とてもつごうのよいぼくらは、
きょうのおやつはクレーム・オン・プリン。
「がくぽ、おまえな、おれのプリン、食べただろ」
カイトから詰められたがくぽは、冷静だった。いや、冷静とは違う。ただ、感情がないだけだ。見返す瞳にも、上げた顔にも、開いた口からこぼれる声にも。
感情がないので冷静とも取れるが、ひどくおっくうそうにも見える。まるで他人事扱いに、面倒なことになったという――
くり返すが、がくぽは冷静でもないし、おっくうでもない。目に見えるほどの感情が、ないのだから。
3時、あるいは15時。
それを、15分ほど過ぎたところだ。
きっかり、時間どおりに動くがくぽはすでにおやつを済ませ、くちすすぎのお茶をいただいているところだった。
そこへ、物難いプログラムの傾向がつよい旧型であるはずなのだが、なにごとであれ、ずるずるルーズな自分軸で動くカイトが、遅れてやって来た。
カイトはがくぽのいる食卓、ダイニングを行き過ぎ、キッチンへ入り、冷蔵庫の扉が開く音がして、閉める音がつづいた。
一拍置き、出てきたカイトの手は空手、なにも持っておらず、それで茶を啜るがくぽのまえに来たかと思えば、だ。
「がくぽ、おまえな、おれのプリン、食べただろ」
まるで疑いもなく、決めつけるもののいい方だった。
がくぽは冷静に、くり返すがこれは、単に感情が刷かれることがないためにそう見えるというだけの話なのだが、とにかく冷静に、過ぎて冷酷なほどの凍てつく花色で、カイトを見上げた。
「がくぽがカイトのプリンを食べるところを見ましたか。どうしてがくぽが犯人であると決めつけるんです」
感情がうすく、抑揚もほとんどないために、ことさらひえびえと響くがくぽの返しに、カイトがめげることはなかった。むしろふんすと胸を張り、きっぱり、返す。
「冷蔵庫に残ってたほうのプリンのフタに、『がくぽ』って、なまえがあったからだよ!」
――突きつけられても、がくぽはやはり、冷静だった。くり返しにくり返すが、『なんの反応もおもてに浮かべることはなかった』程度の意味だ。その内心は知らない。
内心ともあれ、見た目にはふてぶてしいとも、いけずうずうしいとも、あるいは逆ギレとも取れる、がくぽの態度だ。
が、カイトがめげたり、憤激したりすることはなかった。
こちらこそまったくただしい意味でもって冷静に、はじめのトーンから変わることなく、いっそ軽快に淡々とんとんとつづける。
「そんで、おれのなまえを書いといたのは、なかった。おれまだ、おやつ、食べてないのにな?で、がくぽ、おまえはおやつ食べおわってて、そこにころがってんのは、『がくぽ』と『カイト』、ふたつしかなかったプリンのカップ。冷蔵庫に残ってたのが、『がくぽ』」
淡々とんとんと積んで、カイトはそこでがっくり、肩を落とした。いや、落とすのは肩だけでは済まない。カイトは疲れはてたようすで、床にべちゃり、落ちて、あたまを抱えた。
「あのな、がくぽ………なんかいめだ、これ?おまえが、そうやってまず、しらばっくれるとこまで、いれて…何回目だよ?わざわざ、おれのだってわかってて、おれのおやつのほう、食べちゃうの!」
――こと、ここに至っても、がくぽは冷静だった。感情を浮かべることはないというだけの意味で。
がくぽは感情が刷かれないために凍てつく花色の瞳を、食卓へ流した。
カイトがいうように、今日のおやつは、プリンだった。市販の、プラカップに入った、ゼラチンで固めたプリンだ。
がくぽは剥がしたプリンのふたを裏返しにして食卓に置いたから、おもて側に書いてあったなまえは今、すぐには見えない。
すぐには見えないが、いちいち、めくり返してたしかめる必要もない。
その、食べ終わったプリンの容器、剥がされたふたのおもて書きが『カイト』であったことを、がくぽはきちんと記憶している。
なぜならわざわざ選んで、『がくぽ』ではなく『カイト』を掴んで持ってきたのだから。
そう、『カイト』と書かれていればこそ、がくぽは本日のおやつとして持ってきた――
「………幾度目かと問うのなら、カイト。平均で週に三度、つまり今月だけで…」
「さんよりうえはいっぱいっっ!!」
開き直り、あるいは逆ギレとも取れるがくぽの返しを、カイトはみなまで聞かず、すっぱり断ち切った。
抱えていたあたまをわしゃわしゃとかきむしると、がばりと顔を上げ、がくぽを睨む。
そこにはなにもない。
開き直りも、逆ギレもだ。
がくぽはただ、問われたことに問われたまま、すなおに答えただけだからだ。反省もなく、悪びれることもなく、だからといって、反抗や、争うかまえもなく。
いつもおだやかに揺らぐ湖面の瞳にきびしく見据えられても、がくぽはやはり、なんの感情も返さなかった。
位置関係の問題でしかないが、見下ろす花色は感情が刷かれないために凍てついて、冷たく、とりつく島もない。
その極めた冷酷の瞳まま、がくぽは紅を塗らずとも朱に濡れるくちびるをゆっくり、のっさり、開いた。
「だってカイトのほうが、おいしそうに見えたんです」
ゆっくり、のっさり、きっぱりと、がくぽは弁明した。弁明――その口調、声音、表情、どこにもなんの感情も刷かれず、乗らず、浮かばなかったとしてもだ。
「カイトのプリンのほうが、がくぽのプリンより、おいしそうに見えました」
だから、『がくぽ』ではなく『カイト』のほうを食べた、と。
ゆっくり、のっさり、きっぱり、あっさり、弁明された、カイトだ。
「またそれかーーーーーーーっっ!!」
――叫んで、あたまを抱え、今度は、後ろ向きに倒れた。あおのけだ。がくぽに対して、腹を見せている。
もちろん、ただごろんと転がっただけではない。カイトはあたまを抱え、あおのけに倒れたまま、じたじたと足を振り回し、空中をかき鳴らした。
「おなじだったよなっ!おなじだったろ?!おまえ、いっつもいっつもいっっっつも!そういうから、今日はおなじプリン買ったよな!おなじメーカでブランドで、なんだったら、消費期限までいっしょのやつ!そんで、これでいいな?いいんだなって、三回も念押ししてから、なまえ、書いたのにっ!」
すべてが徒労に終わったと訴えるカイトに、がくぽが向ける瞳はやはり、酷薄に凍てついたままだった。
「でも、冷蔵庫からだそうとしたら、カイトのほうがおいしそうに見えたんです」
「そもそも論っ!!」
まるで曲がることなく主張するがくぽへ、カイトはがばりと勢いよく、からだを起こした。相変わらず床に尻をついたまま、うっすら涙目で、がくぽを睨み上げる。
「おいしそうに見えたからって、かってにひとのもん食べて、いいか?!おいしそうに見えるのはいいし、そう思うのもいいけど、だからってかってに交換して、かってに食べるの、だめだよな?!そもそも論っ!」
そもそも論、かつ、正論だった。論点がずれること、名人をはるかに凌いで超人レベルと評されるKAITOとも思えない、ぐうの音も出ないほどの。
本来であれば。
がくぽはそっけなく、返した。
「でも、カイトのほうが、おいしそうだったんです」
声音にも表情にも逆ギレというほどの感情はなく、反省もないが、悪意もない。曲げる気もないが、さりとて争うかまえもない。
ないないづくしのなかで、執着だけが、ある。
「あ゛ーーー………」
内蔵機が出てくるのではないかと思うような声を上げ、カイトはまた、あおのけに倒れた。これはもう、気力が失せた、疲れはてたがための、体勢だ。
「おれのな?『おれの』が、どうしてもいいんだな、おまえ…じゃあもう、あれだ。ぜんぶ、おれのなまえにしとくか?ほんとはがくぽのでも、ぜんぶ。とりあえず、とにかく、ぜんぶ、『カイト』って。そしたら、がくぽがどれ食べたって、おれは気にしないし、おれもおれの、食べられるし」
こころなし、この短時間でおそろしくやつれたようにも見える顔でのさのさと対策を練るカイトへ、がくぽはちいさく、首を捻った。だからと反証が浮かんでいるような表情でもないが、開いたがくぽの口からこぼれたのはやはり、反論だった。
「むりだと思います、カイト」
「『むり』」
「それだと、カイトの『しかない』と、がくぽには認識されます。がくぽのぶんがないことになりますから、がくぽはなにも食べません」
「………」
カイトが晒したのは、虚の表情だった。ある意味で感情がなくなっているが、がくぽの表情に感情が刷かれないのとは、また違う。
深く、とりかえしもつかないほど、深くふかい穴に叩き落とされたとき、その瞬間の。
転がったまま天井を見つめ、もはやなにをつぶやくこともなくなったカイトをすこし眺め、がくぽはすっと、立ち上がった。転がって、動きを再開できる余地もなさそうなカイトをまたぎ、キッチンへ行く。
冷蔵庫を開けると、ふたに『がくぽ』のなまえが書かれたプリンの容器を取った。カトラリーストッカから、デザート・スプーンも引き抜く。
流れるように淀みない動きで必要を満たすと、がくぽはキッチンからダイニングへ戻った。相変わらず転がったままのカイトの傍らに正座すると、持ってきたプリンとスプーンを差しだす。
「『カイトのしかない』と、こうして、がくぽのぶんを交換に差しだすこともできないでしょう。がくぽはただ『カイトの』を食べただけで、つまり、とりかえしをつけることができなくなるわけです。ですから、『カイトのしかない』なら、がくぽはなにも食べません。ただし、どれにもなまえがなければ、自分のぶんがあるのかないのか、がくぽでは判断がつきませんから、やはり、なにも食べません」
「………」
差しだされたプリン、スプーン、がくぽの順で眺めていくカイトの瞳は、ひたすらうつろだった。絶望すら呑みこみ、ただただ、虚だけがある、うつろ。
それで、プリン→スプーン→がくぽの順で眺め、がくぽ→スプーン→プリンの順で視線を戻らせたカイトは、瞳を閉じ、――開いた。
「がくぽ、あのさ」
のさのさと起き上がりながら、おっくうそうに、口を開く。
「『ごめんなさい』」
「………がくぽのぶんがあるのに、カイトのぶんをかってに食べて、ごめんなさい」
「うん」
促されるまま、すなおに謝ったがくぽに頷き、カイトは差しだされているプリンとスプーンを受け取った。ぺりぺりと、うすいプラスティックのふたを剥がし、適当に床に放って、ぷるぷるとしたプリンの躯体にスプーンを差しこむ。
見た目から記憶が刺激され、ぷるんとろんとした食感をすでに舌に感じながら、カイトはスプーンを口にいれた。
ぱくりとろんごくんとひと口やって、もうひと口。
三口めを拾ったところで、カイトは顔を上げた。未だ、傍らで正座したままのがくぽを見る。
「ほら。あーーーん」
いいながら、自分も口を『あー』と開けつつ、カイトはひと口ぶんのプリンをのせたスプーンを、がくぽの口元へ運んだ。
がくぽが戸惑いや、遠慮といった感情を浮かべることはなかった。わずかに一拍、遅れた程度で、紅を塗らずとも朱に濡れるくちびるはすなおに、おとなしく、開かれる。
そこへカイトはスプーンを差しこみ、抜いて、またプリンを掬い、今度は自分の口に入れた。
「どうだ」
「おいしいです」
「うん」
スプーンを咥えたまま、カイトは軽く、天井へ視線を投げた。視線とともにわずかにのけぞったのどが、こくり、嚥下に動く。
のどぼとけの上下をいっしんに見つめるがくぽに気づくこともなく、カイトはもう一度、頷いた。
「うん」
頷いて、その、のけぞるようなかっこうで、がくぽへ視線をやる。のどぼとけをいっしんに見つめるがくぽとは、向きあっているようで、微妙に視線があわない。
だとしても向きを変えることはなく、変えさせることもなく、カイトはスプーンを咥える口を器用に開いた。
「がくぽ、あのさ、とりあえず、――こんどから、おやつの時間になったら、まず、おれ呼べ。ひとりでさっさと始めて、考えて、かってにやって、とっとと終わらせるんじゃなく。おれのこと、まず呼ぶ。そしたらさ」
――そこまでいって、さすがに限界に達し、カイトは口からスプーンを抜いた。顔の向きも戻し、手元のプリンを見て、スプーンを差しこみ、ひと口、掬う。
掬ったひと口は、自分の口に向かわず、再び、がくぽの口元へ。
それでようやく線のつながった、凍てつく花色をますぐと受け、カイトはスプーンを揺らした。
「こうやって、食べさせてやるから。おれが。おまえのぶん」
すなおにぱくりとスプーンを咥えたがくぽ、感情は刷かれずとも、どうしてか幼く映る顔へ、カイトはふわり、花が綻ぶように微笑みかけた。
「な、――これもおいしいだろ、がくぽ?」