「そもそもさあ、あーちゃんが家出したったら、とりあえず墓地だろ。俺んとこじゃなくてよ」
「墓地?」
「墓場か?」
Past Pâtissier Pâtisserie
へとへとに疲れきった花屋の兄ちゃんは、店のレジ台脇に置かれたスツールに座り、ため息を吐く。
訊き返してから顔を見合わせた、そっくり同じ顔の美麗な花売り娘――こと、がくぽとがくから、商店街の外れのほうへと視線を流した。
「あっこにゃあ、あーちゃんのおやっさんたちの墓があんだろ。中学の………二年だかそこらで、おやっさんとおふくろさんが二人して事故って亡くなってから、あーちゃんが見当たんねったら、必ず二人の墓だもんよ」
「……………」
「……………」
顔を見合わせていたがくぽとがくは、レジ台に頬杖をつき、組んだ足をぶらつかせる花屋の兄ちゃんへと向き直った。
兄ちゃんのほうは疲れた顔のまま、軽く眉を上げてそんな二人を見返す。
「カイトちゃんに訊かなかったんか。カイトちゃんなら、心当たりを訊いたら絶対、そこにいるって答えるはずだけどよ」
「………………そういえば、なにも訊かずに……」
「………………とりあえず、飛び出して来たな……」
もうひとつ言うと、カイトのほうもヒントらしいヒントを寄越さなかった。
よく考えれば、マスターとの付き合いが二人より長いカイトだ。訊けばもしかしたら、心当たりを教えてくれたかもしれない。
「…………………………動転していたな」
「修行が足らぬ……………………………」
花売り娘二人が、暗い顔で項垂れる。
兄ちゃんのほうは、そんな二人の様子に乾いた笑いをこぼした。
「ああうん………そうか。そんなに、あーちゃんが心配だったか。やれやれ、あーちゃんもまったく、昔っからちっとも変わんねえで、仕様のねえ。せっかくこんな――」
ぼやいて、兄ちゃんは遠くを見つめる瞳になった。
「………そもそもさ、あーちゃんがカイトちゃん買ったんが、おやっさんたちがいなくなって、一人の家に帰るの嫌さだろ。そのわりにゃあ、あーちゃんはぐらぐら不安定でさ」
始まった昔語りに、がくぽとがくは無邪気に瞳を瞬かせた。老人の話を訊く、子供の表情にも似ている。
見た目は間違いなく、艶やかにして麗しく、男の劣情をそそらずにはおれない花売り娘そのものなのだが。
「よく一人でいきり立って、訳のわかんねえことをカイトちゃんに喚いちゃあ、家を飛び出してさ。そのたんびにカイトちゃんが、墓地まで迎えに行って」
「む………っ」
「なんと…………!」
兄ちゃんの語る過去に、がくぽとがくの表情は悲痛に歪んだ。
起動したてのロイド、いわば『赤ん坊』である彼らが、不安定なマスターによってどれほどの害を被ることか――下手をすれば精神バランスが取れずに、機能停止状態にまで追いこまれることもある。
思えば二人の起動からこちら、カイトは常に、マスターから二人を庇うように振る舞っていた。そういう過去があればこそ、彼らには自分と同じ思いをさせまいとして――
「我らは、愛していると言いながら、嫁のくれる愛情の本当の深さに、思い至れていなかった………」
「我らの言葉の、なんと薄っぺらいことだ………それは嫁も、鼻であしらおう」
仕方のない面はあれ、それでも己らの不甲斐なさに、がくぽとがくは悄然と項垂れた。
そんな二人に、兄ちゃんはわずかに顔を綻ばせる。商店街で老若男女から等しく頼りにされる、若衆頭としての包容力に満ち溢れた笑みだ。
「いやあ、なんかなあ………カイトちゃんはおまえさんたちに、十分救われたんじゃねえかと思うが」
口先だけでもない慰めを吐いて、兄ちゃんは再び商店街の外れのほうへと視線を投げた。
「カイトちゃんは情が強い。連日みたいに不安定になるあーちゃんを、めげもせずに毎回、迎えに行ってよ。………いくらロイドでマスターったって、限度があらあな。きっと、機械ってのはこうも不自由なもんなんだと」
「………………」
「………………」
冷たく見るがくぽとがくに、兄ちゃんは明るく笑った。
「思ってたらよ。カイトちゃんは、こう言うのさ。『何度も、捨てようと思ったけど…』」
――何度も捨ててやろうと思った、こんなバカ。でもさ、ご両親のお墓の前で、…………恨み言も言えないまんま、ぼんやり佇んでるだけの姿、見るとさ。
いっそロイド保護局に保護を求めたらどうかと進言した兄ちゃんに、ちょっと困ったような顔をしたカイトは、そう言って――
笑った。
――きっとこいつは、ご両親にものすごく愛されていたんだって、思うんだ。子供だから親がいないと困るとか、そういうんじゃなくて………すごく、愛してくれるひとを亡くしたから、…………
確かに、彼の両親は愛情の深いひとたちだった。
が、それとこれとは別だ。自分を守ることを、放り出してはいけない。
説得しようとした兄ちゃんに、カイトは困ったように俯いた。
――でも、今ここで僕が手を離したらきっと、あいつは死んじゃう気がする………。そんなの、寝覚め悪いよ。僕、あいつのことまだ、キライじゃないんだもん………。
「く………っさすがはカイト…………っ」
「なんたる鷹揚な…………っ」
ぐっすんと洟を啜る花売り娘たちに、兄ちゃんはぼんやりと遠くを見つめたまま、ため息をついた。
「あーちゃんはさ。………あの頃はほんと、ちょっと目ぇ離すとすぐに、死にそうに見えた。不安で不安で、手ぇ伸ばさずにはいらんねえ」
つぶやいて、兄ちゃんは軽く瞳を眇める。
「…………俺が初めてあーちゃんにち○こ勃ったのも、四十九日の法要が終わって、墓の前で一人佇むとこ、見たときだったしなあ。結局そのまんま、そこでヤっちまってさ」
俺も若かったよなあと、兄ちゃんは小さく笑う。
しかしふと首に痒みを覚え、ぼりぼりと掻きつつ顔を上げて、がくぽとがくを見た。
二人は思いっっっきり、引いていた。
「………………両親の、法要が明けたばかりで傷心の相手を…………」
「その両親の墓の前で、犯したのか…………?!」
「………………………………………………………………………………………………まあ」
的屋な風貌でも、根が素直な花屋の兄ちゃんだ。言葉にするとアレ過ぎるまとめにも、否定することなく頷いた。事実だからだ。
音を立てて、がくぽとがくはさらに引いた。心底恐ろしげに、スツールに座る兄ちゃんを見る。
「まさか、そこまでの外道だったとは…………!」
「いくら兄者だとて、そこまではせんぞ…………!」
「いや、おまえら……!」
兄ちゃんが慌てて腰を浮かせ、言い訳を吐く――より前に、がくぽがふっと瞳を眇めて、傍らに立つ弟を見た。
「弟よ。今………、なにやら聞き捨てならん台詞を聞いた気がするが………我の普段の行状に、なにか不満でもあるのか、そなた?」
「ぅ、しまった………っ口がすべ…………っ。否、兄者、我はなにも…………っ」
花屋の兄ちゃんから逃げていたがくの体が、今度は兄から逃れようと仰け反る。
その腰を素早く掴んで抱き寄せ、顎を捉えて顔を固定すると、がくぽは伸し掛かるようにがくを覗きこんだ。
「要らぬことばかり言う口は、これか?我が永久に塞いでやろうか、愚かな弟よ………」
「あ、兄者……っ、どうか、容赦を………情けを、くれ……っ。愚かな弟と、わかっているなら………っ」
怯えて気弱に瞳を逸らす弟に、伸し掛かる兄は酷薄に笑う。
その笑みは淫蕩にして凄絶な嗜虐の悦びを含み、哀れに震える弟を嬲る方法を、心底から愉しんで模索していた。
「愚かとわかっていればこそ、折々に触れては仕置きをしてゆかねばならぬのだろう?この体に、とっくりと沁みこむように教えて遣らねば……」
「兄者…………っ」
「ああなんか、意味不明なとこで唐突に、真昼のえろドラマが展開されてんだけどよ!」
見た目は麗しい、花売り娘二人だ。
異様な空気を醸し出したがくぽとがくに、花屋の兄ちゃんは叫びながらびしっと店先を指差した。
「とりあえずおまえらがほんっとぉおおに動揺しているのかどうか、真偽は後で確かめるとして、横見てみろ!」
「「よこ?」」
あっという間に妖しい空気を霧散させ、がくぽとがくは兄ちゃんを見た――兄ちゃんも、横にいる。
それから、びしりと指差された反対側――店先を。
「…………っ」
「…………」
「…………」
ぶくぅっと、限界までぶんむくれたカイトが、花屋の軒先に仁王立ちしていた。
「こんっっの、おばかどもが……………っ!もう、がくぽとがくはねっ、いっしょーふたりっきりでっ」
「「カイト!!」」
叫んで、がくぽとがくは転ぶようにカイトに駆け寄った。小柄な体に二人でむしゃぶりつき、キスの雨に晒す。
「んゎわわっ?!ちょ…………っこら、そとでは………っんんんっ!!」
「カイト…………カイト………っ」
「愛おしき、我らの嫁よ…………っ!」
抗議されても暴れられても、がくぽとがくはカイトを抱えこみ、押さえこんで、キス責めにする。
店先で展開される光景に、花屋の兄ちゃんはやれやれとため息をついた。再び頬杖をつくと、ぼんやりとその光景を眺める。
「ま、どうせ花売り娘だしな………」
「そうだな……またしても、花売り『娘』だな………」
「んぎっ?!」
傍らから陰々と響いた声に、兄ちゃんはぎくりと固まった。
聞き間違えようもない。
ぎしぎしと軋む音が聞こえそうな風情で顔を向けた兄ちゃんの傍らには、いつの間にか幼馴染みの青年が立っていた。
『花売り娘』たちの『マスター』でもある彼は、凄絶な怒りを含んで色づく、射殺さんばかりのきつい瞳で兄ちゃんを睨みつけてくる。
「てめえ、タツ………毎度まいど、うちの子ぉらに、なにさせてくれてんだ………っっ」