敵するキヨテルがいるのは、違う方向だ。
しょちぴるり
第4部-第14話
がくぽの視線は、キヨテルに向いていない。
キヨテルの視線もまた、がくぽに向いていない。
息が合いすぎて馬が合わない幼馴染みたちは、揃ってなにかを見ている。
カイトには、見えない『なにか』を。
またそうやって、二人きりで仲良くして――自分をナカマハズレにする。
場の緊張感にはそぐわない感想が心に過り、カイトはがくぽとキヨテルの視線の先を見る。
なにもない。
誰もいない。
なにもない。
誰も――
だれも。
腹に抱くたまごから、目を焼く火花が飛び散り、拒絶を叫ぶ炸裂音が響く。
そんな声を出すことがあるとは思わなかった、キヨテルの口から迸る、耳をつんざくような金切り声。
――リン!!レン!!
不思議なことにその名がカイトの耳に届いたのは、たまごが反応してからだった。
それまでカイトの耳には、『キヨテルが叫んでいる』ことは届いても、その『音』が――『言葉』が、届いていなかった。
りん。
れん。
飛び散る火花は、カイトを傷つけない。
カイトを庇うがくぽも、害さない。
一度は弾いたキヨテルは、遠く離れている。
いったいなにを――だれを、弾いたのか。
どんなワルイモノが、カイトの大事な大事なたまごに、子供に触れようとしたのか。
――リン!!レン!!
りん。
れん。
不愉快な『音』だ――悲痛に塗れて、聞いている心が引き絞られる。
――……………
カイトのくちびるは無意識のうちに、音をなぞろうと動く。
りん。
れん。
なぞろうと動き、咽喉は音として発しようと、開く。
りん。
れん。
音にもならず、形もなぞれないまま、カイトの視界は痛みに眩んだ。
激しい痛み。
痛みに眩む視界を、火花が彩る。
彩る火花の、眩む視界、その先に――
彼らが、いた。
『やくそく、まもって、おにぃちゃん!!』
りん。
れん。
呼ぼうとした咽喉は、紡ごうとした声は、伸ばしかけた手は――
<世界>に押し潰されて、カイトは意識を失った。
***
「………っ」
目を開く。同時に迸りかけた声は、音に出来ずに風だけが走った。
「カイト!!」
「っ、が、くぽ」
呼ばれて反射で応えると、今度は音と成った。
――音と成せないのは、つまり『彼ら』の名前。
思考のどこかがつぶやきながら、カイトは覆い被さってくる男を呆然と開いた瞳で見つめる。
男の背後、天井は石だ。空気は朝。開けたままの木戸から、薄く光が入り込んで石を鈍く輝かせている。
体をくるむのは、やわらかな布団。
人間のように布団を必要としないカイトが、布団を手に入れられたのは姉神のメイコの尽力によるものだ。
がくぽを拾って、とりあえず記憶のまま、人間には『家』が必要だからと『家』に入れて――そういえば、寝台も必要だったのだと、家の中を探索して。
土台は見つけたけれど、長い年月の間に『布団』はすっかり駄目になっていた。
ここに暮らしていた人間が消えて、久しい。
手入れもされていない内部は、縦横に蔦が這い回り、木戸も腐り落ちて、とても『家』と呼べる状態ではなかった。
もちろんカイトは、そこまでわからない。彼の感覚では、ここは十分に『家』だった。
――人間って、おふとんがないと、寝てなかったよね。
遥か遠くになり過ぎて、そのうえその過去にすら、親しく付き合った経験もない。
あまりに朧にして掠れた知識を掻き集め、カイトは拾ってきた人間に必要と思われるものを考えた。
怪我をしている人間は、寝台に寝かせておく必要がある。獣もそうだ。それぞれのねぐら――寝床に篭もって、怪我を癒す。人間はさらに、手を掛けた寝床を――
土台はあったが、確か土台にそのまま寝ていなかった。
ふかふかとした、『布団』に――
一度『家』から出て野辺に立ち、カイトはメイコを呼んだ。
――めーちゃん、おふとん、ない?
あまりに唐突にしておかしな弟神の問いに、メイコは胡乱そうな眼差しを寄越した。
しかしどうするのかとも、なにかあったのかとも聞かず、ほんのわずかにカイトを待たせて、布団一式を持って戻って来た。
どこからどう取り出したのか、不明だ。神は誰一人として、そんなものを必要としないのだから。
けれどカイトは気にしなかった。
――ありがと!
にっこり笑って礼を言って、布団を持って帰った。
思うにメイコはあの時点で、カイトががくぽを拾ったと勘付いていた。彼女は頼まれもしないのに、包帯まで寄越したからだ。
勘付いていたが、放置した。
放置し、がくぽがある程度回復するまで待って――
「カイト!!」
「ん、がくぽ………っ」
誰よりもなによりも愛おしいカイトの『男』は、目を真っ赤に腫らしていた。呼び声にカイトが応えると、その瞳からぼろりと大粒の涙を溢れさせる。
強い男だ。
そうそう滅多に、泣いたりなどしない。
驚き、見入るカイトを、がくぽは泣きながら抱きしめた。きつくきつく――息も出来ず、骨が軋むほどに。
「ん、がくぽ………がくぽ。いた……いたい………」
「カイト………!」
「ん………」
心配をかけたのだろうなと、思った。
どのくらい、意識を飛ばしていたかはわからないが――
「っっあっ!!」
そこまで考えて、カイトははたと気がついた。
寝台に横たわったままのカイトに覆い被さり、締め上げてくるがくぽの背を加減なく、力いっぱい叩く。長く美しい髪ごと着物を掴んで、引き上げた。
神と人間でも、力で勝るのはがくぽだ。
そうやってもカイトには引き離せなかったが、慌て暴れる尋常ではない様子に、がくぽは自分から体を起こしてくれた。
「カイト?」
「たまごちゃん!たまごちゃんは?!おれ、たまごちゃん………っ!!」
「………」
青褪めて叫ぶカイトに、がくぽは表情を空白にした。無残に泣き腫らした顔を虚ろにして、たまごを探して悶えるカイトを見下ろす。
「がくぽ!!」
「そこに」
起き上がって掴みかかり、悲鳴のような声で呼ぶと、がくぽはようやく枕元を指差した。
カイトが毎晩、寝る前に丁寧に『巣作り』して置く、その場所――
おくるみにくるまれたたまごは、そこにいた。光が差し込んでも薄暗い室内に、ほんのりと浮かび上がるきれいな光を放って。
「ぁ、あ………あああ………っ!」
震えて言葉にならないカイトに、がくぽは軽く咳払いする。たまごの表面を撫でると、カイトに向かってわずかに引き寄せた。
「大丈夫です。罅の一つもありません。あなたはたまごを割らないように、落としも潰しもせずに倒れましたから」
「ふ、ぁあ………っ、よか、よかった………!よかっ………!………っごめ、んね………ごめんね、たまごちゃ………ごめ………っっ」
よろよろと伸ばした手でたまごを取り、胸に抱きしめると、カイトは言葉にならなくなった。
ただきつく抱きしめて、ほろほろと涙をこぼす。
もしも、たまごが傷つくようなことがあったら――
もしも、たまごを喪うようなことがあったら。
「………っ」
カイトのくちびるは空転し、嗚咽がこぼれるだけで明確な言葉にもならない。
退いて寝台に腰かけたがくぽはその様をしばらく眺め、やがてくちびるにうっすらと笑みを刷いた。わずかに表情を彩ったその笑みは徐々に広がり、肩が揺れ、腹が波打つ。
「ふ……く、くっくっ…………」
堪え切れずにこぼれる声を、がくぽは手をやって口を覆い、呑みこもうとした。しかし襲いくる発作は激しく、その程度ではとても押さえこめない。
「く……っ」
「………がくぽ?」
笑いの発作に襲われて全身を震わせるがくぽに、さすがにカイトも気がついた。不思議そうに、顔を上げる。
「すみませ………っ、ふ、ふ………っ」
「え?がくぽ………?」
謝ろうとするがくぽだが、笑いに圧されて言葉にならない。
涙も止まってきょとんとするカイトへ、がくぽは笑いに歪む泣き腫らした顔を向けた。笑っているが、花色の瞳にはまた、涙が滲んでいる。
「安心しました」
「あ………」
こぼされた言葉に、カイトはたまごを抱く腕に力を込めた。
どうやらがくぽは極度の緊張が急激に緩み、反転して笑いの発作となったらしい。
カイトはたまごを抱いたまま、がくぽへと身を乗り出した。
「がくぽ……がくぽも、ごめんね?心配したよね?こわかった?ごめんね………ごめんね」
謝りながら、目尻にちゅっと吸いついて涙を啜る。
冷たいくちびるを受けたがくぽは、呼吸ひとつで笑いを治めた。カイトの腰を抱いて招き寄せると、自分の膝の上に乗せる。
たまごが落ちないように支えたうえで、間近にカイトの顔を覗き込んだ。
「まだ、安心してはいけませんね。お加減は………具合は、どうです?気分が悪かったり、どこか調子が悪かったりといったことは………」
「ぅうん。………ううん。まって……」
反射でどこも悪くないと言おうとして、カイトは首を横に振った。
しばらく黙りこみ、瞳を伏せて、じっくりと自分の体を探る。
焦らすつもりはなくとも、時間を掛けてきちんと自分の体の状態を探り、カイトは顔を上げた。
穏やかな顔で見つめるがくぽとしっかり目を合わせ、微笑む。
「だいじょぉぶ」
「はい」
請け合ったカイトは、がくぽのくちびるに軽くくちびるをぶつけた。頷いたがくぽも、カイトのくちびるにお返しのくちびるをくれる。
やさしく触れ合ってから、がくぽは大きく震えると、きつくカイトを抱きしめた。
「こわかった……………っっ」
「…………ぅん」
こぼれた呻きに、カイトはただ、頷いた。
たまごを抱く腕ごと抱き込められてしまったから、がくぽを抱き返すことが出来ない。
代わりに全身で凭れかかり、甘えるように頭をすり寄せた。
怖かっただろう。
がくぽが意識を失うたびに、失いかけるたびに、カイトもひどく怖い思いをした。
これで少しは身に沁みればいいなどとは、思わない。あんな怖い思いをさせてしまってかわいそうだと、申し訳なさだけが募る。
やり返してやりたい、そんな怖さではない。
知らないで済むなら、知らないままにしてやりたい――
「がぁくぽ。あいしてる」
抱き締められて、骨まで軋むような痛みの中、カイトは甘い声でささやく。
「あいしてる………がくぽ。がぁくぽ………」
「はい………っ」
甘い声に名前を呼ばれ、その響きに、現実に、がくぽはカイトを抱く腕にさらに力を込める。
これ以上されたら、さすがに骨が折れるかもしれない。
微妙な危惧を抱きつつも抵抗することなく、カイトは不自由な体で膝の上のたまごを撫でた。
抱え込まれて色を見ることは出来ないが、きれいだろうとわかる。
わかりやすく、きれいに見えたらと言ったが、色だけの問題ではない。表面に触れたときの手触り、抱いていると伝わる波動。
そのすべてが心地よく、やさしくやわらかであること――
いつまでも撫でていたくなる、気持ちの良いたまごの殻をあやすように撫でながら、カイトはがくぽに擦りつく。
愛している。
その結果としての、たまご――子供だ。
未だ善悪の別なく、性別も未分化な、なにもかもが途中の存在。
「ごめんね」
小さく、つぶやいた。
骨が折れそうなほどにきつく抱きしめてくれる、この男を愛している。
愛しているこの男に、血を繋ぐ子供を遣りたかった。
男の自分との間には、本来生まれないはずの子供を――
それでも、遣りたかった。
「………ごめんね」
つぶやく、手の下のたまごが震える。
男の愛情の証。
偽りない心の証左。
これほどまでに、愛してくれた男などいない。
これほどまでに、愛してくれた相手など。
これほどまでに、愛した相手もいない。
これ以上、愛する相手などいない――
「がぁくぽ…………あいしてる」
ささやくくちびるが、火傷しそうに熱いくちびるに覆われ、貪られた。