しょちぴるり
第4部-第22話
助言をくれた女ノ神に、不躾とは思いつつもがくぽは軽く手を上げるだけで応えに変えた。
カイトが踊るように歩くと表現されるなら、戦闘のときのがくぽは、滑るように歩く。平らではない野辺であっても、体は不思議と一定に、流れる風のようにも見える。
「ミク殿、少し!」
「のっわ、このおばかめ!!」
戦いに長けていないとはいえ、相手は冥府の女王であり、恩人だ。その善意ゆえに混乱が広がったという皮肉な事態だが、恩人に変わりはない。
カイトへの想いが醒めることがないように、ミクへの感謝の念が失せることもないのだ。
それでも天秤はカイトへと傾くから、がくぽはせめても鞘に仕舞ったままで剣を振るい、割り入ってミクの動きを止めた。
当たっても痣が出来て痛い程度だが、ミクは慌てて避け、罵倒をこぼす。
「おばかめ、理由もわからず情にだけ流されたな!このカイトばか!!」
「そう褒められても」
「褒めてないっっ!!」
しかしがくぽにとって、馬鹿と罵られることは褒められているとしか思えない。それが、カイトに狂っているという意味であれば。
真顔で返した剣士に頭を掻き毟り、冥府の女王は獣のように唸った。
「これだから東方の剣士って!!」
「よくご存知のようで、なによりです。説明の手間が省ける」
答えたのは、がくぽではなく――黒装束の青年だった。がくぽと同郷にして、また違う狂気を孕んだ隠密衆、キヨテルだ。
「………こんなときに、疫病神が………っ」
壮絶に顔をしかめてつぶやいたがくぽだが、ふいに鞘に仕舞ったままの剣を振るった。
隙を見てカイトへ向かおうとしていた子供神は、ひらりと避ける。
悪鬼の形相に堕ちながらも怯えを浮かべる子供神に、がくぽはうっそりと笑った。
「どうやらまったく正気を失ったわけでもないようで、安心だ。手間が省ける。必ず果たしてやるゆえ、少しう待て」
低くこぼされる言葉に、ミクの後ろに立っていたキヨテルはわざとらしくため息をついた。
「悪役甚だしい………相手は子供だというのに!幼馴染みとして、私は恥ずかしいですよ、神威!」
「だからやかましいわ、この疫病神が!」
振り返ってキヨテルとがくぽを見比べ、ミクは肩を落とした。
「時と場所と場合について説教する相手が増えた……つか、冥府の女王たるボクの前で、人間風情がよくもまあ、疫病神を名乗れるね。腹が立ったから、二人仲良く刑期を増額してやる」
「やあ、これはとばっちりですね!神威こそ私にとって、疫病神というものです!」
「貴様にとっての疫病神となれるなら、これ以上ない幸いだ!」
「ひぎっ?!」
叫びながら、がくぽは一度腰に剣を差し直し、ミクを抱き寄せるとキヨテルへと拳を飛ばした。キヨテルは軽く飛んで、避ける。
元々当てるつもりもなかったがくぽは、すぐさま体を反すと今度は身じろぎした子供神へと牽制の足を飛ばす。子供神もまた、身軽に飛んで避けた。
これでカイトとの距離も稼げた――が。
相変わらず、時間はない。
抱きしめられてがちがちに固まるミクを離すと、がくぽは軽く礼を取った。
「不躾はご容赦ください。いくらあなたとはいえ、あの男を背後に立たせておくのは危険でしたので。それはそれとして、ご相談があるのですが、ミク殿」
離されても未だに体を強張らせているミクは、不機嫌そのものに吐き出した。
「経緯も経過も、理由も知らずにしゃしゃり出てきて、相談を持ち掛けるな、剣士」
「時と場所と場合について、私からの講義をお望みですか?」
「ちっくしょう、ほんとに腹立つな、この男!!」
口汚く罵って、ミクは足を踏み鳴らした。
経緯も経過も理由も、詳細に説明する暇などはない。ましてや複雑に絡まった意図を理解する時間など。
がくぽは唐突に巻き込まれ、衝撃だけを積み重ねられている。
ある意味で神経が灼き切れた状態だし、こういった修羅場はかえって、イクサ場に生きてきた剣士としての本能が勝った。
経緯も経過も理由も、どうでもいい。
そんなものは、後方の都に控える貴人が考えるものだ。生命の危険に晒されることもなく、尊厳を踏みにじられることもない場所に、安穏とするものが。
がくぽは前線の剣士であり、前線にいるならやることはひとつだ。
敵を打ち倒すことにのみ、全力を尽くす。
結果についての評価や理由づけもまた、後方にいる貴人がやる。がくぽの職責ではないことだけは、確かだ。
だから経緯も経過も理由も理解できずとも、がくぽは動くことに躊躇いがなかった。
ましてや命令を与えたのは、剣を捧げた主であり、誰よりも愛おしい伴侶だ。なおのこと、否やがない。
「私はカイト殿の望みを叶えたい」
地団駄踏まれても構わず口早に告げたがくぽを、ミクは恨みがましい上目で睨んだ。
「ボクが敵していると、どうして断じる」
「敵していないと言うなら、協力してください」
「即答したな?!なんでこういうときだけ弁が立つんだ、この男!これだから東方の剣士って!!」
「本当に腹が立ちますよねえ!」
ミクは頭を掻き毟って喚き、ふと気がついた顔で止まった。
子供神が動かない。
隠密衆の人間はすぐさまこうして、ミクの傍らに戻って来たというのに――
守られない約束に、<世界>が与える苦痛に、子供神は理性と正気を失って悪鬼に堕ちた。理性も正気も失っているのだ。
だというのに怯えを浮かべてがくぽを見つめ、その隙を窺っている。
ミクと言葉を交わしながらも、がくぽの気配は子供神に向かい、存在を圧している――が。
「東方の剣士って」
つぶやき、ミクは己の手を眺めた。
いのちを吸い取る手だ。
繋がりを断ち、切り離す手。
不吉を治める冥府の女王に相応しい、不吉の手。
冷たさは、他の神とは意味を異にする。
冷酷の温度、そのままだ。
「さて、そこでご相談なのですが、女王陛下?」
考えに沈みかけたミクへ、キヨテルが礼を取る。すぐさま、がくぽがミクの肩を抱いて引き寄せた。
「貴様が割り入るな!」
「交渉事の下手な幼馴染みに代わり、私が都合よくことを進めてあげようとしているんですから、ありがたがっていいんですよ、神威!」
「その『都合よく』の前に、『自分にとって』という言葉が抜けているぞ!」
自分の胸に抱えてミクを庇うがくぽに、キヨテルはせせら笑いを浮かべた。ふんぞり返って、頭の固い幼馴染みを睥睨する。
「これだから、剣士は!交渉事を己にとってのみ都合よく運ぼうというときに、本音をダダ漏らすばかがいますか!」
「これだから、隠密衆は!!」
「キミらには、時と場所と場合と、あとボクへの敬意ってもんについて、あとでたっぷりと反省文を書かせてやる!ついでに仲良く、刑期を増額!倍々どん!!」
火花を散らす長身に挟まれたミクは金切り声で叫び、自分を抱き込むがくぽを涙目で睨みつけた。
「さわんないで」
「ああ……」
「おや珍しい。神威としたことが、嫌われましたね、女性に」
――ミクが触れられるのを嫌がるのは、己の特性ゆえだ。触れたものの、いのちを吸い取る。
厚手の布越しならばそうそう気を尖らせることもないが、本人がだめなのだ。なによりも。
知っているがくぽと、おそらく知っているキヨテルは深く取り合うことなく、毛を逆立てるミクの顔を覗き込んだ。
「というわけでご相談なのですが、女王陛下」
「だから貴様が割り入るなというのに!ミク殿、いいですか、聞かないでください。さもないと私が、この手で直に、あなたの耳を塞ぎますよ!」
肩から離した手を見せつけるがくぽに、ミクは涙目で仰け反った。
「冥府の女王を脅したよ、この男?!」
「ええもう、そうなんですよ。こうやって女性の扱いが絶望的になっていないこの神威ですが、剣の腕前は確かです。ちょっと買いませんか?」
「気安くひとを売り買いするな!なんの権利があって!俺はカイト殿のものだぞ!!」
叫んだがくぽだが、ミクの瞳は完全にキヨテルへと向いた。普段の色を取り戻し、茶目っ気たっぷりに笑っている隠密衆を見つめる。
次いで、歯噛みしてこちらを睨むだけの子供神を。
これでもまだ、落ち着いているほうだ――異端のまま<世界>に在りながら、狂的な破壊を振り撒いていない。
力を抑えこんでいるのは、もちろん――
冥府の女王、死を総べるミクには、わかる。
すぐ傍に、死が迫っている。同族の、死が。
時間はない。こうして遊んでいる暇など、ないのだ。
冷徹なる女王の表情を取り戻したミクに、キヨテルは恭しく礼を取った。
「先ほど陛下は、神威に頼ることを博打だと言っておられましたが――失礼ながら、見くびっていらっしゃる。これなるは、東方に於いても最強無比の剣。北の森に来ては、主を得てまさに無双。言うなれば、世界最上にして最高。これ以上の剣など、存在いたしません。陛下がなにを望もうとも、斬れぬものなどないとお見知りおきを」
「どこから聞いていた、貴様………!」
奥歯を軋らせたがくぽだが、すぐに仰け反った。ミクが勢いよく振り返ったのだ。森の色を宿す瞳をきらきらと輝かせ――
「東方の剣士って、一度した約束は、必ず果たしたよね!」
「!!」
がくぽは息を呑んで身を引いたが、完全に避けることは出来なかった。『約束』を持ち出されたがゆえだ。
神がするように、実際の強制力はない。所詮人の身の約束だ。
しかし、約束だ――東方の剣士の名に懸けた。
「ミク?!」
遠く、カイトが叫ぶ声を聞きながら、がくぽは額を鷲掴みした手の冷たさに、ただ震えた。
「キミ、斬れるんだね、あの子たち。その剣で。斬れるんだ。可能性には賭けてたけど、ボクはうれしいよ!」
「………っ」
戦いに長けていないにしては、力強いミクの手だった。
いや、おそらく――最前に、メイコがルカの『治療』と成したときと同じように、指が頭蓋に入りこんでいる。迂闊に動けば、脳髄ごと引きずり出される。
世界が叫ぶ違和感と、どうしようもなく這い上る怖気と寒気と――
ミクの手は、耐え切れなくなったがくぽが跳ね除けるより、カイトが駆け寄るより先に離れた。
森の色を宿した瞳に炎を灯らせて、ミクはがくぽを見据える。
「約束したね、キミ、ボクと。ボクが求めたなら、一度だけ、その剣を腕ごと貸すと。一度だけなら、なんでも斬るって」
「………っっ」
がくぽは名残りに強張る首を巡らせて、子供神を見た。
浮かべる、怯え――
以前にも一度だけ、陽の光の下で見た。
きれいな瞳だと、碧だと、思ったのだ。
目の前にいる冥府の女王とはまた違う。<世界>の厳しさも知りながら透明感を失わない、喩えるなら北の海のように深く、きれいな碧だと――
「がくぽ!!」
カイトの叫び声を聞き、がくぽはわずかに視線を投げた。
腰を浮かせている。
すぐにも、駆け寄ってくるだろう。
時間はない。
信じて待っていてくれと求めても、こころは不安に揺らぐ。
揺らぐのはなにより、己の力が足りないゆえだ。
信じさせてやれていない。
盤石たる安心を、与えてやれていない。
まだまだだ。
がくぽはつぶやく。声にすることなく。
まだまだ、足らない。これからだ。
決意を新たにするがくぽを見据え、ミクは不吉の白い手を子供神へ突きつけて叫んだ。
「『斬れ』!!」
「がくぽ!!おねがい!!」
案の定で、カイトが立ち上がる。その足はがくぽの動きを見れば、すぐさま地面を蹴り、こちらに向かうだろう。
いずれそのうち、必ず信じさせてみせる。
がくぽが信じてくれと言ったなら泰然と微笑み待っているまでに、心の底から、強くつよく――
いずれそのうちに、必ず。
「……しかし」
鍔を回し、がくぽは慨嘆する。
その前に、平謝りして赦してもらわなければならない。
きっと大泣きしているカイトをあやし、ひたすらに謝罪を重ねて――
「ミク殿。聞くなと言ったにも関わらず、あんな男の甘言に乗せられて――あとで、耳を塞ぎますからね」
「んなにぃ?!」
不吉の女王へ、震え上がらせる不吉の宣言を落とし、がくぽは足を開いて腰を落とした。
鍔を回した剣は、未だ鞘の中。
格段に上がった闘気に、子供神が逃れようと足を引く。
「そうそう、女性と子供を虐めるものじゃありませんよ、神威。幼馴染み甲斐に手伝って上げますから、八つ当たりはほどほどになさい」
「貴様は……っ!そもそも今日の用は、なんだ!」
権利も持たないのにひとを売った相手にしゃあしゃあと言われ、がくぽは柄を握る手に力を込めた。
軽く地面を蹴った相手は、陽炎のように揺らぎながら子供神へと向かう。
明るく笑いながら、ひらりと手を振った。
「私はいつでも、あなたを不幸にする機会を窺っているんですがね!どうやらこの子たちをどうにかしないと、たまごを奪っても意味がないようだとの話を小耳に挟みまして。いやあ、中身がないものを持ち帰ったりしたら、この首が飛ぶところでした!」
「諸共に跳ね飛ばしてやるわ!」
叫びながら、がくぽもまた、足を滑らせた。平らではない地面を、風のようになめらかに駆け抜ける。
逃げを打つ子供神は、キヨテルが退路を塞いだ。子供神に肉薄すると、暴れる体を苦もなく抱きしめる。
「ほら、捕まえましたよ!私はなにあったとしても、子供との約束は守るんです………次の『鬼』は、あなたたちですからね。今度はきちんと、『二人』でいらっしゃい。私は何度でも、飽きるまで遊んで上げますから」
「………っ」
見開かれた子供神の瞳に、無邪気ですらある笑みを浮かべたキヨテルが映った。キヨテルは頭を撫でてやると、悪鬼から一転、無垢に戻って暴れることを忘れた幼い体をそっと離す。
邪悪な男だと、がくぽはやはり思う。
同時にやはり、子供を愛する心を持つ――それゆえにわからなくなる、善悪というもの。
「がくぽ!!」
カイトの声が背中に追いつく前に、がくぽは剣を抜いた。
<世界>の善悪がわからなくとも、構わない。
がくぽにとって最も優先される善悪は、カイト――
カイトの、幸い。
踏み込む足の勢いを借り、鞘から高速で抜き出された剣はあどけない表情で立ち尽くす子供神に向かい、呪縛する気迫とともに避けることも赦さなかった。
がくぽはミクと交わした誓約に従い、子供神を斬った。