「うっうっうっ………呪われなさい、呪われるとき、呪われれば、呪われれっ!!」
「はいはい……落ち着きなさいったら……」
メイコは呆れて、胸に抱いたマスターの頭をヨシヨシと撫でてやる。
ベッドの上で布団を被ってへたり込み、メイコの胸に顔を埋めてあやされるマスターは、完全に錯乱状態だった。
愛哀雷音
家の外は季節外れの雷雨によって、ちょっとした嵐状態だ。
メイコは午前中で仕事が終わって、とっくに帰宅していた。マスターのほうは、今日は在宅での仕事で、元から家にいた。
外で遭わずに済んだのは、幸運だったと言えばいいのか。
考えて、メイコは窓の外を見る。
夕方であることを差し引いても、暗い。
家にいるのはメイコとマスター、それにリンとレンだけで、あとの家族はそれぞれ、別々の仕事で各地に散っている。
各地とはいっても、日本全国津々浦々というほどではなく、結局のところ、雷雲から逃れられないだろう、近所の話だが。
それでもミクはまだ、都内のスタジオにいるはずだから、場合によっては雷に遭っていないかもしれない。
しかし、別々に入って来たカイトとがくぽの帰宅予告のメールから時間を推測すると、弟二人はこの土砂降りに巻き込まれている可能性が高い。
無頓着な男二人だ。
ずぶ濡れで帰って来る可能性もないではないから、風呂の用意をしておきたい。
玄関にバスタオルを用意して、その場で脱がせるために、洗濯籠も置いて――
考えて、それでも。
「う、ひぐっひぐっ、…………お、お米は、稲光を浴びて、おいしくなるんですよ………だ、だから『稲』光………」
「泣きながら、なんの解説を始めてんの、あんたは……」
胸に埋まってしゃくり上げるマスターを抱く腕に力を込め、メイコは呆れて腐す。
春の初めに雷に遭ったときには、立場が逆だった。
メイコが泣いて縋り、マスターはそんな彼女をずっと抱いてあやしていてくれた。
しかし二、三度も経験するとメイコは慣れて怯えなくなり、マスターなしでも雷の時間を過ごせるようになった。
だからここ最近は、わざわざマスターを探すことも求めることもなく。
それが、今日。
ふと、思い出した。
春先。
初めての雷に怯え、泣くメイコを抱いて慰めながら。
――私、雷ってダメなの。あなたを抱いているときは平気だけど、あなたが平気になったら途端に……。
適当なことを言うのが、マスターだ。
本気にしたわけでもなく、どちらかというと、あんたってほんとにいい加減なんだから、と文句を言ってやろうと思って。
訪れた、マスターの部屋。
マスターはベッドの上で布団を被ってうずくまり、盛大にべそを掻いていた。
思わずメイコは手を伸ばし、マスターを抱いていた。
「つまり、米の収穫が終わったら奴らは用無しなのですよっ!洋ナシなのですっっ!!なのになにゆえ今鳴りますかっ?!!」
「ノリツッコミだったの?!」
叫んで、メイコは愚図りながらしがみつくマスターの髪を軽く引っ張った。
「もしかして、結構余裕なんじゃない?」
「も」
なにか言おうとしたマスターだが、一際大きく轟いた雷鳴にびくりと竦み、言葉は飲みこまれた。
「う………っ!滅びれがいいです、かみなりぃいい~っっ」
「はいはい……」
実のところ、余裕などからきしないことはわかっている。
マスターはだれにも彼にもですます調で話すが、メイコにだけはフランクな話し方をする。
メイコにだけは気を許している――わけでは、ない。
特別扱いは確かだが、理由が違う。
マスターにとって、もっとも自然な話し方が、ですます調なのだ。
今は「いい加減」の擬人化としか思えない彼女だが、これでいて幼い頃は、ひどく厳格に育てられたらしい。そのせいで、ですます調が、彼女にとってもっとも自然な話し方なのだ。
マスターにとって不自然で難しいのは、フランクな話し言葉。
それでも、メイコにはフランクな言葉を使う。
――マスターなんだから、もっとくだけた話し方をして?
なによりも、メイコがそう求めたために。
マスターにとって自然で当たりまえなのは、ですます調。
フランクな話し言葉は、頭を使う。
つまり、心理的に余裕がないと、使えないのだ。
雷が鳴ってメイコが訪れてからずっと、マスターはですます調だ。余裕のなさが知れる。
「早く去ねやがれです~っ」
「なんでもありな気がしてきたわ!!」
罵倒しつつも律義にですますで話すマスターに、メイコは呆れて腐す。
それでも、抱く腕には力が込められた。
少し冷えた体と、震え。
怯えを含んで、湿った吐息。
小柄なひとであることは理解していたけれど、「小さい」と思ったことはなかった。
いつでも、途轍もない気迫に満ちていて――いい加減で、ズボラで、大雑把で。
「ぅっ、ひっ………ぐすっ」
「………」
震えて愚図る体を抱きしめる、メイコの腕に力が込められる。
――メイコさんが怖がっているときは、平気なんだけど。
そうでなくても、髪にしろ肌にしろ、手入れを怠っていて、普段からぼろぼろなひと。
こんなふうに泣き濡れたりしたら、ますますぼろぼろだ。百年の恋も冷めるというもの。
冷めないから、この恋は永遠なのかもしれないと、思う。
冷めないから、恋などしていないのかもしれないと、思う。
好きだ。嫌いではない――好きだ。
少しポイントがずれていて、かなり強引で、とてもしつこく口説いてくれる。
うれしい――怖い。怖い――うれしい。
「……っ」
泣いて怯え、縋りついているのはマスターの方だ。
抱きとめているのが、メイコ。
そのはずなのに、メイコの腕は縋るようにマスターを掻き抱き、表情が静かにしずかに沈んでいく。
――あなたが怖がっているときは………
「こわいわ」
ぽつり、つぶやいた。
自分にすら、届くか届かないか、定かでないさやけく声。
「こわいわ……………マスター」
轟き続ける雷鳴と、しゃくり上げる声にかき消されて、ないも同じ訴え。
メイコはくしゃくしゃに乱れたマスターの頭に顔を埋め、笑った。
「怖いの……………」
届くはずもない。
聞こえるわけもない。
けれど。
「………メイコ、さん?」
べそ掻きの情けない顔を上げて、マスターはメイコを見る。
部屋は暗い。
明かりの下でなら、マスターの瞳は古木の樹皮のような色で――時折、金色に見える。
「………」
「メイ……」
メイコは笑って、マスターにくちびるを寄せた。