恋より遠く、愛に近い-第49話-
明夜星カイトは突き抜けて無邪気な機体だ。KAITOらしく、おっとりとして春の陽だまりのように和む。
恋人もまた、明夜星カイトのそういった部分を非常に好ましく想ってくれている。
そのカイトが、いつもの無邪気な態で恋人へ乞うのだ。
――あのね、がくぽ?がくぽはおれのおとうとで、家族なんだから…嫉妬なんか、しないよね?しないでね?
その場ではきっと、恋人も頷くだろう。あのやさしくも頼もしい笑みを浮かべ、もちろん当然のことだと力強く請け合ってくれる。
けれど、そう。
恋人は、名無星がくぽは、やさしいのだ。頼りがいがあって強く、なによりとてもとてもやさしい。
カイトが愛おしむ相手であれば、ともに愛おしんでやりたいだろう。それであのおとうとが同じように懐くかどうかはまた別として、けれど剣突くされたところでものともせず慈しむのが、名無星がくぽだ。明夜星カイトの知る恋人だ。
――だからおとうとを相手にまで、妬いたりなどしない。
そう、思う。
そうは思うけれど。
『そんなこと言われても、どうしようもない』
『そんなこと、言われるまでもなく十全に理解している』――
そうしてやりたいのに思うに任せないこころは、どれほど恋人を傷つけることだろう。
したくてするわけではなく、したくもないというのに、せざるを得ない――
カイトの、恋人のいないところで、見えないところで、あのやさしい男はどれほどに罪もない自分を責め、悔いて、悩み苦しみ、であってすらどうにもできない自分をどれだけ憎み、恨み、絶望することか。
「ぁ……あの、あ、ごめんぷっ」
及んだ理解に震えながら開いた明夜星カイトのくちびるは、すべてを言いきる前に名無星カイトの人差し指が封じた。
指をべにょりと遠慮なく押しつけて封じ、名無星カイトは首を傾げてみせる。
「『おまえが悪い』のか?」
「………」
未だ口を塞がれているので黙ったまま、明夜星カイトは揺らぐ瞳で名無星カイトを見た。
――機微に疎く、にぶくなるのはどうしようもないKAITOの特性だ。そう設計され、設定され、製造された。
だからいいのだと常に思うわけではないが、どうしても『できない』ものをできなかったとして、謝るのはなんのためか?
しばらく名無星カイトと見合って、明夜星カイトは笑った。少しばかり無理のある笑みではあったが、それでも確かに微笑んでわずかに引いた顔を、塞ぐ人差し指は追って来なかった。
だから今度こそ、明夜星カイトはきちんと告げることができた。
「――ありがと、カイトさん」
「………礼を言うのも、微妙に違うと思うけどな」
素っ気なく流した名無星カイトは、そこで肩を落とした。そのまま背も撓めると、椅子に座ってきらきらと見上げる明夜星カイトの肩に額を預ける。首に片腕が回って、抱きしめられた。
「ぁ」
わりとすぐ、名無星カイトの意図に気がつけた明夜星カイトだが、反応は少し遅れた。なぜならくり返す通り、明夜星カイトはらしいKAITOであり、名無星カイトはらしからずらしからぬKAITOであるからだ。
それで、止められなかった。
「ひどいこと言った――つらかったな。悪かった」
「っ………」
ひどい思いをしてつらかったのは、名無星カイトのほうではないのかと。
明夜星カイトはそう言ってやりたかったし、できれば名無星カイト同様、不要な謝罪を、こぼれるより先に止めてやりたかった。
おいそれとはそうさせてくれないのが、だから、『憧れのカイトさん』の、憧れる由縁でもあるのだが。
明夜星カイトは目を閉じ、肩に預けられた名無星カイトの頭に軽く、すりついた。自分からも腕を――名無星カイトの背に両腕を回し、ぽんぽんと、あやし叩く。
「またココア、飲ませて?…ください」
「………ん」
故のない謝罪であれば、容れないという手もあったが、明夜星カイトは容れた。
容れて、贖いを示す。
容れたくない謝罪でも容れることが、同時に、『言わせた』ことで名無星カイトを傷つけた明夜星カイトにできる謝罪であり、贖いであればこそ。
小さく頷いて顔を上げる名無星カイトが離れきる前に、明夜星カイトはくちびるを寄せた。目尻に小さく、キスを贈る。
少し過ぎてから気がつき、止まった名無星カイトは、きょとんとしたように明夜星カイトと見合った。それもわずかな時間で、会話の途中からずっと強張っていた表情がようやく少し、緩む。
「おまえはほんと、かわいいな」
ささやくようにつぶやいたくちびるが降りて、明夜星カイトのこめかみを撫で、今度こそ、名無星カイトは体を直した。背筋を伸ばし、立つ。
その姿はまさに凛としたと形容するに相応しいもので、明夜星カイトは眩しさに目を細めた。
自分ばかり座っているのも気が引けるが、こうして存分に見上げたい気持ちも強い。なぜなら明夜星カイトにとり、名無星カイトとはまさに見上げるに値するひとであるのだから。
きらきらと見上げる明夜星カイトに誘われたのか、名無星カイトが手を伸ばした。座ったまま、下にあってちょうどいい明夜星カイトの前髪をくしゃりと掻き上げ、くしゃくしゃと掻き撫でる。
手馴れた、心地よいしぐさだ。
思わず陶然となった明夜星カイトを犬かねこかのように撫でながら、名無星カイトは相変わらずの素っ気ない口調で続けた。
「言っても、もう少しの辛抱だから」
「ほへ?」
――まあ、陶然としてしまっていたのだ。
頭のなかですっきり会話が分断され、『ないない』してしまっていた明夜星カイトなので、こんな気持ちいいのになにが『辛抱』なのかと、きょとんと瞳を丸くした。
そういった思考の流れのすべてがありありわかる明夜星カイトの素直な表情をつぶさに見て、名無星カイトが小さく、口の端を笑わせる。
らしからずらしからぬの最たるものである鋭く光る瞳も和んで、先より力をこめてくしゃくしゃと、明夜星カイトの頭を掻き撫ぜた。
「んゅっ」
「おまえのおとうとの話だ――もう少ししたらまた、おまえに甘えるようになるから」
「え」
撫でる手を振り払い、ぱっと顔を上げた明夜星カイトへ、名無星カイトは曖昧な笑みを浮かべた。
「おまえのおとうとも、【がくぽ】だからな。どれだけ甘ったれで、わがままだろうと、やっぱり【がくぽ】がどう考えるかなら、言われないでもわかるんだろ。たとえおとうとで、家族だろうと、おまえが…恋人が自分以外に愛するものなんて、【がくぽ】が容れられるわけないって、きっと荒れるって………それでもしかしたら、大事な恋人のおまえにすら、ろくでもないことをしでかすかもしれないって、――まあたぶん、俺たちが思うよりも、ずっとずっと危機感を抱いたんだろ」
――なにかしら、名無星がくぽの不名誉が続いているので念のために補記しておくが、実際のところ、ことはもう少し複雑であった。
つまり、明夜星家のきょうだい事情である。
兄のほうはおとうとが『おとうと』でしかなかったが、おとうとのほうは兄を兄以上として慕い、募らせる想いがあった。そしてそれを名無星がくぽも知っていたという(『も』というか、知らないの『は』肝心の明夜星カイトだけであったというのがほぼ正しいが)。
単に【がくぽ】の特性のみの問題ではなく、警戒心が上がらざるを得ない理由は、確かにあったのだ。
しかし名無星カイトはここまで説明することはなく、最愛したおとうとを悪役に仕立てたまま平然と話を続けた(これだから繊細な気質のおとうとが、兄にはどうあっても敵わないとひねくれていくのである)。
「だから、おまえから手を離した。でも、俺のおとうとだって……ミジュクモノなだけで、そうまでばかじゃないからな。もう少ししたら、おまえのおとうとが『敵じゃない』って理解するだろ。そしたらおまえのおとうとも、離した手を戻せる」
そこまではきちんと明夜星カイトと見合っていた名無星カイトの瞳が、わずかにずれた。ぼそりと、吐き出す。
「そのために、今回の企画にハメ…組んだわけだしな」
「「え」」
――言うまでもないことではあるが、異口同音で上がった意想外の声は、当然、この場にいるふたり、明夜星カイトと、そのマスター:甲斐のものである。
『大団円』とまでは言えなくとも、流れ的にひと段落はしたと見た甲斐は、止めていた作業に戻ろうとしたところだった。いわば油断があったわけで、それで『お口チャック』の誓いを忘れて声を上げた。
が、さすがにこの段の、しかもこの話題となると、明夜星カイトも咎めだてすることはない。
というわけで名無星カイトの発言へ継いだのは、どうしても考えをまとめるのに時間がかかる明夜星カイトのほうではなく、甲斐のほうとなった。
「ええと、なんか、うちのがくぽの人見知り?軽減策とか対策とかみたいなのになるから、――とかいう感じで聞いてたんですけれども?」
――やはり『人見知り』に疑問符がつくな。
というのが、名無星カイトがまず思ったことであったが、それはともかく(しかしてもしも『それはともかく』で流せないなら、第15話や第25話あたりになにが『やはり』であるかの理由が詳述されているので、どうしてもとおっしゃるなら参照されよ)。
それで、疑問を掲げられた名無星カイトである。
彼はなんというか、どちらかといえば、いったいなにを訊かれているんだとばかりの呆れを滲ませながら答えた。
「企画を通すとき、『上』には言わない意図が二つ三つあるのなんて、フツウだろ」
「えーっと、私は通したい企画があるときは、捨て企画を二つ三つつくるほうが、普通かな?」
「どっちでもいい」
「うん、同感!」
――面倒ではあるが補記しておくと、この『同感』を叫んだのは反駁した甲斐のほうであり、明夜星カイトではない。実に出宵の友人らしい反応であるが、それもともかく(ちなみにこの『ともかく』に関して、参照すべき話は特にない。あるいは出宵の言動すべてを振り返ることとなり、煩雑極まるのでどちらにしても割愛する)。
なにあれ、このひと言でだいたい、明夜星家のふたりにも名無星カイトの意図が理解できた。
名無星カイトは、嘘を言ったわけではない。明夜星がくぽの『人見知り(?)』についても、確かに案じた。
が、それが一にしてすべての理由ではなく、ほかに案じることや、もっと大事として図ることもすでにあったが『言わなかっただけ』であるという。
いったいどうしてあの場ですべてを明らかとしなかったのかといえば、これこそ言うまでもない――
名無星カイトはひたすら淡々と(つまりまったく悪びれる様子もなく)、だからいったいなにを説明させられているんだとばかりの呆れを滲ませ、続けた。
「フツウにしてたら、『コイビトの家族』との付き合いの濃度って、薄いだろ。ヘタすると、接点ないだろ。いくらばかじゃないって兄甲斐に信じてやっても、それじゃあ時間がかかるからな。濃度上げた」
「す、すぱるたぁ……っ」
まるで気負いなく、すっぱりと軽く言い捨てた名無星家長男に、明夜星家のマスターは震撼した。
名無星家のKAITOがらしからずらしからぬということはよくよく聞き知っていたが、しかしである。
「そいうとこ、カイトくんもきっちりKAITOなんじゃん……」
「あ?」
「あと10分。で、ケリつけますのでっ♪よろでーす☆」
ぼそりと吐かれた言葉が聞き取れず、なんだと顔を向けた名無星カイトへ、甲斐はとても良い笑顔を返した。一瞬である。で、すぐに全力でもって顔を逸らすと、放り出していたメンテナンスに没頭した。
逃げたのである。
なにからかと言えば、――名無星カイトにはさっぱり理解できなかったが。