以前、ルカと話したことがあった。
本当に『存在を禁じた』のだとしたら、子供神は人間にすら見ることも語ることも出来ず、世界に入りこむことなど決して不可能だと。
しょちぴるり
第4部-第21話
それが歪んだ形であれ、曲がりなりにも出来るなら、なにかしら条件付けか、もしくは『穴』が用意されている――
そのときには類推すらも不可能だったが、つまり『穴』がメイコだったのだ。
メイコに残された、ほんのわずかな記憶――あえかな欠片を、ぎりぎりの存在の縁として、子供神は無理やりに<世界>と繋がり、歪ツながら干渉を続けた。
とはいえ正直なところ、がくぽにはほとんど話の意味が取れていなかった。
曰く、『むつかしくって、わかんない!』だ。
嘘や騙りをする相手でもなければ、状況でもない。しかし神学や関連する力に詳しくないがくぽにとっては、お伽噺のように突飛で現実味がなく、すぐには理解が及ばない。
ましてや脳髄は未だに、世界が叫ぶ狂ったような違和感に苛まれ、いつも以上に思考が覚束ない。
眩む視界で縁を求めて辺りを見回し、がくぽの目に入ったのはまず、カイトだ。
カイトと、カイトが抱くたまご――
語られる内容がにわかには信じがたく、理解が及ばなくとも、これは現実だ。
カイトはがくぽと愛し合い、たまごを生んだ。
確かに子供が宿る、たまごを。
「与えられた機会は、一度きりです」
ルカの声が、静かに届く。
「カイトが子供神のために新しい体を生むことも、<世界>が再び、子供神を受け入れることも――受け入れるなら、子らは速やかに今の体から、新しい体へと宿り直さなければ、いけません。機会を逸すれば、子らは今度こそ完全に、<世界>から存在を禁じられ、時系の外から戻ること能わなくなります」
顔を向けたがくぽに、ルカは微笑んだ。母親としての愛情と、覚悟を含んだ。
「それが、神が総意を持って決し、<世界>と結んだ契約です」
「でも、たまごが!」
がくぽが言葉の意味を噛み締めるより先に、カイトが叫んだ。
「たまごが、あの子たちを受け入れないの………はじいちゃうよ!どうして?!だって、それが約束なのに!」
「わかってるわよ!だからこそ――っっ」
「いいから貴女、自分の体を保つことに集中なさい!」
叫び返したメイコだが、言葉は続かなかった。
目に見えて体が軋み、歪んだのだ。
竦んだカイトと、叫ぶルカと――
時間がないのだ、おそらく、本当に。
神の記憶は、それ自体が存在する縁となる。
なんらかのきっかけによって、すべての神が存在を思い出した今、子供神は世界に『受け入れた』状態となってしまったのだ。
けれど子供神を再び<世界>が受け入れるのは、束の間。すぐにもたまごに受け入れて、新しい、異端ではない体へと乗り換えることが条件。
だというのに、肝心のたまごが子供神を受け入れない。
「メイコがあの子たちの歪ツを引き受け、時間を延ばしています。ですが――」
「だから……っ!」
カイトは涙声で叫びかけ、はたと思い出したようにがくぽへ顔を向けた。
たまごが子供神を弾くのは、なによりも『カイト』が、たまごにとって子供神を『わるいもの』と断じていればこそだ。
カイト自身の好悪の感情には因らないと、ミクは言っていた。
たまごの幸いのために、カイトが無意識下で選り分け、<世界>の定めに則って断じる――
<世界>は子供神のために、カイトが新しい体を生むことを、異端ではない体に子供神が生まれ直すことを、契約した。
同時にたまごには、世界の定めに則り、たまごにとって幸いではない手を弾くように、守りが掛けられた。
世界の定めにおいて、双ツ神は幸いではない。異端であり、不吉だ。
矛盾があり、齟齬がある。
善意から与えられた最上の祝福が、今は最大の障害となって、契約の成立を阻んでいる。
意図は交差し、交錯し、複雑な結び目を形成して、とてもではないが短時間で解ける範囲を超えた。
束の間がくぽに見入ったカイトは、俯く。くちびるを噛んでたまごを抱きしめると、顔を上げた。
がくぽのすぐ目の前に立つと、揺らぎながらも逸らすことなく、まっすぐに見据えた。
「がくぽ。おねがい。あの子たちを、たすけて」
「………」
無理難題を言ってくれると、思う。
助けろと言われても、いったいどうやったら助けたことになるのか。
受け入れるために生んだというたまごがそもそも、彼らを不吉と断じて弾いている。
受け入れなければ先はないというのに、弾いてしまう。
すべての不吉を弾くように祝福を与えた冥府の女王は、容易く解けるものではないと言う。もっともだ。最上の祝福がそうそう簡単に翻意出来るようでは、最上とは言わない。
そしてたまごにとっての不吉を判ずるのは、<世界>の定めから逃れられない神である、カイト自身――
彼らを受け入れるために生んだたまごだというのに、いのちを拒んで弾き飛ばす。
わるいものではないと、もう二度と手を離したくないと、血を吐くように叫びながら。
「たすけて」
己の守り役の強さも賢さも信じて疑わないカイトは、懸命にがくぽを見据える。揺らぐ瞳に涙を滲ませながらも、しずくをこぼし、泣きで訴えることはない。
隠しきれずに表情を彩る悲痛は、果たせないかもしれない約束と、永遠に喪われるかもしれない子供神のことを思ってだけではない。
がくぽへの裏切りに。
誰よりも愛おしい男に、子供を上げようとして――その誕生を歓んでくれた男を、結局利用していただけだという、事実に。
記憶を失くしていた間のことだ。
カイトががくぽを想い、その子供を生めることに歓んだ、愛おしみ慈しんでいた情が消えるわけではない。
けれど男ノ神でありながらカイトが子供を生めたからくりは、そこにあった。
記憶を失う前、子供神の存在を禁じて時系から弾き出すという決定をした、そのときに――
仕込まれたのだろう。体に、種を。
男ノ神でありながら、子供を生むべく。
それは歪みであり、歪ツだ。
詳細のすべては今もっても、理解できない。
それでもメイコは確かにいのちを失いかけていて、子供神もまた――
「助けます」
がくぽのくちびるは反射のように答えをこぼし、声を発したことで思考に掛かっていた呪縛も解けた。
「――助けます」
もう一度、反射ではなく己の意思としてつぶやき、がくぽは微笑んだ。
これまでずっと、カイトを見るたびに浮かべてきた、穏やかで愛情に満ちた笑みを。
「がく、っぅ、ふっ」
素早く手を伸ばすと、がくぽはカイトの頭を掴み、そのくちびるを吸った。
覚えるのは、冷たさだ。
冷たさとともに流れ込む、甘いあまい薄荷の香り。
胸が透くのに、甘くあまく満たされる薄荷水。
もっと欲しいと、おかわりを強請れなかった。
滅多に味わえない甘いものを欲しながら、弟妹のようには無邪気に強請れなかった。
ひと口ひと口、大事に丁寧に飲んでも、すぐに終わってしまって――
痛む郷愁とともに、胸は満たされる。
いくらでも味わえる、望むだけ与えられる恩寵に。
浴びるほどに飲んでも、決して飽きることがない。
「どうか、信じて」
かくりと膝を崩したカイトと、抱かれたたまごを落ちないようにと支え、がくぽはつぶやいた。
地面にゆっくりと下ろし、膝の上にたまごを抱えさせてやってから、もう一度、つぶやく。
「信じてください、私を――」
「がくぽ」
カイトのくちびるは、空転する。
動揺し、悲痛に歪み、言葉が言葉にならずに。
がくぽはやわらかに微笑みかけ、カイトから手を離した。
疑うことなく、信じていればいい。
カイトがなにを思い、なにをしたとしても、想い挫けることなどない。
東方の剣士が剣を捧げるとはそういうことで、東方の剣士にとっての剣の主とは、そういうものだ。
覚悟の深さと情の強さを持って、東方の剣士は狂的だと鳴らし、望まれるのだから。
具体的な方策がなくとも、道は示されて応と答えた。
答えた以上は、やり遂げる。
「いつも通りのはばからないヌケマどもで、安心したあたしがいやなのよ………っ!」
「懲りませんわね、貴女ってひとは」
今や全身を軋ませ、歪めながらもうんざりとつぶやいたメイコに、支えるルカも呆れたようにつぶやく。
ため息をつきかけてから、体を反したがくぽへと慌てて叫んだ。
「ミクと話をしてください――たぶん、そんな時間はないと言われますけど!彼女、なにかしらの策があるはずですの!!」