「ミク殿」
「ミク!」
がくぽはそれこそ、時と場所と場合を思い出した。
カイトに怯えられる理由はわからない。しかし追及している場合ではない。
現状、もっとも優先すべきはカイトの身の安全であり、たまごの安全だ。
しょちぴるり
第4部-第20話
剣を握り直したがくぽの背後から、カイトはミクへと身を乗り出した。たまごを抱く腕に、きゅうっと力が入る。
「ミク、これ、これ……どうしてたまごちゃん、あの子たち、はじいちゃうの?!ねえ、といて、といて……このままじゃ、あの子たち……!」
「解けないよ、カイト」
惑乱して求めるカイトに、ミクはきっぱりと言った。
「ボクの与えた命令は絶対で、容易く翻せるような軽いものじゃない。そんなもので、生まれてもいない脆弱ないのちを守ることが、出来るものか」
厳しい声音で吐き出すと、ミクは白い手で子供神を指し示した。
「あれは異端だ、カイト。キミがなんと言おうとも――不吉なんだ。存在してはならないものなんだよ!」
「ちが……っ!」
カイトの反駁は最後まで言い切れず、ミクは体を翻す。がくぽは片手に剣を握ったままカイトの体を抱えると、同じく体を翻した。
突き出されたミクのいのちを奪う手は空を掴み、肉薄してきた子供神はがくぽによって、カイトに触れることもなく行き過ぎた。
攻撃するなと言われている以上、がくぽに出来るのは突貫してくる相手を避けることだけだ。
それも、カイトとたまごを諸共に抱え、違和感を叫ぶ世界に脳髄を絞られた状態で。
長くは持たない。
「ミク殿!」
「わかってるけどさ、そもそもボクって武闘派じゃないんだよね!」
希うがくぽに呼ばれ、子供神へと飛びかかるミクは叫び返す。いつもは慎重に仕舞われて、みだりにいのちを吸うことがないようにと隠す手を子供神へと伸ばし、掴みかかる。
言う通り、ミクはそれほど戦いに馴れているわけでも、長けているわけでもないらしい。
対して、暇に飽かせては人間をおちょくり、わざと危険を呼び込んできた子供神の動きはすばしっこく、巧みだ。
「っの、じゃじゃがっ!いい子におねぇちゃんの言うことを聞けっ!」
叫ぶミクの声は、子供神に届いているとは思えなかった。
存在を確かに戻しながらも子供神の表情はいつもの余裕を失くして歪み、悪鬼もかくやと化している。
カイトがいくら言葉を尽くしても、悪いものではないとは、信じきれない。
そのくちびるがひたすらに紡ぐ言葉ももはや意味が取れず、迸らせるのが悲鳴なのか怨嗟なのか、はたまたなにかの願いなのかもわからない。
「ミク、ミク、おねがいだから………っ!!」
「カイト殿、すみません。どうか……!」
いのち奪う手を剥き出しに飛びかかるミクと、避ける子供神と。
たまごを抱いたカイトは狂ったように叫び、がくぽはその体を懸命に抱えて抑え込む。
願うことは、ひとつだ。
カイトの安全。
願うことは、ひたすらにそれだけだ。
ゆえに恐れるのは、カイトが己の身の安全を放り出す命令を、叫ぶこと――
「がくぽ!」
「……っ」
願っても、叶わない願いもあれば、届かない願いもある。
狂乱しながら呼ばれて、がくぽはくちびるを噛んだ。
願われれば、拒絶することなどできない。もしも拒絶するなら、今以上に苦痛と戦うことになる。
くちびるを噛むがくぽの瞳と揺らぐ瞳を合わせ、カイトは片手でその胸にしがみついた。
「やくそく、やくそくしたの、おれ……!あの子たちと、やくそくしたの………やくそくして、手をはなしたの。やくそくして、また会う日にはきっと………きっとって。もう二度と、あの子たちの手をはなしたくない!!つらいおもいも、かなしいおもいも、これ以上、させたくない!!」
「カイト、殿……」
いつも穏やかに微笑み、憤りに駆られても悲しみが先立つようなカイトだ。
こうして狂乱してがくぽに掴みかかってくることなど、これまでなかった。
いや、がくぽのみならず、誰かに掴みかかっていくことなど、これまで――
カイトは涙に揺れる瞳でがくぽを見据え、圧倒されて足を引く体に肉薄した。
「約束、したの。おれが、生んで上げるって。あたらしい体に、生みなおして上げるって。異端じゃない、ちゃんとふたつの体に、ふたりを生みなおして上げるからって………世界に弾かれることのない体を、ふたりに上げるって!」
「っっ」
叫ばれた言葉の衝撃に、がくぽは固まった。
ただひたすらに、掴みかかるカイトを見つめるだけに落ちる。
ミクが何度も慨嘆したように、そんな場合ではないと思考のどこかが叫ぶ。
それでも、すぐには体も思考も固まったまま、自由にはならなかった。
「………そのために、生んだたまごなの。あの子たちのために。あの子たちを受け入れて、あたらしい体を上げるために」
「………」
狂乱に駆られていたカイトだが徐々に声は小さくなり、表情は悲痛に歪んだ。
掴みかかっていた手が落ちて、縋るようだった体ががくぽから離れ、たまごを抱きしめる。
絞り出された声は掠れてひび割れ、闇に堕ちた。
「あの子たちを受け入れないと、たまごは孵らない」
「っっ」
がくぽはほとんど反射で首を巡らせ、攻防をくり返すミクと子供神とを見た。
ミクの手は空を掴む。時に花を掴み、そのいのちを吸い上げて萎ませては、振り捨てる。
存在を禁じられたがゆえに、姿を現しても触れることが出来なかった彼らだ。今はいったい、どうなのか。
ミクは諦めることなく、手を伸ばし続ける。
いのちを吸い上げ、奪う手を。
触れられるのか――奪えるのか。
そもそも神にとって、神殺しは最大の禁忌であったはず。だからこその、幼い子供神を孤独に放逐するという、極刑。
諸々入り乱れた思考は空転し、がくぽは無為に立ち尽くした。
「時間がないわ」
「っ?!」
呆然と対するだけのがくぽとカイトへ、掛けられた声はよく知ったもの――
振り返ったがくぽだが、自分の目を疑った。
「カギはとけた。けれど<世界>が子供を受け入れるのは、一度きり、ほんのわずかな間だけ――過ぎれば今度こそほんとうに、子供らを世界から弾きだす」
「メイコ殿」
「めーちゃん!」
いつものように、メイコはつけつけと言う。いつもと違ったのは、己ひとりでは立っていないということだ。
春色を宿すルカに肩を借り、ほとんど抱きかかえられるようにして、ようやく歩いて来る。不機嫌に歪んで滅多に綻ぶことはない表情だが、今は壮絶に歪み、だけでなく色を失くしていた。
目立った外傷があるようでもなく、状況から考えれば、おそらくは――
たまごを抱くカイトは惑乱していても、苦しむ姉神のために咽喉を開いてうたおうとした。
しかしメイコはルカに縋ったまま、そんな弟を睨みつける。
「時間がないっていってるでしょ!あたしがばらばらにちぎれ飛んで死んだら、あの子たちは二回も神をころしたことになる。もうぜったいに、あの子たちを取り戻すことなんて叶わなくなる!」
「っっ!」
「メイコ殿」
鞭打つような言葉に、カイトはくっとくちびるを噛んで身を引く。
語気の鋭さもさることながら、内容の不穏さがこれまでにない。
一歩踏み出したがくぽに、背を撓めるメイコは眉をひそめた。そうでなくても身長差があり、常に見上げなければならない相手だが、今はさらに頭上遥かに顔がある。
ほんの少し首を上げるのも、至難なほどに体は蝕まれているのだ。
「いったい」
「時間がないの!」
――状況説明を求めても、そうだと言うしかない。メイコの矜持の高さは、さすがにわかる。その彼女が、ルカに縋らねば歩けないのだ。
「ごめんなさいね、あなた――こんなことに、巻き込んで」
代わって落ち着いた声で謝ったのが、ルカだ。表情に憐れみを混ぜていても、彼女はこの場でもっとも冷静さを保っていた。
自分とほとんど体格の変わらないメイコを担いでいるような状態だが、声が歪むことも、体が撓むこともない。
ただ、がくぽへの憐れみを込めて――そして、野辺を駆け回るミクと子供神を、案じて。
「時間がないのは、本当のことですの。メイコの体が持ちません――すべての神を生んだ母神ですら、堪え切れずに千々に引き裂かれて絶命した、同じかより以上の圧が、メイコに掛かっています」
「………っ」
がくぽは、彼女たちの母神がどれほどのものかは知らない。
しかし係累を辿れば、種々雑多な力を持つ神のすべてを、この世に産み落とした神だ。余程に強靭な体を持っていたのだろうとは、想像がつく。
その彼女を死に追いやったものと、同じか以上の力となれば――
「あたくしたちは総意を持って、子供神の存在を禁じ、時系の外へと弾きだしました。けれどそれには、条件があった」
おっとりとした話し方をするルカだが、今は口早だった。よく見ればメイコの手は、縋るルカの体に爪を食いこませている。
厚い布地越しだが、頭蓋を超えて脳髄にすら干渉する手だ。おそらく障害になどならない。
ゆえにルカもまた痛みを感じているはずだが、声が揺らぐことはなく、瞳は力を持ってがくぽを――神の定めに巻き込んだ『人間』を見つめていた。
「カイトが、子供を生むまで――カイトが、男に犯され、その子供を孕むまで」
「っっ」
さっと強張ったがくぽに、ルカは努めて表情をやわらげた。やわらげながらも怒ったようにという器用な表情で、肩に担ぐメイコを睨む。
「この言い方、あたくしは好きじゃありませんわ。あたくしの作った『時満花』が子供を宿すのは、相愛の相手と結ばれたときだけですのよ。相愛の相手との行為を、『犯される』だなんて。愛欲への冒涜です」
「しったこっちゃないわよ」
つんけんと告げたルカへ、メイコも素っ気なく吐き捨てる。苦痛ゆえというより、あまりにいつも通りだ。
場にそぐわないこと甚だしい姉妹の様子に、がくぽの肩から思わず力が抜ける。
見計らったかのように、ルカはがくぽへ視線を戻した。
「カイトが生むのは、子供神の新しい『体』です――異端として生まれついたあの子たちに、異端ではない、世界に拒絶されることのない、双ツに分かれた新しい『体』を生み直す」
「………」
「………」
流れで視線をやったがくぽから、カイトはくちびるを噛んで身を引いた。たまごを抱く腕に、力が込められるのがわかる。
目を合わせてくれない――今やがくぽからすら、たまごを守ろうとするかのように。
今や、がくぽと目を合わせる資格も、愛される資格も、すべて失った罪人であるかのように。
「か……」
「時間がないのよ!」
カイトへと向かいかけたがくぽの意識を、メイコが撓る声で引き戻した。
「母神だけでなく、あたしまでころしたりしたら、あの子たちは二回も神をころしたことになる。そうなったらもうどうあっても、世界にもどせない。新しい体も、なにもかも、ぜんぶぜんぶがムダになる!」
「それは」
神にとって、同族殺しはもっとも禁忌だ。そのために、大抵のものを放逐して終わらせる。
神以外のものが神を殺すことを見逃す分には、禁忌とならないからだ。
言うことはわかるが、わからない。母神の死と、メイコの今の状態と、子供神と、すべてにいったいどんな関連があるのか。
力を失っていくメイコの体を、ルカは眉をひそめて抱え直した。
「母神が亡くなったのは、異端の子らを孕む負荷に堪えきれなかったためです。あの子たちを産み落とすと同時に、母神の体は千々に砕け、再生も叶わず絶命しました」
人間の産褥の非ではない。
お伽噺そのものの結末に息を呑んだがくぽの耳に、カイトの硬い声が響いた。
「でもそれは、あの子たちの罪じゃない」
たまごをきつく抱きしめたカイトは、いつになく硬い声でくり返す。
「異端の体を持ったことは、あの子たちの罪じゃない」
視線を向けたがくぽからも、今度は身を引くこともなかった。揺らぎながらも強い意志を持って、見返してくる。
「あの子たちに、罪なんかない」
「<世界>はそうとは思わないのよ、このヌケマ!」
くり返すカイトに、メイコが叫び返す。表情はさらに歪み、体は力を失って崩れて行く。
抱えるルカは、小さくため息をついた。
「異端ゆえに、<世界>は子供神を厭い、常に攻撃し続けました。創生の全能神たる定めを持っても、子供のときは子供です。あの子たちは堪え切れず――生み直すにも、異端にして創生の全能神を受け入れられるだけの、強靭な胎もなく」
つぶやくように告げて、ルカは視線を野辺にやった。
子供神を、冥府の女王が追いかけ回している。一見、滑稽だ。意味を知らなければ、喜劇のような追いかけっこ。
「最後の策として考えられたのが、あの子たちを一時的に世界から弾きだすこと――新しい体を生み直すまで、『避難』させることです。しかし単に存在を弾きだせば、広大な『外』においては迷子になり、もはや二度と帰ること叶わない」
ミクの姿を追いかけていた視線を、ルカはメイコに戻した。
瞳に険はあっても土気色となり、崩れて行く姉神を。
彼女は存命する神の中で、最古にして長――
「ために、メイコは己へとあの子たちを『結び』つけ、道標としました。子供神が世界に戻るための、鍵を開くのはカイト――カイトが、あの子たちの新しい体を孕むこと。孕んだ子供に宿すべきいのちの『名前』を思い出すこと。その日まで、外に放逐した子供たちが迷子とならぬよう、<世界>と結んで存在の縁とする『記憶』をその身に宿し続けるのが、メイコです」