季節外れも甚だしい、突然の雷雨だった。
もし運が良かったとするなら、四阿がある公園のすぐ傍だったということと――
恋々雷音
「ふゃ………っ、よかったぁ………ちょっと濡れた程度で済んだね」
四阿に飛びこんだカイトは、コートについた水滴をぱたぱたと払いながら、少し情けない顔で笑った。
八の字眉で困り顔だが、そこには確かに安堵も見える。
共に飛び込んだがくぽも、羽織りの水滴を払い、犬のようにぶるりと頭を振った。カイトと違い、がくぽの髪は長い。水滴の被害も大きいのだ。
「もぉ、がくぽ………犬じゃないんだから」
カイトが笑って、提げていた鞄からハンカチを取り出して渡す。
「……すまん」
がくぽはわずかに気まずい顔でハンカチを受け取り、髪についた水滴をぱたぱたと軽く叩いた。
「………運が良かったのか、悪かったのか………」
誤魔化すようにぽつりとつぶやいて、がくぽは土砂降りの外を眺めた。
カイトとがくぽは、いっしょに出掛けていたわけではない。
今日は別々の仕事で、帰り時間もばらばらなはずだった。
しかし諸々の事情が重なった結果、偶然にも帰る時間がいっしょとなり、家の最寄り駅で降りたところで、ばったりと会った。
たまたまが重なって与えられた、予定外の帰り道デートの最中だったのだ。
二人とも、帰りの予定時間は今ではない。
予定通りであれば、土砂降りに見舞われることはなく、けれど帰りは別々。
予定がズレたために成った帰り道デートだが、こうして土砂降りに遭って、公園の四阿で足止めを食らっている。
「そんなの………っわっ」
「っっ」
カイトが笑顔で応えようとしたときだった。
目を刺す稲光から間を置かず、耳をつんざくような雷鳴が轟き渡った。
さすがにカイトも小さく悲鳴を上げ、がくぽもびくりと竦む。
さっきまでは、もう少し遠いところで鳴っていたはずだ。雲の流れが速いのだろう。
これならば、上がるのも早いかもしれないが――
「ふゃあ………びっくりしたぁ……」
「………だな」
気の抜けた声を上げながらもカイトは笑って、四阿のベンチにへちゃんと座りこむ。
傍らに腰を下ろしたがくぽも、苦笑を返した。
春先には、まだ雷の轟音と光の競合に慣れず、身を硬くして竦んでいるしか出来なかったがくぽだ。
しかし夏も越えると、さすがに慣れて平気になった。
黄色頭の双子の弟妹のように、好きだとまでは言い切れないが、眉をひそめる程度で済んでいる。
もうひとりの妹であるミクのように、いつまで経っても慣れずに、雷の間中、絶叫しているという事態は避けられた。
――ただ補填しておくと、どうもミクの絶叫のほうが凄まじ過ぎて、それに比べれば雷鳴のほうが遥かにかわいらしい、というような、微妙な慣れ方をした節はある。
「………ミク、大丈夫かなあ………」
「………」
ぽつりとカイトがつぶやいて、四阿の外を眺める。
激しい雨だ。壁のない四阿では、完全に水滴を遮れない。
周りを丈高い木に囲まれているから、たまに落ちてくる水滴に見舞われるくらいで済んでいるが――
ぴかりと、光。
続く、雷轟。
「………今日は確か、都内のスタジオとか言ってたっけ………あっちは、来てないかな。……だいじょうぶかな……でもそろそろ、帰る時間になるはずだし……ちょっと早く終わっちゃってたり……それとも、あっちのほうから雷が来てたりしたら……」
光閃き、雷音もひっきりなしだ。
家の中で聞くのとはまた違って、慣れたとはいってもさすがにいい気はしない。
しかしカイトはものともせず、気忙しげに公園の外、雨にけぶる道路のほうへと目を遣る。
「ケータイ……しても、出るわけないしな………。……ミクのとこ、カミナリ様、行ってないといいなあ………泣いてないといいんだけど」
無闇と鞄を探ってみたり、また道路へと目をやってみたり。
外で雷に遭っているのは自分も同じなのに、カイトは妹を案じてそわそわ、落ち着かない。
――初めの二回ほどは、がくぽも雷がだめで、カイトに抱きしめてもらって、あやされながら乗り切った。
しかし三回も過ぎれば、ひとりきりでも平気になり。
そもそもが、矜持の高いがくぽだ。いくら「兄」とはいっても、コイビトであるカイトにいつまでも「ヨシヨシ」とされている現状を、良しとはしない。
早々にカイトに抱かれてあやされることからは、卒業した。
だからここ最近は、雷が来たとなると、カイトはミクにかかりきりだった。
なんだかんだといっても、カイトはおにぃちゃんだ。
ほえほえほわほわとしていても、弟妹にとっては、いざというときに頼りにする存在なのだ。
だから。
だから――
閃く、稲光。
轟き落ちる、雷音。
「なんかやっぱり外だと、落ちつ………がくぽ?」
「………」
耳を傷めるような轟音に首を竦め、苦笑を向けたカイトに、がくぽは手を伸ばした。
無言のまま、その胸に顔を埋めて、擦りつく。
背中に回した手に、痛いほどに力を込めた。
「がくぽ?」
「………」
不思議そうな声にも応えず、がくぽはただ、ぎゅっとカイトに擦りついた。
「………どうしたの?こわい?だいじょうぶ?」
カイトの手ががくぽの背に回り、やわらかく抱きしめられた。
ともすれば、地を揺るがす雷音に掻き消されそうな、穏やかでやさしい声。
抱きつく手にぎゅっと力を込めると、カイトはがくぽの頭にそっと頬を寄せた。
ぽんぽん、とあやすように、背を叩く。
外だ。
近所の公園の、四阿。
壁もないから、抱き合う二人を隠せもしない。
本当なら、こんなふうにしていてはいけない――ふたりともそれなりに立場というものがあるし、仕事の関係もある。
手を繋ぐことすら、遠慮するのに。
けれど、四阿は木立ちに覆われていて。
雷雲垂れこめる夕方は、薄暗くて。
激しい雨は、景色すらけぶらせて。
だから――
「だいじょーぶだよ、がくぽ………怖くない、こわくない………」
「………」
カイトの声はやわらかく、子守唄にも似ている。
兄の胸に抱かれてあやされたミクは結局いつも、最後にはすやすやと眠りこんでしまっていた。
「ね、がくぽ……」
「ん………」
卑怯だな、と思いながらも離れることが出来ず、がくぽはひたすらにカイトに擦りついた。
――怖い、わけでは、ない。
確かに外で雷に遭うなど初めてのことで、その不安さに、いい気はしないけれど。
カイトに抱いてあやしてもらわねばならないほど、怯えているわけでもない。
それでも。
「だいじょーぶ、だいじょーぶ………」
「……」
あやす言葉を吐き出すくちびるを、塞ぎたかった。
もし今、雷の下にいるなら、ひどく怯えて泣き叫び、兄を乞うだろう、哀れな妹を――
案じるカイトは、当然だ。
やさしく、思いやりのある、みんなのおにぃちゃん。
そういうところもすべてひっくるめて、カイトが好きだ。
そういうカイトが、好きなのだ。
好きだ、けれど。
「………二人きりのときは、俺だけのもので、あってくれ」
「っわっ!」
密やかにひそやかにつぶやいた瞬間、一際大きな雷鳴が轟き渡り、さすがにカイトも悲鳴を上げてがくぽを抱く腕に力を込めた。
「ふゃ………っ。びっくりしたあ………。がくぽ、がくぽ……だいじょーぶ?だいじょーぶ?」
わずかに裏返った声で言ったカイトが笑みを含んで、がくぽの頭に頬を擦りつける。
「………あのね、ごめんね………なんか、がくぽがこうしててくれると、俺もなんかちょっと、心強いかも……」
「……」
とんとん、と背中を叩いてあやされ、抱きくるめられる。
胸に埋まったままくちびるを笑みに歪め、がくぽは瞳を閉じた。