しょちぴるり

第4部-第23話

総意など、取れるわけがない。

残った神は北の森に集ったが、未だ人の手に捕えられたままの仲間も多い。

契約によって力を得た神は、代償として行動の自由を失った。

森から出れば、力を失う。

最後の安息地にして棲息地である森から出て、その守護下から離れれば――

弱体化した力では、人に抗しきれない。

殺されるか、囚われて搾取されるか。

人に擬態し紛れても、逃げ果せるものではない。

「総意よ」

けれど姉神は、言った。長たる母神を喪ってから、代わって長として立った彼女が。

言い切った。

「異端の子供神は、我ら神の総意を持って、世界に存在を禁じ、時系から弾き出す」

総意を取るためには、森の外の神にも会わなければならない。

人間に囚われ、厳重に鎖されて匿われる彼らに。

その数が、知れているとしても。

「否!」

叫んだ。

姉神がそのために払った犠牲も労力もすべてわかって、カイトはそれでも叫んだ。

腕の中、安んじて眠る小さな体を抱きしめて、叫んだ。

「否!!」

言祝ぎの、あるいは癒しのうたをうたう咽喉を、裂けよとばかりに声を張り上げ。

「うたと花の神たる<しょちぴるり>が、否を唱える総意は成らない!」

腕に抱く小さな体は、異端だ。

異端を孕んだ母神は、その最後の子を産み落とすと同時に身罷った。

数多ある能力の神、すべてを産んだ母神ですら、末の子が抱えた歪ツには耐え切れなかった。

産み落とすと同時に母神の体は千々に砕け散り、復元も再生も叶わなかった。

そして産み落とされた子供は、異端ゆえに<世界>に疎まれ、押し潰されて痛みに泣き喚く。

自らが抱えた歪ツによって絶え間なく苦しみ、叫んで暴れる。

「うたと花の神たる<しょちぴるり>が、総意を問うなんの咎を持って!」

与えた、いのちのうた。癒しと言祝ぎ。

得られる安息は、ほんの束の間のこと。

その、ほんの束の間の安息に浸り、眠りを貪る小さなちいさな体。

信頼とともに縋りつく幼い体を抱きしめ、カイトは神の総意を問う。

「なんの罪を背負わせて、この子たちを放逐する?!」

歪みは、子供の咎ではない。

母神の死も、子供の罪ではない。

泣き叫び暴れ、森を破壊することも、癒し守る彼を傷つけることも、なにもかもすべて――

子供の、業ではない。

なにに由来する極刑かと叫ぶカイトに、メイコは叫び返した。

「罪を犯してからでは、おそいのよ子らがおまえをころしてからでは、取り返しがつかない!!」

「………っっ!!」

神にとって、もっとも重い罪は同族殺し――神殺しだ。

人間が人間を殺し、もしくは神を殺しても、互いの間に憎しみが生まれるだけだ。

もしくは神が人間を殺したところで、同じ。

しかし神が神を殺せば、<世界>は均衡を崩して荒れた。

くちびるを噛んで黙ったカイトに、メイコは拳を握り締める。

カイトにも、否定することは出来ないのだ。殺されることなどないと。異端の末神が自分を殺すことなど、あり得ないとは。

いかに楽観的な彼であっても――

早晩カイトは、己が守り育む末の子らに殺されるだろう。

望んで、恨まれて殺されるわけではない。

痛みに暴れ、狂った子らの力に負けて、抑え込むことが叶わずに――

生まれたばかりの子供神だ。姿はともかく、これから力が伸びる。より以上に強大に。

なによりも末の神は、強くなると定まっている。

いくら森の力を頼もうと、カイトが抑え込める範囲を超える日は、遠くない。

「もう子らは、母神をころした。<世界>は、くるった。これ以上は、むりよ。だれも<世界>をささえられない」

「………っっ」

人間の迫害から逃れ、神はただ諾々と北の森に閉じこもった。

そこで最強の力を得てすら、世界を滅ぼせるまでとなった男ノ神を放逐し、守りに徹した。

理由は簡単だ。

異端の子供神の存在。

異端ゆえの歪ツでもって母神を殺して生まれ、神殺しの咎と異端の生とを持って<世界>を狂わせる末の子が、いるために――

最強の力を得たところで、子供神を抱えて狂う<世界>の平衡を支えるだけで、手一杯。攻勢に転じる余力などない。

だからと、子供神を殺すことは出来ない。

異端であり、神殺しの咎を負っていても、やはり神殺しが禁忌であるという、制約もある。

けれど『罪』に問われない人間の手に掛けさせるという選択も取れず、森に匿う理由がある――

「それ、でも………っ」

わかっていても、カイトは幼い体を抱く手を離せない。

子供らに罪はない――<世界>がそれを罪だと断じても、罪ではない。

望んで異端と生まれたわけでもなく、悪ゆえに母神を殺し、やがてカイトを殺すわけではない。

無邪気で、愛らしい子らだ。

神にとって、なによりの希望となる、末の子らのはずだった。

「せめて、あたらしい体を――」

「だれも、生みなおせないのよ!!」

「っっ!」

つぶやくカイトに、メイコは涙を堪えて金切り声となった。

びくりと顔を上げた弟神を睨み据え、メイコは洟を啜る。

「だれも、生みなおせない――今いる女ノ神のだれも、母神ですらたえられなかった子らの歪ツを、体に宿せない。生みなおす前にまけて、くだけて死ぬだれも、だれも――あたしですら!!」

「っっ」

こぼれ落ちそうな涙をぎりぎりで堪えるメイコの姿に、カイトは息を呑んで身を竦めた。

怒られることは多い。

けれど、泣くことはない姉だ。一族の中で、誰よりもなによりも強いつよい、姉だ――その情の強さもまた、誰よりも。

子らを放逐することで、誰よりも身を切られる思いをしているのは、彼女だ。

生み直してやれない『弱い』自分に憤り、己を責めるのは――

「おまえが泣くんじゃないわ」

「………っ」

ぶすっとして吐き出された言葉に、カイトはくちびるを噛んだ。涙は止まらない。

受け入れるしかないとわかっていても、心が軋む。軋んで、受け入れられないと叫ぶ。心を封じた姉の、痛みの分も含めて。

「おまえが泣くんじゃない。――おまえには、だいじな役目があるんだから」

「………やく、め?」

泣けない己の分まで涙をこぼし、掠れる声でくり返したカイトに、メイコはくちびるを噛んだ。息を呑んでから、覚悟を決めた彼女はカイトの前に膝をつく。

目線を合わせると、涙を止められないカイトの肩を掴んだ。

悲痛を宿した瞳で、癒しの力を持つ弟神をひたと見据える。

「おまえが、生むのよ。子らを」

「………え?」

いくらどうでも、突拍子がなかった。

確かに『滅びのうた』ではなく『いのちのうた』を選択することが出来たが、カイトは男ノ神だ。子供を孕むことなど、出来ない。

さすがに涙が止まったカイトを、メイコは狂おしく見つめた。

「おまえが生みなおすの、子らを。あたらしい体を、おまえが孕んで、生むの」

「でも、おれは」

「ひとりでは生めないわ。男を得る必要がある。人間でも神でも、なんでもいい。男を得て、おまえを犯す必要が」

「………」

連ねられる言葉に返す言葉を失い、カイトは黙って姉神を見つめた。

男に犯されたところで、子供など産めない。孕めない。カイトは男ノ神、男だ。そもそも、胎がない。

犯されることなど嫌だという以前に、徒労以外のなにものでもない。

見つめるだけとなった弟神の肩に指を食いこませ、メイコは吐き出す。

「ルカに、種をつくらせた。おまえの腹に宿った種が、胎となる。子供を生みだすための、かわりの胎に」

「たね………」

ルカの創る『種』は、異種でありながら愛し合った神と人間に子供を与えるためのものだ。

愛欲を司り、恋人たちの守護者である彼女が、神と人間の最初の異種婚姻にあたり、求められて創った擬似の胎となるもの。

いくら姿形が似ていても、神と人間は異種であって、本来は子供を孕むことが出来ない。

その二人の想いを受け取って芽吹き、擬似の胎となって花開く代わりに子供を孕むのが、ルカの種――時満花だ。

ただし想いが足らなければ、恋人たちの命を吸い上げて枯れる、諸刃の剣――

「………飲めば、おれでも、生めるの?」

戸惑いながら訊いたカイトに、メイコはくちびるを歪めた。

「生めるように、させたわ。でもあくまでも、おまえが女を犯して孕ませるのではなく、おまえが犯される必要がある。男の精を腹に容れる必要が」

「………」

ぶるりと震えたカイトの肩に、メイコはさらに爪を食いこませた。骨が軋み、砕かれるような危惧がある。

カイトは子供神を抱く腕に力を込めて耐え、懸命に姉神を見つめ続けた。

「おまえでないと、生めない。『滅びのうた』を宿しながら、『いのちのうた』をうたうことができた。『いのちのうた』をうたいつづけられる、歪ツを身に宿して正気のおまえでなければ。おまえの体でなければ、創生の全能神の歪ツには、たえられない」

「………」

カイトはくちびるを引き結び、膝の上で束の間の眠りを貪る子供を見た。

男であり女であり、一ツ体に双ツを詰め込まれた、異端の神。

末に生まれた彼らは、神の希望――創生の全能神だ。

人間との争いに敗れ追いやられた神に新しい世界を創り、本物の安息地を与える役目を負った、最後にして最大の希望。

殺せない。なにがあっても。

喪えば、神は今度こそ、すべての希望を失う。

だからといって、手をこまねいてもいられない――今いるこの世界の軋みもまた、見過ごすことなど出来ない。

なによりも、痛みに悶え苦しみ狂うままでは、力の成熟など見込めない。新しい世界を得るどころでなく、今いる世界を破壊して終わってしまう。

「おれが、生めば――この子たちは、くるしいの、なくなるいたいって、泣かないで――存在を禁じるなんていうことも、なく」

「ちがうわ、カイト」

怯えながら吐き出すカイトに、メイコの指からわずかに力が抜けた。

「わすれたのルカの種は、相愛でなければ育たない。一方的におまえが犯されたって、子供を孕みやしないのよ」

「っでも、そしたらっ」

顔を上げたカイトを見つめるメイコの瞳はやさしく、同時に己の心に苛まれ、焦点がぶれていた。

「おまえはまず、男と相愛にならないといけないの。相愛の仲になれる、犯されてもかまわない、そんな男を、みつけないといけないのよ」

「そ、………んな、の」

乱暴なことを言えば、男に犯されるだけなら、今すぐにでも可能だ。たとえカイトが、男だとしても。

しかし、相愛の仲となる男となると――

「そんなの」

「その間におまえが、ころされるわけにはいかないの。だから子らを、一時的に世界からはじきだす。おまえが相手を見つけるまで。種を育てて、子を孕めるまでのあいだ」

「………そんな、の」

いつになるか、わからない。

確かにその間、子供神を世界に置いておくわけにはいかないだろう――いつ他の神が殺され、カイト自身が殺されるかわからない。

彼らを生み直すことが出来るほどの胎を持てるのが、カイトだけとなれば、なおのこと。

「おまえをニエと成し、子らに与えるあたらしい体をつくる。おまえが男に犯されて孕んだなら、子らを世界にもどし、胎のいのちとして宿す。おまえが孕むまでのあいだだけ、子らの存在を禁じる。それが、神の総意のすべて――創生の全能神を喪わないために、<世界>と交わした契約の、すべて」

「……………」

静かに落とされたメイコの言葉に、カイトは瞳を揺らがせた。

気性の激しい姉は、同時に誰よりも情が強い。己の提案そのものに心を食われ、目の焦点がぶれている。

カイトはもう一度、膝に目を落とした。

幼い異端の神は、カイトを信じ切って身を預け、束の間の安息に懸命に浸っている。

「………おれが、だれかをあいして………だれかに、あいされて………子供を、孕むことができたら………この子たちは、かえってこられるのぜったいにきっと今度こそ、ちゃんと、世界に……」

「そのための、手よ」

震える声での確認に、メイコはカイトの肩から手を離して頷いた。

「おまえがうんといえば、おまえの腹にルカが種を植える。そうしたらミクに、子らと<世界>との結び目を切りはなさせる。あの子はまだ幼く、力もうまくつかえていない。けれど『神の総意』が後押しして、創生の全能神であろうとも、世界からはじきだすことができる」

「………っ」

カイトははっとして顔を上げ、過程を説明する姉神を見つめた。

「でも『いと』が、ぜんぶ切られちゃったら……この子たち、<世界>からはぐれて、まいごになっちゃうでしょう?!どうやって、よびもどすの?!」

冥府の女王となるべくして生まれたミクは、『繋がるもの』を断ち切る力を持っていた。

一度彼女は、一ツ体に双ツを詰め込まれた二人を双ツに――『リン』と『レン』に切り離そうとして、失敗している。

生まれたばかりとはいえ創生の全能神の強大な力に、まだ幼く未熟な彼女は手こずり、悪戯に命を吸っただけで終わったのだ。

カイトが見つけるのが、あと少しでも遅かったなら――焦るあまりに加減を忘れた彼女は、末にして創生の全能神を殺したという、取り返しのつかない罪と汚名を背負うところだった。

未だに力の安定しない彼女だが、世界との結び目を切る程度なら容易いだろう。そもそも<世界>が、異端の神を嫌っているのだから。

しかし言えば、<世界>はもはや二度と、子供神と縁を結ばれることを赦さないだろう――戻る道も失われ、子供らは完全なる孤独のまま、しかも時系から弾かれたためにそれ以上の力の成熟も見込めず、無為に彷徨うだけの存在となる。

「あたしに結ぶわ。あたしの中に、子らの記憶をのこす」

慌てたカイトに、メイコはあっさりと言い放った。

「<世界>と子らとは、切りはなす。そのためには、存在のよすがとなるあたしたちの記憶もすべて、消さないといけない。けれどあたしの中にだけ、子らの記憶をのこす。ほんのわずか。ほんのわずかだけど………それが子らと、<世界>とのよすがになる。まいごになんかならない――させない」

「………でも、そしたら」

「ちょっとでも記憶があれば、それは契約においては禁忌。子らの記憶がわずかでもあるあたしには、禁忌がふりかかり、体はいつでも、引き裂かれるようにいたむでしょうね。安息など失われ、休むこともできない」

淡々と言って、メイコは笑った。焦点のぶれた瞳はようやく、炎を宿して弟神を真正面に見据えた。

「それがなにおさない末の子を孤独の果てに追いやり、弟を男に犯させ、子を孕めと強いる。そのあたしが禁忌に触れた、そのいたみを受けつづけるくらい、なんだっていうのよ?」