「あのさー、一応、義理っていうか、義務っていうかで言っておくけど」
「厭よ」
話を聞く前から拒絶するルカに構わず、ミクはのんびりと札を出した。
「おうち帰ろうよ」
徒夢繚乱恋噺-07-
「厭だって言ってるのよっ!ほんとにひとの話を聞かないわね、貴女ってひとはっ」
ぶつぶつと言いながら、ルカも札を出す。一枚取ると、眉をひそめて山札を開いた。
吉原にある妓楼の一角、れっきとした花魁の座敷だ。
そこで、ミクとルカは、二人きりで相対していた――花札を間に挟んで。
持ちこんだのは、ミクだ。
「お触り禁止だってんならさ、やることないじゃん。遊ぼうよ」
――遊郭には遊郭の『遊び』というものがある。
しかし本来は少女であるミクがそれを愉しめるかどうかはまた別で、ルカだとて『お遊戯』などより、花札のほうが余程愉しい。
そういうわけで始まった勝負により、現在、二人は肌襦袢一枚の姿となっていた。
白熱する戦いに勢い余って脱いだ――わけでは、ない。
ただ点数を競っても面白くない、とのミクの主張により、負けたほうが一枚ずつ脱いでいく、脱衣花札をしているのだ。
闇に生きるねずみ小僧一族の、一度はお屋形を巡って争った者同士だ。
実力は伯仲していて、どちらかが圧勝ということはない。お互いに剥き合い、そして十二戦目ともなると、お互いに肌襦袢を残すのみとなっていた。
ちなみに、ミクの頭にカツラはない。これも着衣だと主張して、何度目かの負けのときに外したからだ。
同じ理由で、ルカの頭にもかんざしひとつない。
己の手札と場札を睨みつける二人の間には、憎しみに近いような緊張感が漲っていた。
「にしたって、このボクが、どうしてここまで剥かれるかな。予定ではルカちゃんだけ、まっぱだったのに」
「貴女ね、あたくしを莫迦にするのも大概になさい。最前も言ったけど、腕は衰えちゃいないのよ」
「むー」
手札の様子があまり良くないのか、ミクは深刻に眉をひそめる。
ルカのほうも同様だ。眉間に皺が刻まれている。
「おにぃちゃん乗り移れ、乗り移れおにぃちゃん」
ぶつぶつ唱えながら、ミクは札を取り、山札を広げる。
「なによ、それ」
呆れたようなルカに、ミクは肩を竦めた。
「おにぃちゃんの引きの強さは、神憑ってるじゃん。あやかろうと思って」
「あれは詐欺だわ……………あんな大人しい顔して」
思い出に、ルカは苦い顔になった。
彼女たちの兄、カイトは賭博の神に愛されていた。丁半だろうが花札だろうがその種類を問わず、引きの強さが異常なのだ。
本人はなにが来ても淡々として、「あ、来ちゃった」とかつぶやいて終わりなのだが。
おそらくはその欲のなさこそが、愛される原因なのだろう。
「………そういえば、カイトはどうしているの」
場を繋ぐためだけの適当な話題として訊いたルカに、ミクもあっさりと答えた。
「お嫁に行ったよ」
言いながら、手に持った札の並び順を変える。そんなことをしても、札の中身は変わらない。
「………何処に?」
自分は確か、「兄」の消息を訊いたはずだが、と小さく首を傾げつつ、ルカは深くはツッコまずに流した。所詮は場繋ぎの適当な話題だ。
「印胤家の若当主んとこ」
「印胤家ですって?」
適当に振った話題だったが、出てきた名前が名前だ。
さすがにルカも顔を上げ、平然としているミクを睨む。
「どういう経緯よ?カイトは無事なの?五体揃っているんでしょうね?意識はあるの?」
「印胤家ってものの評価がわかる問いだよね」
矢継ぎ早な問いに呆れたように天を仰ぎ、ミクは札に手を伸ばした。
「実父である先代を、あっさり黄泉に葬ったっていう若当主が、跡目を継ぐと同時に迎えたおよめさまの話って、聞いたことない?それがおにぃちゃんだよ」
「…………聞いたことあるわ。人目を憚らないっていうより、凄まじいまでの耽溺ぶりだっていう…………それが、カイトなの?」
「そう」
山札を開いて、ミクは素直に眉をひそめた。小さな舌打ちまで漏らす。手札の様子はかなり良くないらしい。
「実際見ると、凄まじいまでの耽溺ぶりってのも、言葉が甘いけどね。あれでふっつーに悪家老として威勢も振るってるから、がっくんもおにぃちゃんの引きの強さも、どっちも異常だよ」
「でも、カイトでしょう」
ぼやくミクに、札を引きながら、すでに興味を失った声でルカは言う。
「どんな女なら、印胤家の鬼子を耽溺させられるのかと思ってたけど………カイトなら納得だわ」
あっさり言って、眉をひそめる。残り少ない山札を睨みつけ、軽くくちびるを噛んだ。こちらもこちらで、あまりいい手札ではないらしい。
「あのひと、尋常でないものを、物凄くよく惹くもの。印胤家の鬼子だって尋常じゃないんだから、そりゃ惹かれずにはおれないでしょうよ」
「『こい』」
「なんですってぇ?!!」
終了宣言を放ったミクに、ルカは鬼の形相になった。ミクは手札を開く。
「月見酒と、菊島」
なんだかんだで、きちんと役をつくっている。とはいえ小芝居をしていたわけでもなく、ミクとしては、この役は不満なのだ。
「くそっ」
口汚く罵り、ルカは自分の札をばら撒いた。
そのルカに、ミクはわずかに呆れたような顔になる。
「ルカちゃん、ずいぶんと口が悪くなってない?」
「放っておいて頂戴」
「美人度は増したのに」
「当たり前のことも言わないで」
「注文多いな!なにしゃべればいいか、地味に悩むんだけど」
天を仰いだミクを、ルカは陰湿な瞳で睨んだ。
「しゃべらなくていいわ。あたくしの名前だけ呼んで、あたくしへの愛だけささやく口ならともかく、他事に気を取られている貴女の口から出る言葉なんて、聞きたくもない」
恨みがましくこぼれる言葉に、天を仰いだまま、ミクは笑った。
戻した顔は最強に愛らしく、最凶に性悪だった。
「限界?」
「あたくしの前で、そんな襦袢一枚になるなんて、どうして貴女ってひとはそう、無神経なのよ!」
ルカのほうは、余裕もなく叫ぶ。
ふたりの間に緊張が漲り、見えない火花が散った。
油断したが最後、ルカはミクに飛びかかる。触れるなと撥ねつけても、触れたいのはルカなのだ。
その体を暴き、貪りたいのは、ルカだ。
「触っていいのは、三回目でしょう?」
「そうよ」
静かにつぶやかれるミクの言葉に、ルカも低く這う声で応える。
「一回目はしゃべっても駄目。二回目は教養を確認。三回目で、ようやく体を赦すのよ」
「全部すっ飛ばしてんじゃん」
「そうね」
静かにしずかに、言葉は交わされる。
まるで想い合っているとは思えない緊張を間に挟んで、二人は対峙していた。
想い合ってはいる。
だがその想いは、相手を喰らうことでようやく満たされるのだ。骨の髄までしゃぶって、そのとき初めて果たされる想い。
「どうしてこうなったかな」
「知らないわ」
「いつからこうなったかな」
「忘れたわ」
ルカの答えに、ミクは笑った。
その体から、漲っていた緊張感が消える。驚きに瞳を見張るルカに、ミクは今にも触れ合いそうなほど近くに顔を寄せた。
「ボクは知ってる。覚えてるよ。だってルカちゃんのことだもん。なにひとつとして、忘れない。
なにひとつとして」
「………っ」
緊張感は消えたというのに身動き取れず、ルカは今にも触れられそうな位置にいるミクの顔を、凝然と見つめた。
近過ぎてぼやけ、輪郭も掴めない顔を。
「ルカちゃんが忘れたことも、見ないことも、聞かないことも、全部。ボクは全部、持ってる。この頭の中に、この心の中に、この体の中に、すべて」
ささやきは、呪文の詠唱にも似ていた。ルカの意識が曇り、霞んで落ちていく。
「ボクはぜったい、ルカちゃんを逃がさない」
「っっ」
くちびるにやわらかな感触が触れ、ルカは陶然となった。しかし、思わず乗り出した身は、支えもなく崩れる。
「?!」
一瞬で離れたミクは、肌襦袢一枚の姿で、窓の桟に足を掛けていた。
愛らしい少女の顔で、呆然とするルカに向かって無邪気に手を振る。
「じゃね。次を楽しみにしてるからね?なにしろ、三回目だもんねー。お触り解禁だよ☆」
「っミクさん?!」
「いいこにしてるんだよ?」
「厭、待って………」
乗り出した身は間に合わず、ミクはひらりと身を躍らせた。そこは帰り口ではない。しかも、着物もカツラも置きっぱなしだ。
「………っっ」
ルカは震えて、自分の体を抱きしめた。
逃がさない、だから、どうすると?
閃かされた独占欲は、ルカを不幸のどん底に突き落とす。
そんなふうに言っても、ミクの瞳はほかの誰かを見る。それは、彼女が救い手を伸ばす貧民であり、狙う悪党であり、――その瞳が恋い焦がれて見るのがルカだけでも、それでは駄目なのだ。
その心が、頭が、体が、ルカだけに染まらなければ。
ほかの誰かを映した瞬間に、この心は絶望に落とされるから。
「耐えられない」
つぶやきは、閉じた聴覚に届かない。
届かないまま、ルカはくり返した。
「これ以上なんて、耐えられない……………」
こぼれる声は、嗚咽に歪んだ。