「ん?」

なにかに呼ばれたような気がして、空を見上げた。

もちろん、空耳だ――賑やかな商店街の片隅にある寺の墓地は、ほかに人もおらず、ひっそりと静まり返っている。

快晴の青空が清々しい真っ昼間、墓地に眠る誰かが化けて出てくるわけもない。

Oh, Sky!

そもそもここに通って十年にもなるけれど、いつ来たとしても、化けて出てきた誰かを見たことなどなかった。

住職はゲンコツとともに、笑ったものだ。

『ワシがまいんち、気を入れて読経して供養しとんのじゃ。道に迷うホトケさんなんぞ、おらん。そうそう簡単に、化けて出てくるわけなかろ!』

得意げな住職を――絞め殺す計画を立てること、何度のことか。

「………金なんて遺してくんなくていーからさ………生きててくれりゃあ、良かったんだ」

「謝れ!!」

「ごわっ?!」

再び墓に向き直って慨嘆したところで、後ろから飛び蹴りをかまされた。堪えも利かず、『彼』はべちゃんと地面に潰れる。

覚えのある、本来はやわらかくやさしい声――彼に対するときにだけ、いつからか棘と毒を持つようになった。

「このど甘ったれの根腐れマスターがっ!!世の中には、子供に借金を遺して死ぬ親もいるんですよそれに対して、一生暮らすに困らないお金を遺してくれたマスターのご両親の、なんとありがたいことか!」

「か、カイト…………っ」

べっちゃりと地面に潰したマスターにも構わず、仁王立ちしたカイトは腰に手を当てて胸を逸らし、とうとうとお説教をまくしたてる。

「だというのに、この年になってすら感謝の言葉もなく、まず恨み言とは僕は恥ずかしいです、この無恥厚顔マスターがというわけで、さあ謝れ全国の遺児の皆様とクサバノご両親に、土下座して謝りなさい!」

「ぅ、えー………えー…っと、………………………………ごめにゃさ?」

勢いに押され、マスターは素直に土下座して謝った。

謝ってからそろりと顔を上げ、ふんぞり返るカイトを窺う。

「カイト………」

「いいですか、僕は言ったはずです。ご両親に報告するなど、まだ早いと」

「え、いや、待って、カイトいつ言ったの?!それ、俺にいつ言った?!聞いた覚えないんだけど?!」

――そう、言っていない。マスターには。駄菓子屋を営む老婆に言ったのだ。

しかし、そういった細かいことを気にするカイトではない。

気にしていたら、このマスターとは付き合えない。

両親の突然の死という悲しみと寂しさから求めたロイドに、全身で頼り縋ったようなお子様――

「ならば今言えばいいでしょう?!耳の穴かっぽじってよくと聞け!」

「ぃいいいだだだだっ!!」

開き直りも甚だしい言い分とともに、カイトは容赦なくマスターの耳を捻り上げた。耳朶に口をつけて、叫ぶ。

「『結婚して家庭を持ちますから、もうボクは大丈夫です。安心してください』なんて、クサバノカゲに報告するのは、まだ早いあんたは結婚というものを甘く見過ぎです結婚はむしろ、新たな困難の」

「まぁあああああてっっ、カイトっ!!誰がケッコンするなんざぁ、言った?!俺ぁ、ケッコンするったぁ、ひとっことだって言った覚えぁねえぞ?!」

耳からカイトの手をもぎ離し、マスターは滅多になく荒っぽく叫び返した。

地べたに座り込んだままだが、険しい眼差しとなったマスターに見据えられ、カイトは一瞬、きょとんとする。

しかし、伊達の付き合いではない――その顔は、すぐにせせら笑いを浮かべた。

「はん、わかりましたよ。つまり、こうですね………『プロポーズされちゃったけど、ボクどうしたらいいかわかんないよう。相談に乗ってよ、パパママぁ』」

「ぅぐっ!」

馬鹿にしきった言いようだったが、マスターは息を呑んだ。

勢いも失って腰を引いたマスターに、カイトはあくまで冷たく笑う。

「相変わらず成長もなく変化もなく、まったくもって無駄に年ばかり重ねていて、僕は情けないですよ、この駄マスターが。まあ、それはそれとして」

「んぎっ?!」

両頬をつねって顔を持ち上げられ、マスターの口からは小さく悲鳴がこぼれた。

構うことなく、カイトは眇めた瞳でマスターを見据える。

「見つけた以上は、連れ帰りますよ」

「え、いや、まだ………いぎぎぎぃいっ!」

往生際悪く目を泳がせたマスターの頬を、カイトは力いっぱいつねり上げた。

触れ合うほどに顔を近づけると、一言ひとこと区切るように、叫ぶ。

「がくぽと、がくが心配してるんです!!」

「……………」

マスターはきょときょとと瞳を瞬かせ、近すぎて見えないカイトを見つめる。その表情は、いっそ無邪気とすら言えるものだった。

「アレは僕の旦那です。僕の夫だあんたがいちいち、心配かけないでくれませんか?!あいつらが僕以外の誰かにかまけていると、イライラして仕様がないんです!」

叫んでからすっと顔を離したカイトは、マスターの頬も解放する。

「あんたは僕たち家族の、稼ぎ頭なんですよ。家長なんです。頼られる存在なんですからね。もう少しそこんとこ意識して、そろそろしっかりしてもらえませんか。いつまでも、ふらふらふらふらしてないで!」

「……………かぞく?」

ぽつんとつぶやいたマスターの声はひどく幼く、たどたどしく頼りなかった。

見上げるマスターに、カイトは胸を反らして鼻を鳴らす。

「なにかまさか違うとでも?」

「ぅぇええ、いや、ちが………ちが、ってか…………………………えと、その………家族って、カイトと、……………がくぽとがく?」

窺うように気弱につぶやくマスターに、カイトは眉を跳ね上げた。さらに傲然と、胸を逸らす。

「あんたと、僕とがくぽとがくの、四人です」

きっぱり言って、カイトは怒らせていた肩からわずかに力を抜いた。

「………あんたは一度、家族を全部喪ったかもしれませんが……………やり方はサイアクですけど、こうしてちゃんと、自分で新しく家族を作り直した。あんたが自分で、作ったんです。自分の家族を」

諭すように言って、カイトの表情は寂しさを宿し、やわらかく歪んだ。

「………もう少し、自分に自信を持ちなさい。そうじゃないと、あんたの家族と名乗る僕が、がくぽとがくが、自信を持てないでしょう?」

「……………………」

「あんたは一家の頭ですよ、なにがあってもね。どんなふうになっても、どの道を選ぼうと、僕たちはあんたの家族です。そうでなければ、がくぽとがくがあんたを心配することを、僕がちょっとでも赦したりするもんか」

傲然と言い、カイトは商店街のほうを見た。

そこにはおそらく、件の『旦那たち』がいて――

やわらかな光を宿す瞳を見上げていたマスターの表情が、徐々に徐々に綻び、笑みを刷く。

「ん、そっか……………そっか。うん。そっか、………………ああ、うん。こういうのも、悪くない」

「マスター」

帰りますよ、と再度促したカイトに、マスターは満面の笑みを向けた。

「うん決めた!」

叫ぶとぴょんと身軽に立ち上がり、マスターは笑みとともにカイトの顔を覗きこんだ。

「悪くない、カイト。こういうのは。悪くない。……………うん、だから。………………ありがとう」