さて、この名無星カイトのとてもごもっともなお説に対してである。反論した蛮勇の徒は誰か?

よりく、-78-

「陰に隠れて話したら、陰口でしょう。あんたまさか、僕の兄さんが陰口を叩いたりすると思うの?」

――反論は背中からだった。あるあるである。敵は常に身近、身中にこそいる。

そう、まず言いがかりをつけたのは誰かといって、明夜星がくぽであった。本来であれば名無星カイトの側に立ち、カウンタ向こうの面子にいっしょになって文句をつけていいはずの。しかしてなぜか、非常に他人事の風情を醸す――

背中にびったりと張りつかれているためうまく表情が窺えない名無星カイトといえば、それでもわずかに振り返り、『できない』ことをまず確かめた。

それで満足するとまた顔を正面へ戻し、こころもち、背後の相手に体を預ける。疲れたように、諦めた声音で吐きだした。

「おまえたちきょうだいの場合、『する/しない』じゃなくて、『できる/できない』だろ」

「なにそれあんた、失礼だね……いくらどうでも、さすがに僕と兄さんのこと、見くびり過ぎだよ仕事、やろうと思いさえすれば、たまにはやってやらないこともないんだから」

「うん。俺はなにか、間違ったことを言ったのか?」

とても立派な態度で第39話同様、この場合の『立派』というのは尊敬できるだとかいう意味ではなく、単にとても偉そうだということである)言いのけた明夜星がくぽへ、まさに諦念を成型して服を着せたものと成り果て、名無星カイトはさらにのっしりと体重を預けた。

相応の重みがかかっているはずだが、明夜星がくぽはこれに関してはひとつも文句をつけない。むしろひどくうれしげに、寄りかかる体を支える。

「まあまあ、どっちも間違ってない…というか、先に言っておきますけどね、カイトくん。うちの子はふたりして滅多なことでは陰口しないでほんとまんま言っちゃうので肝が冷えまくりなんですけど、私はできますから」

「ちょ、ますた…っ」

――これを甲斐は、胸を張ってふんすと鼻息も荒く主張したことを補記しておく(いくらどうでもな主張に、おかげで固まっていた明夜星カイトの意識も戻った。幸か不幸かは判じずにおくが)

さらに補記するなら、出宵のほうは落ち着かぬげにキッチンから目を逸らし、懸命に言い訳を探していた。これをして亀の甲より年の功などとも言ったりするわけだが(くり返すが、甲斐は出宵より十ほども年上である)

しかしてこの甲斐の主張を、名無星カイトは額面通りには受け取らなかった。

逆説的な話だ。『できる』のに『しなかった』ということは、聞かれて困る話をそもそもしていないという。

明夜星がくぽと名無星カイトのふたりにも、今の話を聞いていてほしかったと。

「……そうなのか?」

だから、わずかに首を傾げてそう返した名無星カイトへ、やはり甲斐は悪びれる様子もなかった。

むしろ穏やかな笑みを浮かべ、頷く。同時に片手が上がり、座ったままながら困ったように自分を見る明夜星カイトの頭に置いた。くしゃりと、掻き撫でる。

「ええ。もちろんメインとしては、うちの子に話してたけど――だってね、『恋』の形ってほんと、ひとの数だけあるって言っても過言じゃないから。『こう』じゃないなら『恋じゃない』なんて、それこそおこがましいってものです。確かにあなたたちはKAITOと【がくぽ】で、同一機種で、傾向として同じ性質なこともあるでしょうけど…これだけ性格も考え方も違うのに、『恋』の仕方だけは全員『同じ』なんて、そっちのほうが不自然じゃないですか?」

問われて、――そう穏やかに提起した甲斐へ、全員の視線が集まった。

そう、『同じ』部分もある。たとえば【がくぽ】の、独占欲や執着の強さだ。これは名無星がくぽはもとより、明夜星がくぽにも窺える性質だった。

けれどその表出の仕方は違うし、もっと言うなら、反応する部分も違う。

たとえば、名無星がくぽが明夜星カイトへ触れるものすべてに神経をぴりつかせるのに対し(実は今、マスター:甲斐が明夜星カイトをなでなでしているのを見る目も険しい)、明夜星がくぽは鷹揚に見える。

が、そもそも他人がいるところではこうして先に相手を抱えこんでしまい、第三者がおいそれとは触れられないよう、防御を固めてしまっている(名無星がくぽはひと目を憚ることを知っているので、たとえ家族や友人知人間とはいえ、こういうことは『できない』)

そう、確かに同じ【がくぽ】ではあるが、基本の性質も同質ではあるが、――

最終的に彼らは『違う』。同じではない。

同じにならない。

であれば、『同じではない』相手への思慕の仕方もまた、変わって当然と。

そう主張した甲斐を束の間見つめていた名無星カイトだが、やがて首を巡らせ、『見えない』ことを確認済の背後を振り仰いだ。

ただし今度は、明夜星がくぽのほうからも覗きこんでいた。だから無邪気さにきらめくような花色と、芯は揺るがずとも揺らぐ湖面の瞳とはきちんと見合い――

「ぇっと、マスターじゃあ、やっぱり、ふたりは『そう』なの?」

なでなでしてくれる手へ両手をやって動きを止め、明夜星カイトは微妙に困惑したように訊いた。

『そう』、お互いにお互いへ恋情を募らせ、関係を表すなら『恋人』であるのかと。

先に言っていた『うまくいったお見合い』というのは、関係を表すなら『夫婦』だった(これはKAITOのなかでは、――少なくとも明夜星カイトのうちでは厳密に区別される言葉だ)

そのうちの子からの問いに、甲斐はなんと答えたか?

「いやあ、ボクが言うのも難だけど、恋からはやっぱり、遠いような気がするよね」

――先に答えたのは、出宵であった。

年嵩の友人の話の流れを読み、どうやら気後れすることはないらしいと判じて改めて参戦してきたのである(反応が早いのは、若さゆえではない。否定もしないが。出宵はなんであれ、常に現金なのである)

一瞬はその出宵に顔を向けた明夜星カイトだが、実際に訊いた先は『マスター』だ。すぐ、顔を戻した。

そのうちの子へ、甲斐は穏やかに頷いた。

「ですね。やっぱり、愛のほうがより近い感覚かな、このふたりの場合」

「恋…じゃなくて、………あい」

茫洋とくり返したうちの子カイトから、その取られた手を取り返し、甲斐はまた頭を掻き撫でた。

「でもね、『なんでもいい』な、ほんとは………ふたりがふたりともちゃんとしあわせなら、それの名前とか、どうでもいいです。つけて落ち着くならつければいいけど、少なくとも私にとって大事なのはそこじゃないし」

「……っ」

はたと瞳を見開いた明夜星カイトだが、なにを言うより先に、恋人の傍らに立つ出宵が元気いっぱいに手を上げて割り入った。

「ああはいはいボクも同っ。不幸な関係ならいくらでもジャマしに入るけど、しやわせだってんなら、別にーだよねっおこぼれにさえ預からせてくれたら、特に言うこととかないよっはぐぅっ!」

――語尾は、名無星がくぽに顔面を鷲掴みされたことによる呻き声である。

今日も今日とて無為に(名無星がくぽ主観)元気いっぱいなマスターの顔面を掴んで押さえこんだ名無星がくぽはぎりぎりと違う→にっこりと笑った。

「よしよし、少し落ち着けな、マスター……おこぼれとは具体的になにを指す?」

「にょろけばゃし…」

顔面を押さえこまれて不自由ななか、出宵はなんだか健気に答えた。が、名無星がくぽの表情が緩むことはない(一応、にっこり笑いである。通常、笑み=表情を緩めるである。ところで果たして今は通常であろうかという)

「よしよしよし………そのこころは?」

くり返された問いに、出宵はなにか、むしろ胸を張った。顔面を鷲掴みされたまま。

無意識に落とすネタがんまいっっむぎゅぅうううっ!」

「が、がくぽっがくぽっ……っ!」

握り潰しそうなほどの力が入った恋人に、さすがに明夜星カイトが縋りついた。このおうちはどうも、マスターの若さを反映してかあれこれと荒っぽいことは理解しているが、だとしてもだ。限度はある。

さて、最愛の恋人に仲裁に入られた名無星がくぽである。

ちっ…」

「したっ、したうちっ?!」

素直に手は引いたものの堪えきれないものがこぼれ、縋りついていた恋人が思わず身を浮かせた。

名無星がくぽはその体をさりげなく抱えこんで逃げ道を塞ぐと、しらりとした笑みとともに告げる。

「いや、カイトにではないゆえ」

「おそらくそういう問題じゃないな、おとうと…」

「でも兄さんにしたんじゃないんでしょうじゃあ別に、構わなくない?」

「がががっ、がくぽっ!」

――最後のさいごまで大変わかりにくいことこのうえないが、今度、明夜星カイトが慌てて呼んだのは恋人のほうではなく、おとうとのほうである。

いや、そうなんである。

この、どうしてこうなったかさっぱりわからないながら、とにもかくにもここまで長々と続いた話も、実はこの話で仕舞いである。

いや、いや、いや、彼らの『話』自体は続いていく――

今のを見てもわかるように、彼らは放っておくととにかく延々と永遠にネタを供し続ける。『終わり』がない。

それにたとえば、名無星がくぽと明夜星がくぽは案外、二卵性の双子程度には気の合う親友、あるいは相棒となるが(その片鱗はつい直前の会話でも覗いていると思う)、そのエピソードだってきっと、恋人であり情人である兄なKAITOふたりも絡んだ挙句、相応のものとなるだろう。

が、しかして『お話』としては当話にて、いったん仕舞いなんである。なぜか?

――そもそも第1話である。

マスターたちはどうして『この話』のほうを選んだかだ。

まあおおかた、非常にろくでもない理由含みではあったが、一組の幸福なカップルができ上がったことでどん底に突き落とされてしまった『うちの子』たちを、なんでもいいからとにかくなんとか救済したいという。

そしてその目的は、先に甲斐が述べたように、だいたいのところ達成された。

『ふたり』が『ふたりとも』しあわせとなったのであればもう、言葉を尽くす必要もないのである。

さて、もしもあなたがここまで欠けることなくお付き合いくださったと言うなら、ぜひにも御礼申し上げたい。欲を言うなら、少しでもおもしろいと思えばこそお付き合いくださったのであれば、なおのこといい。なによりそう思って読み終えていただけたなら、ほんとうにもう、言うことはない。

が、惰性であるとか、慣性の法則であるとかいうものに逆らわなかっただけだとおっしゃるなら、とはいえそれでも読み切っていただけた以上、やはりもう特につけるべき注文はないわけである。申し上げるべきはただひたすら感謝、御礼の言葉のみだ。

そういった感じで、ようやくにしてこの話大団円にて仕舞いなわけだがこういったことはたとえ若干の疑問や不安があったとしても先に言いきり、あとはいっさい譲らなければ勝ちだと相場が決まっている)、件の、ろくでもないアイディアの宝庫たるマスターのうちのひとりから物言いがついたため、あとひとつだけ、ほんの軽く触れて、それでほんとうに今度こそこの話を締めようと思う。

それは、こういう話だ。

名無星家の三人は、明夜星家の三人の帰宅をそろって玄関まで出て見送った(だいたい案の定で、名無星カイトと明夜星がくぽのお別れの『ごあいさつ』は、玄関外ではご遠慮願いたいものだった。では名無星がくぽと明夜星カイトはどうかというと、――ところであのあとだが、名無星カイトが思う存分、制限なく全力を尽くしたココアが久しぶりに明夜星カイトへ供された。これ以上に説明することも特にないと考えるわけだが)

見えなくなるまで、聞こえなくなるまで、見えなくなっても聞こえなくなっても見送りたい相手がいるわけではない出宵は、そうそうに部屋に戻った。

それで、玄関といおうか、マンションの共用廊下には名無星家のロイドきょうだい、兄:カイトとおとうと:がくぽだけがなんとなく、ふたりで残った。

おとうとのほうが若干の居心地の悪さを醸しているのに対して、兄はまるで平素と変わらなかった。

いや、――たのしそうだった。

そもそも共用廊下に出たのはどうしてかといえば、マンションの外に出た明夜星家の面々が道を行く姿を見られるからであり、きっと振り返るだろうから応えてやろうと、兄が言って――

「ああ、ほら。気がついた…ふっなんだあれ。何か月経って…未だにあんな、鈴なりで歩かないと迷子になるのかいいなあ、かわいい」

「………すまんな

「ん?」

『気がついた』と言いながら階下へ向かって手を振ったカイトは、傍らに立つおとうとがぼそりとこぼした言葉に、きょとんと振り返った。

無邪気だ。

兄だ。先に、手を振ったそのしぐさもだった。兄とも思えないほど――

これまでの兄なら見せなかった、いや、きっと、がくぽが目を塞いで見ようとしてこなかった。

まるで無防備に振り返った兄だが、おとうとと目が合うことはなかった。塞ぐものを外しても、おとうとは正面から兄を見ることができなかったのである。外して見えたものがあればこそ、なおのこと。

「がくぽ?」

「兄が笑うと、――知らなかった。から………笑ってくれて、良かった。だから、っ!」

――もう一度、きっと、がくぽは謝るつもりだった。ぶっきらぼうに、目も合わせず、それでもこころから。

言いきれなかったのは、兄が言わせなかったからだ。さっと手を伸ばすと、頭頂部から前髪へ梳き下ろすようにわしゃくしゃと、おとうとの頭を掻き撫でた。

油断もあった。気を取られることが。であればがくぽは抵抗の余地もなく兄へ倒れこむように頭を下げ、撫で回され――

「兄っ!」

それにしても長い。終わらない(実際時間はそうまで長くはない。感覚の話である)

いい加減にしろと、さすがに忍耐が切れて振り払うように頭を上げたがくぽは、やわらかに笑う兄の、揺らぐ湖面の瞳と間近に見合うこととなった。

いつでも深淵を覗かせられるような気分となった瞳は、光を弾き、揺らぎながらも奥底まで澄んで、――

ゆえに深淵が近く、ゆえにまた、深淵が遠のく。

それは覗きこむもののこころを、揺らぎながら真直ぐと反す。

「言うとすごく怒るから言わないでいたけど、俺はおまえがかわいいよ、がくぽ。ほんとにかわいいんだ」

「っ!」

はたと花色の瞳を見開いたおとうとから、今度、目を逸らしたのはカイトのほうだった。共用廊下から外、もうどうあっても見えなくなった姿を、それでも探すように移ろわせ、――

戻る。

ただ棒立ちに、兄を見つめるおとうとへ。

兄より体格が良くて、兄より機微に敏く、兄により優れながら、あまりにもこころこまやかであるがために、不器用なおとうと。

「きょうだいだろ」

「っ!」

おとうとの敏さを知ればこそ、こぼされた謝罪に兄が返したのはそれだけだった。拒みはしないが、けれどゆえもない、無為なものだと諭す――

花色を揺らがせて見つめるがくぽへ、兄は小さく肩を竦めた。

「――だいたいおまえ、俺が『そう』やって謝ったら、自分は泣くほど困るんだろうに…でもおまえのそういうとこがほんとかわいくて、俺はいつも困るんだ」

「……っ」

茶化すのではなく、ただ事実を事実として端然とこぼす兄の言いようにこみ上げるものが確かにあって、それは強く、あまりに強く、否定できないものだった。

いろいろこじらせたおとうとはだから、くしゃりと険しく、顔をしかめた。

「そんな程度で、誰が泣くかっ」

懸命に呑みこみながら言って、それでも呑みこみきれないものがあり、がくぽは乱暴に手を上げた。花が開くように、春の陽だまりのように笑う兄へ伸ばし、その体を力づくに抱えこむ。

きつく抱きこんで、ぐりりと強く、肩に顔を擦りつかせたおとうとを、兄はきちんと受け止めた。

回った手があやしなだめるように、がくぽの背を軽く叩いて、――

きつく、縋りついてくれて、花色の瞳は結局、堪えきれなかったしずくを兄の肩に染ませた。

END恋には遠く、愛に近い