しょちぴるり
第4部-第17話
「あ、カイト殿――」
「ん?」
温泉から上がり、帰り道。
たまごを抱いて先を歩くカイトに、がくぽは声を掛けた。
羽織った着物の裾をひらりとはためかせ、きれいな弧を描いて振り返ったカイトに、帰り道からは多少ずれる方向を指差す。
「夕飯の材料を少し、仕入れて行っても構いませんか。肉はまだ、乾したのがあるのですが。野草は取り置きがないので………」
「ああ………」
がくぽが指差すままに顔を向けたカイトは、納得して頷いた。
野辺がある。がくぽ曰くの、食べられる野草が豊富にある場所。
「いーよ!」
にっこり笑って了承を告げると、カイトの足は踊って向きを変え、野辺へと踏み出す。
がくぽからすると、相変わらず動きに無駄が多い。うたっていようがいまいが、カイトの歩調は常に踊っているのと同じで、ふらふらゆらゆらしている。先に、足腰が立たずにふらついていたが、それとはまた違う。
未だに合理性が理解出来ないがくぽだが、見ていて楽しいことは確かだ。
足取りは弾んで、見ているもののこころまで浮かせる。
「………考え過ぎ、か?」
たまごがいつ孵化するのかと訊いてから、微妙な空気感があった。
剣もって相対した相手のこころならば、いくらでも読んでみせるがくぽだが、背後に守る相手のこころは読み切れない。
カイトがなにを思い、感じているのかが掴み切れず、気まずいままに帰り道を歩いていた。
しかし今、振り返ったカイトはいつもと変わらぬように見えたし、なにより足取りに狂いがない。
「………んー……」
首の後ろを軽く掻くと、がくぽはカイトを追って野辺へと足を向かわせた。
「♪」
野辺に入ったカイトは、早速咽喉を開いてうたっている。
誰か――この場合、生えている野草ということだが――が、うたを求めたのだろう。
いのちを与え育む、神のうたを。
「………」
瞳を細めてその旋律に聞き入り、がくぽはくちびるを綻ばせると、目的である野草摘みを始めた。
とはいえ一人分だ。冬用に乾燥して置いておくもの以外、日常で食べるものは余計に摘まない。大体が、今日の夜と明日の朝分だ。そして朝分に関しては、場合によっては起きてから、体をほぐしがてらの散歩で材料を調達することもある。
どのみち、そうそう量は必要としない。
「♪―♪」
うたうカイトはますますもって、踊るような足取りだ。その声はのびやかでやさしく、力に溢れている。
生けと。
生ける限りは、生けと。
やさしく穏やかながら、折れることのない強さを含んで、いのちのうたは降り注ぐ。
野草を摘み終わったがくぽは微笑んでその様を眺めていたが、ふと背筋を震わせて振り返った。
そこに寒気の元を見つけて、切れ長の瞳を軽く見張る。
「………ミク殿」
――寒気の元などと言えば無礼極まりない以上に、失礼千万だ。彼女はがくぽとカイトの子供、たまごの恩人なのだから。
善悪未分化にして身を守るすべもないたまごに、世界に満ちるいかなる不吉からも守り、善きものとなるように祝福を与えてくれたのは、冥府の女王たる彼女だ。
しかしつまり冥府、死の国の女王であるミクの気配は、感覚としては冷気、寒気となる。
そうやって闇に生きる彼女が纏うのは、森と同じ色だ。
意外さに一瞬は目を見張ったがくぽだったが、すぐに森に添う華の存在を思い出した。
「ミク殿、ルカ殿が案じて――」
「キミ、ボクとの約束って覚えてる?」
がくぽの言葉を皆まで聞くことなく、ミクは唐突にそう切り出した。
口を噤んでミクを眺めてから、がくぽは慎重にくり返す。
「約束、ですか」
北の森に来てからというもの、神からの一方的な押しつけという約束をいくつか交わし、そのたびに微妙な目に遭った。
東方の剣士は人間の中では約束に堅いほうだが、神のそれは遥かに凌駕する。実際に体の自由を奪われることもある。
ましてや相手は、冥府の女王――迂闊に答えるのは危険だ。
そう思ったがくぽだが、そもそもミクとの付き合いは多くない。その中で、約束らしい約束を交わしたことといえば――
「――必要とするなら一度きり、私の剣を腕ごと、お貸しするというものですか」
カイトは未だにうたっている。距離もあるから、叫びでもしなければこちらの話など聞こえないだろう。
わかっていても声を潜めたがくぽに、ミクは眇めた瞳を向けた。どこか疲れたようでもある。
カイトは大丈夫だと言ったが、もしかして冥府ではなにかしら、厄介ごとが起こっていたのかもしれない。その対処に追われ、過程においてがくぽの剣の腕が必要となった――
可能性を思いめぐらせるがくぽに、ミクはくちびるを歪め、不安を煽る笑みを浮かべた。
「東方の剣士のその誓いは、絶対だよね。――たとえばそれが、カイトを裏切ることになったとしても?」
「………っ」
意地悪く押される念に、がくぽは即答出来ずにくちびるを噛んだ。
だからこそこの誓いは滅多にされず、そして一度きりだと限定されるのだ。
東方の剣士にとって、剣の主と定めた相手は絶対だ。軽々しく乗り換えることも、反故にすることもない。
主を違えれば、時として気が狂うことすらあるのが、東方の剣士の忠誠心だ。諸国が揃って頭を抱えながら、欲する理由がそこにある。
裏切らない――絶対の臣下が人間から得られることなど、滅多にない。
「……………一度きりです」
「ははっ!」
軋る歯の隙間からようやくこぼしたがくぽを、ミクは軽く笑った。
「見上げたものだよ、その覚悟!さすがは『東方の剣士』ってこと?」
「ミク殿」
必要なのかと低く訊いたがくぽに、ミクは瞳を細めた。
「心配しないでも、カイトを斬れなんて言わない。いくらボクでも、そこまで命知らずじゃないし」
「……ミク殿」
わかっていても、言葉にされたくない可能性がある。
いくら恩人とはいえ、咄嗟に噴出した殺気は止めようがない。
四苦八苦して己の心を治めようとするがくぽから顔を逸らしてカイトを見つめ、ミクは厚布で厳重に覆われた腕をさすった。
「おお、こわ。………冥府の女王たるボクに寒気を覚えさせるとか、冗談みたいな男だよ、ほんと。腹が立ったから、死んだ暁には刑期をちょこっと、水増ししてやる」
「ご自由にどうぞ」
「ははっ!」
堪えることもなく平静に応じたがくぽに、ミクはまた、明るく笑った。
「カワイクないな!さらに水増ししてやる。でも素直でいいお返事だから、その分は減額して上げる」
「………ご自由に」
ミクは会うたびに、刑期を増額するの減額するのと言っている。すべてを総合した結果、出会う前と今とでどれくらいの差が出ているのか、そもそもの初めの刑期を知らないがくぽには計れない。
わかるのは、多少減額なり増額なりされたところで気にもならないほど、己が犯してきた罪は多いということだ。
投げやりではなくそう自覚しているから、がくぽが一喜一憂することもない。
ましてやこれから生きていくなら、重ねる罪は増える一方だろう。
がくぽはカイトを守るためなら手段を選ぶ気もないし、さらに罪を犯すことに躊躇いもない。
それは時として、いのちを守り育むカイトにとっては受け入れがたい選択のこともあるだろう。
「ミク殿」
自分の腕が必要なのかと再度訊いたがくぽに、ミクは顔を戻した。
くちびるが刻むのは、不安を煽る笑み。
睨むように見据えるがくぽを負けじと見返し、ミクは告げた。
「斬ってほしいものがあるんだ」