つまりどれほど否定しても名無星カイトはKAITOころりだしKAITOキラーだし、挙句、KAITOに限定せずそこそこ顔が広いということなのである。
こういう兄を持った繊細な気質のおとうとこそ、災難だった。
周囲からも『そのおとうと』として見られるし扱われるし、なにあれ兄が会場へ行けばとにかく人だかりができる。
ステージ上からでもそういったものは案外見えるもので、あああそこに兄がいてそして――
恋より遠く、愛に近い-第74話-
「別にナマで観ないといられないほど、思い入れもないからな。モニタで十分だ」
控室に置かれたモニタにはメイン会場の様子が映っており、今はまだ、他家の【がくぽ】がパフォーマスを行っている。
それを眺めるでもなく眺めながら吐かれた名無星カイトの説明は、ある意味薄情だ。端然とした佇まいもある。なおのことさらに冷たく、不仲のおとうとを突き放して聞こえる。
明夜星がくぽは眉をひそめ、自分の膝の間に抱きこんだ相手を見上げた。
――ところでこれはどういう状況かということをもう少し掘り下げて詳述しておく。
明夜星がくぽは椅子に座っている。名無星カイトはその前に立っており、というか明夜星がくぽの両腕が腰に回って囲いこまれており、つまり檻のなかだ。
この形に落ち着くまでには、多少の攻防を要した。
いつものように膝に上げようとする明夜星がくぽと、そんなことをしたら出番前に衣装がしわくちゃになると気遣う名無星カイトと――
本来的にはカイトの配慮こそが正しいはずなのだが、相手は明夜星がくぽである。あまえんぼうのわがまま王子、しかしてなによりも、意味不明を成型して服を着せたものである。
納得しなかった。
――明夜星がくぽも『明夜星がくぽ』であるとはいえ、【がくぽ】である。
本番前にナーヴァスになるのはなにもおとうとだけではなかろうとカイトが譲歩し、膝には上がらないがぬいぐるみ抱きされることは許容するという、この形でなんとか落ち着かせたという。
それでもわずかにも油断すれば、どうしても膝に上げられそうになるわけで、まったく気が抜けないのだが。
なんだってそうもひとを膝に上げたいのかまったく意味がわからないカイトだが、然もありなん――明夜星がくぽである。
所詮、意味不明を成型して服を着せただけのものだ。
今日は気合いの入った衣装を着てはいるが、実態は変わらない。なにをどう着ようが、意味不明を成型して服を着せたという説明になんら変化は起こらないのだから。
で、眉をひそめてカイトを見上げたがくぽである。
「それで?」
こちらこそよほどに冷たく、突き放したようにがくぽは訊いた。
「あんたはお…僕のこともモニタ越しに観賞する気なの?なにも客席に行けってんじゃないよ。袖で観てればいいでしょう。せっかくここまで来てるのに………それでも?」
「………」
いらいらと吐きだすあまえんぼうのわがまま王子を、カイトは瞳を細めて見下ろした。わずかに、首を傾げる。
「この間っから、ちょっと疑問なんだけどな」
「ちょっとなら、もうしばらく疑問のまま置いておいても問題ないね?今は僕の質問に答えて」
話を逸らすなと睨むがくぽを臆することなく見返し、カイトはさらに首を傾げた。
「おまえ、いつから『僕』だった?」
「ひとの話…っ!」
きっぱり無視して話を逸らされ、がくぽは歯噛みした。
その頭をいつものように撫でようとして、カイトはすんでのところで思い止まる。頭、もとい髪もすでにスタイリング済みだからだ。この髪型は『ちょっと』撫でた程度で崩れるようなやわさはないが、さりとてという。
それで、あまえんぼうのわがまま王子の頭をよしよししてやってなだめるという策は諦め、端然と、泰然とクレームを振り切り、話を続けた。
「この間、――俺を相手に久しぶりに、『俺』って言ったから。もしかしてムリして変えてたのかって」
「してない」
――そうかと納得するには逆効果な、ほとんど語尾に被せるような答えの速さだった。
曰くの『この間の【俺】』というのは、第72話のことである。
さらに補足するなら、もともと明夜星がくぽの一人称は『俺』であり、確か出会った当初は名無星カイトに対しても『俺』と称していた。
しかしふと気がついたなら(第15話である。今が何話であれ、名無星カイトは実はそこからずっと、『ちょっと』気にし続けていた)、少なくとも名無星カイトに対してのみは『僕』と呼称するようになっており、それ以外の相手に対しては相変わらず『俺』であるという。
複数人と話しているときなど、よくまあこいつは器用に自分とほかの相手とを分けて話すものだなと、カイトは感心したりしていたりするわけだが。
それがだからこの間、久しぶりに聞いた。名無星カイトに向かい、自らのことを『俺』と称するのを。
激情に駆られ、自制が甘くなった結果こぼれたといった感があった。自制だ。あまえんぼうのわがまま王子が――
しかしカイトもすでに、よく知っていた。
このあまえんぼうのわがまま王子、肝心のところで甘えず、わがままを言わない傾向にある。なんで今ここでというタイミングで甘えず、わがままを堪えるのだ。
そういうことなのではないかと。
そういうことだったのではないかと。
もしもそうであるなら――
「ムリはしてない」
まったく納得していないカイトの気配を察して、がくぽはくり返した。この察しの良さは、たとえ『明夜星がくぽ』とはいえ、さすがは【がくぽ】と言えばいいのか。
頑是ない声音でくり返したがくぽは顔を上げず、つまりカイトと目を合わせることなく吐き出した。
「ただ、こっちのほうがいいような気がしたんだ。だってあんたって結局、兄さんじゃなくて他人だし」
放るように言って、がくぽは腰を抱く腕から力を抜いた。急に疲れきったように仰け反り、椅子の背に完全に体を預ける。
いわば顔は仰向け、上を向いたわけだが、それでもがくぽは上手にカイトと目を合わせず、続けた。
「兄さんじゃなくて他人なのに、あんた、兄さんみたいに…ヘタすると兄さんより僕のこと甘やかして、やさしいからさ。それは、僕だからね?甘やかしたりやさしくしたくなるのは当然なんだけど、でもやさしいし、甘やかすし」
そこまで言ってがくぽは仰け反った姿勢まま、目線だけカイトに寄越した。腕を離して解放してやっても、未だ足の間に立っている。佇まいは端然と変わらず、いっそ凛と――
思わずといった感じで、がくぽのくちびるが歪んだ。強いていうなら、笑みに。
「たぶんね、あれは、あんたが…僕と『こう』いうことになってから初めて、誰か別のひととセックスしてきたあとだったと思うんだよね。そのときは『そう』いうことだなんて、まったくわからなかったんだけど」
「…」
言われて、カイトは思い返した。『控える』ようになった発端のひとつだ。もちろんカイトは『してきた』だのということをいっさい告げなかったし、気づかせるようなこともなかったはずだ。
いや、であればこそがくぽも『まったくわからなかった』――
わからなかったはずであるのに、反応した。なにかいやだと、今日は落ち着かないと。
『わからないけれど』ダメだと。
そのときは、カイトもなにがなにやらわからなかった。けれど同じようなことはもう一度あって、そういえばと、ようやくそこで思いついたのだ。
――そういえばおとうとも、してくるのをいやがった…
確実に喧嘩となるものだから面倒で、痕跡を残さないよう後始末をする癖ができて、上達した『今』となればもう、こちらから迂闊ににおわせでもしない限り、おとうとには気がつかれもしなくなったというのに。
いや、おとうとはもはや、言ってもまるで聞かない兄に『そう』までの興味関心を失っていたから、――
――聞いたら、なにか変わっていたのか?
過った思いはあえかで、はっきり残るほどでもなかった。なにしろ、どちらにしても明夜星がくぽの言い分は『なんだかわからないけれど』でしかないのだ。
はっきり『気がついた』わけではない。まったく別の理由かもしれない。
だいたい今さら『聞いた』ところで、誰のなにが変わるというのか?
それでもカイトは控えるようになった(やはり『そう』で合っていたことは、第40話で判明したわけだが)。
それで、がくぽだ。カイトが具体的に意識して行動に移したのは次の機会以降だが、どうやらこのあまえんぼうのわがまま王子のほうは、最初のときになにか思ったらしい。
なにか、――なにを?
「いやだなって、思ったんだよね――このまんまって、いやだなって」
吐きだして、がくぽは瞼を落とした。花色を隠して、つぶやくように続ける。
「あのときはとにかくいらいらして、わけもわかんないままとにかくいらいらして、甘えたいのに甘えられないって当たり散らして帰ったわけだけど。それでもあんたはやさしかったし、精いっぱいに僕のこと、甘やかそうとしてくれたっていうか、甘やかしてたよね。わけわかんないって言いながら当たり散らされても、わけわかんないことなんか知るかって放り出さないで。でさ、そういうの、いやだなって思ったんだよ。帰ってアタマが冷えて…っていうか、帰る道々だよね。だんだんアタマが冷えてって、思い返して、考えて………」
まるで『そのとき』に戻ったかのように、がくぽの語尾は奥に篭もっていった。それこそ、思い返して考えこんでいるかのように。
とはいえすでに『結論』が出ている話だ。そう長くはなく、がくぽは再びくちびるを開いた。
「だからさ、あんたは『兄さん』じゃないわけでしょう。他人なの。正直、真実ほんとうにそんな義理ってないわけ。でもあんたは黙ってっていうか、ちょっと困った顔はしたけど、すごい辛抱強く僕に付き合ってさ、いいんだけど………いいけど、別に。でも僕だってあんたのこと、ちゃんとやさしくしたいし、大事にしたいよなって」
「………は?」
途中まではともかく、辿りついた結論が意味不明で、カイトは思わずといった調子で声を上げていた。
花色を隠す瞼がそれに呼応してわずかに開き、笑う。
「ほらね?」
――いや、同意を求められても、だから意味不明なのだが。
瞳を瞬かせるだけのカイトに、がくぽはうっすらと笑ったまま、投げるように告げた。
「いつも言ってるけど、あんた全然、聞かないけどさ……僕はさ、あんたっていうのは『傷』を舐め合う仲間だと思ってるんだよ。僕は甘えることが、あんたは甘やかすことが『そう』だからさ、じゃあ、ワレナベニトジブタでちょうどいいかなって」
そこまで言って、がくぽは再び花色を瞼の下に隠した。肩からどこかぐったりと、力が抜ける。
「そうだとしてもさ、限度があるでしょう。でもその限度があんたは底なしで…僕から見たらほんと、底なしで、ああこれはもう、あんた、自分のこと大事にしてないんだって、――思って。確かにKAITOって、にぶかったりとろかったりするせいで、それが結果的に自分のことを疎かにして、大事にしないのに繋がることが多いんだけど。だから兄さんにもそういうとこちょっとあるけど、あんたはひどいよ。ほんとひどい。それで僕が大事にしないといけないんだってなって、なんか、使命感?みたいなとこから、『そう』なっちゃうんだけど」
「…っ」
ふと話の流れが閃いて(なにせ名無星カイトとはらしからずらしからぬを謳われる、どうしてか敏い性質である)、カイトはぎくりと身を強張らせた。
強張りながらも咄嗟に足が引き、がくぽから距離を取ろうと――
した腰に、束の間落ちていたがくぽの手が素早く回り、むしろ引き寄せられた。椅子に凭れていた体も起き上がり、がくぽは肉薄してカイトを下から覗きこむ。
笑う。くちびるは今日、グロスを塗っていていつもよりなまめかしく動く。そう見える。そう――
「でも恋じゃないんだよ。悪いけど」
「っ!」
きっぱりと迷いもなく言いきられ、カイトははっと目を見張った。揺らぐ湖面の瞳がさらに揺らいで、笑う男を映す。
笑う、よく知って見慣れているのに、いつもとまったく違う、まるで見慣れない装束の、顔つきの。
瞳のみならず揺らぐカイトに、腰に回った腕が好機と動いた。それで気がつけば膝が砕かれ、崩れた体ががくぽの膝に落ち、見下ろしていた花色が上から覗きこんできていた(『座る』というよりは『転がる』というほうが近い体勢である。落とされた勢いというものがあったし、とにかく初めが肝心とばかり、がくぽはカイトが抵抗を思いつくより先にと押さえこみにかかり、ことさら伸しかかってきたからだ)。
ようやく膝に上げて自らという檻に囲いこむことに成功し、あまえんぼうのわがまま王子の表情がご満悦に蕩けた。そういう状況かという話で、そういう時かという――
「兄さんにはね、それが結局、恋になったよね。でもあんたは違う。僕はあんたには、恋してない」
ご満悦な笑顔でそう言いきり、しかしそこでわずかに花色は泳いだ。
「と、思う…」